DesertWind・ニュースレター February, 2023

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『最もすぐれた道』(第一コリント12:31-13:13)

LVJCC 牧師:鶴田健次

 

今年のラスベガス教会の標語は「あなたを人間を獲る漁師に」という御言葉ですが、この「人間を獲る」とは、人間を罪のさばきから救い出すことを意味します。そして、その大切な働きがクリスチャンであるあなたに委ねられていることから、「あなたを人間を獲る漁師に」するとイエス様は仰ったのです。

では、そのように尊い使命を与えられたあなたは、どのように生きれば良いのでしょうか。どうすれば「人間を獲る漁師」としてふさわしく生きることができるのでしょうか。

パウロは、第一コリント12:31で、神の愛に生きることを「最もすぐれた道」(口語訳)と言っています。つまり神の愛に生きることこそ、すべてのものに勝る「最もすぐれた道」だということです。

ですから、2023年は私たちにとって愛を実践する年にしたいと願います。第一コリント13:1-3を見ると、たとえどんなに素晴らしい行いも、もし愛がなければ神の前には何の意味も価値もないと言われています。なぜなら、神はその人の心をご覧になるからです。

私たちは新しい年を生きるうえで、まず神を愛し、隣人を愛することを心がけたいと思います。 何か偉大なことをすることが神を愛することではありません。

日常生活の中で、いつも神を礼拝し、祈り、感謝する生活が神を愛するということです。そして、隣人を愛することが、神の愛に報いることです。聖書の中で一番大切な戒めは、神を愛し、隣人を愛することだとイエス様は仰いましたが、神を愛することと隣人を愛することは同じことなのです。

第一ヨハネ4:20に、「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です」とあります。つまり神を愛することと隣人を愛することは同じことなのです。ですから、目に見えない神を愛すると言いながら、目に見える兄弟を愛さないなら、神を愛するという言葉は嘘になるのです。

マタイの福音書25:34-40を見ると、世の終わりの主の審きの時、あなたが主を愛した証拠を、あなたが隣人を愛したことから探すと主は言われます。「私はイエス様を愛します」と言いながら、あの困っている人と私は関係がない。あの病人と私は関係ない。あのホームレスと私は関係ない。そう思うなら、主は、そうではない、と言われるのです。

イエス様を愛するのであれば、そのイエス様をどこに探せばいいのでしょうか。病気の人、宿のない人、飢えた人、疎外された人たちの中から探し出せ、と言われるのです。

ですから私たちがイエス様を愛し、イエス様に仕えると言いながら、隣人を愛さずに無関心であったり、愛することをいい加減にしたら、それは偽善者であり、間違ったクリスチャンなのです。

マザー・テレサが、インドの最も貧しい人たちの中に入って行って彼らに仕える時、イエス様に仕える心で仕えた、と言いました。一人一人の体を洗ってあげ、着せてあげ、食べさせてあげ、膝の上に寝かせて安らかに死なせてあげる時、その人たち一人一人がイエス様であると思いながら、イエス様に仕える気持ちで仕えたと言いました。

そうだとしたら、私たちの周囲にはなんと多くの宿のない人、貧しい人、病気の人、疎外されている人たちがいることでしょうか。私たちは、無関心でいることなどできないのです。彼らがみんなイエス様なのです。その人たちがイエス様であるなら、私たちが訪ねて行かなければならないのです。

イエス様は、私たちのために身を裂き、血を流して下さったのです。その大きな「愛の負債」を負っている私たちが、地上のイエス様を無視することはできないのです。だからこそ、そのようにしない私たちの心は葛藤を覚えるのです。 イエス様を他のところで探そうとせず、この社会の不条理の中で探しなさいということです。

マハトマ・ガンジーは、飢えた腹を抱えて寝床に入るしかない人に、神様を納得させることができる唯一の方法は、パンを上げることだと言いました。

お腹が減って、悲しく、涙を流しながら寝床に入って行く人に、神様を信じなさいと何千回説明したところで、何の効き目があるでしょうか。神様の御名によってパンを一切れ上げることが、その人を本当に神の道に導くことです。

ですから2023年は、イエス様を天の御国でばかり探さずに、自分の周りにいる困っている人、孤独な人、疎外されている人たちの中で探し、その人の中におられるイエス様をおもてなしする私たちになりたいと思います。

 



『神様がご用意された時

証し:ロペス 秋池 はるみ

「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」(2コリント12:9) 

1950年に東京都墨田区の下町に生まれた私は、子供の時から世界を自由に行き来したいという憧れがあり、将来はアメリカ人として人生を全うしたいという夢がありました。

成人した後も、自分が現実を生きていない感じがあり、いずれ結婚して母親になり子供を育てていくということは、とてもイメージできませんでした。

そんな私を、神様は50年という歳月をかけて粉々に砕き、そのご愛の中に引き寄せて下さり、鍛え整え、あんなに苦手だった子供たちとともに働くという役割まで与えて下さいました。

私が始めて教会に足を踏み入れたのは小学6年の時でした。1年半ほど日曜学校に通い、その後はやめてしまいましたが、神様はその時に私の中に種をまいてくださったのだと思います。

次に神様の元に戻ったのは20代後半でした。アメリカ留学への夢を捨てきれないままに、姉のすすめでカトリック系の修道院で英語のバイブルクラスに行き、洗礼を受け、そこで知り合った男性と結婚しました。

しかし7年後には離婚となり、その後は罪の意識があって教会に行けなくなってしまったのです。数年して、また引き寄せられるように東京ユニオンチャーチという英語礼拝の教会に通い始め、そこには1993年アメリカに留学生として出発するまで在籍しました。

家族には、2年後にカレッジを卒業したら戻ってくると説明し、250万円の貯金(30年前です!)を元手に、ついにアメリカで新しい人生を踏み出しました。

その頃姉がすでにロスアンゼルスで暮らしており、私は学校に通う傍ら、彼女が運営していたそろばん教室を手伝い始めました。一緒には暮らせませんでしたが、肉親として支えてくれて少額であってもパートタイムの収入を得られる道があったことには大変助けられました。

ところが英語で勉強するということは思いのほか難しく、結局、語学学校から始めてカリフォルニア州立大学を卒業するのに11年もかかりました。その間、用意してきた250万円では足りるはずもなく、留学生は州からの学費補助もないので、ほぼ破産状態のままクレジットカードで借金を重ねながら学費を払い続けました。

Debt collector に追いかけられたこともあります。その間、姉が癌を発症し、彼女の教会のメンバーの祈りとサポートを受けながら3年間の闘病の後、2002年に天国に召されました。姉の闘病生活を支えてくれた教会の方々の献身的な愛に感銘を受けた両親は、日本に帰国後に洗礼を受け、クリスチャンになりました。

私は彼女が残してくれたそろばん教室(生徒50人)を引き継ぎ、並行して教えていた日本語のアルバイトも続けながら、2004年に神様のあわれみにより、大学を卒業することができました。留学生としての年齢も高く英語力も弱かった私を、大学の先生方やカウンセラーは、私が卒業できるまで守り支えてくださったのです。

「あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前にたちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(ヨシュア記1:5)

卒業後は、日本の家族に助けてもらい、個人事業主として2年間のビザを取得出来ました。そして、そのビザが切れる直前に神様が働いて下さり、当時クリスチャンの友人が住んでいたアパートの経営者であった主人のビンセント・ロペスに巡り合い結婚しました。2017年にアメリカ市民権を取得し、子供のころからの夢がかないました。

アメリカで暮らし始めてからは綱渡りのような生活を続け、その中で何度も失敗をし神様を悲しませるような生活もしていました。そんな私を決して見捨てず、そのご愛に立ち返るまでずっと待っていてくださり、最善の時を持ってアメリカ人にならせてくださったのだと思います。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。」(伝道者の書3:11)


編集室・気まま便り

「神様をあなたの心のどこに置いていますか?」 という質問に色々考えさせられました。

頭だけで理解している人は行いが伴わない。また神様は願い事を叶えてくれるだけの存在と捉えている人々や、心の中心に神様を迎えていない人が結構多い。私もかつてそうでした。そして聖書の中に書かれているイエス様が行った奇跡もすぐには信じる事はできませんでした。

しかし聖書をあきらめず読み続け、セミナーに行ったり聖書の学びに参加するうちに、全知全能の神様であるという事をしっかりと心で受け止めた時、自然に奇跡も信じられるようになりました。

それだけではなく、全く別世界が開けたような思いがしました。見守り続けてくださった神様の愛と聖霊の導きに感謝しています。MN



 

LVJCC キリスト教 Q&A

Q 聖化と義認の違いは何ですか?

 

A 義認と聖化の違いを理解することは、救いと裁きの違いを理解することと同じくらい重要なことです。また、この二つのものを正しく区別することも非常に重要なことと言えます。この違いを明確に理解していれば、砂の上に線を引くようにして、「これは救われている人々」、「これは救われていない人々」と言うことができます。

義認は、イエス・キリストが罪人に数えられることによって、罪人が律法のもとで神から義と認められるという神の業です(ガラテヤ2:16)。この義は、救われた者のいかなる努力によっても得られるものではありません。

義認は、永遠の命をもたらす瞬間的な出来事です。それは、完全に、そして唯一、十字架におけるイエス・キリストの犠牲に基づくもの(Iペテロ2:24)であり、ただ信仰によって受け取るもの(エペソ2:8-9)です。義とされるために必要な働きは何もありません。さもなければ、それは賜物ではありません(ローマ6:23)。私たちは信仰によって義とされるのです。

それに対して、聖化は人間の働きが関わってきます。 しかし、それでも、既に義とされている人の内にキリストの品性と命を生み出すために信者の中に働かれるのは神です(ピリピ2:13)。聖化は、神の働きだけによるのではないので、瞬間的に起こることではありません。

義とされた人は、すべてを神に委ね、罪に抗し、聖さを求め、キリストのようになろうと努力するようになります(ガラテヤ5:22、23)。しかし、大切なことは、聖化は義認のためには何の効力もないということです。つまり、たとえ完全な人生を送らなくても、私たちは義とされるのです。

義認が瞬間的に起こる法的な宣言であるのに対し、聖化は過程です。また、義認が私たちの外におられる神から来るものであるのに対し、聖化は聖霊の働きによって私たちの内におられる神から来るものです。

つまり、私たちは、自分の努力で聖化に貢献することができますが、人間の努力は義認に対しては何の貢献もしません。では、恵みによって義とされた人は、好きなだけ罪を犯すことが出来るということでしょうか?

第一テサロニケ4:7ではこう言われています。「神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。」

聖書は、私たちが罪を避け、きよい生活を送るようにと教えています(コロサイ1:5-11)。私たちは救われ、神の前に永遠に義とされているわけで(ヨハネ10:28)、そこから救われた私たちが罪を犯し続けることは、もはや何の申し開きもできないことです。

もちろん、私たちはみな罪を犯します。そして、救われた自分と自分の中にある罪との戦いは続き(ローマ7:14-20)、それは私たちがこの死の体から救われるイエス様の再臨のときまで無くなることはありません(ローマ7:24)。

しかし、罪を犯し続け、神の恵みをもてあそぶ者は、キリストの血を踏みにじることになり(へブル10:29)、その人の罪深い、救われていない本質を明らかにすることになるのです(第一ヨハネ2:4、29)。(参照すべき御言葉 : へブル12:14、第一ペテロ1:14-16、2:21-22)


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