DesertWind・ニュースレター March, 2023
『私たちが崩すべきエリコ』((ヨシュア記6:1-7)
LVJCC 牧師:鶴田健次
ところで、私たちの人生には、予期していなかった問題や困難が私たちの前に立ちはだかることがあります。そんな時、私たちはどのようにしてその障害物を乗り越えることができるでしょうか?
イスラエルの民は40年の荒野の生活を終え約束の地カナンに到着しました。ヨルダン川を渡り、いよいよカナンの地に足を踏み入れた時、巨大なエリコの町が彼らの行く手を阻んでいました。
カナンを征服するためには必ずエリコの町を崩さなければなりませんが、そのエリコは、彼らの力で崩せるような町ではなく難攻不落の町でした。
私たちの人生にも、目の前に様々なエリコが待ち受けていることがあります。しかし私たちが主と共に歩めば、いかなるエリコも崩すことができ、前進することができることをヨシュア記から学ぶことができます。
① 堅く閉ざされたエリコ
ヨシュア記6章1節を見ると、堅く閉ざされたエリコについて、「エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった」と言われています。
目の前にあるエリコの町は二重の城壁で囲まれ、外壁を乗り越えても、その後ろにまた一つの高い壁がそびえ立っていたので誰もこの城壁を崩すことはできませんでした。イスラエルの民は、このエリコを崩せばカナンを征服できるのですが、彼らの力でエリコを崩すことは不可能な状況でした。
時どき、私たちの前にも、このエリコのような壁が立ちはだかることがあります。たとえば、コロナのために多くの中小企業が倒産し、多くの人が職を失い、困難を抱えました。あるいは、健康だと思っていた人が、突然、体調が悪くなり病院に行くと「癌です。ステージ4です」と言われ、途方に暮れることがあります。
このようなエリコが私たちの前に立ちはだかる時、私たちはどうすればいいのでしょうか?しかしクリスチャンにとって、危機はチャンスです。まさにその時が、主の前に出て行く時なのです。人間の最後は、神様の始まりです。神様が私たちを助けて下さるからです。
② ヨシュアに臨んだ神様の御言葉
この絶望的な状況の中で、神様の御言葉がヨシュアに臨みました。ヨシュア6章2節です。 「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。」イスラエルは戦う前から恐れで満たされていましたが、神様は戦う前から既に戦いに勝っておられ、「わたしがエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡した」と言われたのです。そのように、どんなに難しい問題が私たちを襲って来ても、主が共におられれば、私たちも戦う前から既に勝っているのです。
2千年前にイエス様が十字架の上で「完了した」と語られた時、既に勝利が私たちに約束されていたのです。ですから、私たちの戦いは、既に勝っている戦いを戦う勝ち戦なのです。
つまり、問題解決の秘訣は神様にあるのであり、私たちにあるのではありません。人を頼れば失敗し、主に頼れば恵みと祝福と奇蹟が近づくのです。全能の神様を全面的に信頼し、主の御言葉に従う私たちでありたいと願います。
主の御言葉を聞いて従う時に、神様の恵みが臨みます。それがまさに聖霊の恵みです。聖霊に満たされれば私たちはどんな戦いにも圧倒的に勝つのです。主の御言葉を握り締め、御言葉の通りに歩むならば、私たちの戦いは初めから勝ち戦なのです。
③ エリコを崩す秘訣
では、私たちはエリコをどのように崩すのでしょうか。エリコの城壁が崩された今日の御言葉の中に、その答えがあります。
すべての人の前にエリコが置かれていますが、そのエリコを崩すためには、まず自分というエリコを崩さなければなりません。つまり、本当の問題は目の前のエリコではなく、自分の中にある不信仰のエリコなのです。
イスラエルの民は戦う前から、「この城壁は自分達には崩せない」という不信仰のエリコが心の中に巣くっていたので、戦ってもいないのに既に敗北意識に支配されていたのです。
私たちは、まず自分の中の不信仰のエリコを崩さなければなりません。そして臆病と高慢と利己主義のエリコを徹底的に悔い改めて、主だけを信頼し、主の御言葉のとおりに生きていくならば、主の恵みと祝福が私たちに臨むのです。
『主は良いお方』
証し:玉井 洋子
「わが魂、主をたたえよ。聖なる御名をほめたたえよ。主の良くして下さったことを何一つ忘れるな。主は良いお方、主は良いお方、恵みと憐れみの冠をもって、私の一生を良いもので満たす。主は良いお方、賛美をささげます。」 詩篇 103:1-5
私の信仰生活は今年で33年になりますが、実は創価学会の家に生まれ、両親が信者だとその間に生まれた子は「福の子」と呼ばれ、生まれながら祝福された特別の子だと教えられ、何かあるたび、私は「福の子」だと自分に言い聞かせ、問題を乗り越えていました。学校を卒業し美容のエスティシャンとして働いていた頃、その関係でアメリカ行きの話が舞い込んできました。アメリカ帰りだと箔がついて、後々仕事にも役に立つと思い、カリフォルニア州ロサンジェルスに渡米しました。
当時ロサンジェルスは日本ブームで日本人経営のサロンも繁盛していて、シャンプーの後日本の指圧マッサージを提供していました。猫の手も借りたい程の盛況ぶりでしたので、エステあがりの私でも毎日忙しく働く事ができました。
そんなある日、仕事前に立ち寄るコーヒーショップで一人のクリスチャンとの出会いを通して、良き訪れ、Good Newsを初めて聞きました。「福の子」と思っていた私は「神の子」というクリスチャンの言い分を中々信じる事ができませんでした。しかし、良いお方である神様の恵みによって、イエス様を受け入れ、ウエスト・ロサンジェルス・ホーリネス教会へと導かれました。
「彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」 ヨハネ1:12
この教会で当時まだ牧師ではなかった鶴田ご夫妻に出会いました。私は日曜礼拝に出席する他に鶴田家で行われたバイブルスタディに通い、イエス・キリストを土台にして信仰を立て上げていきました。時が経ち、一つの教会にとどまっている事に物足りなさを感じ、あそこの教会は賛美がすごい、病が癒される、祈りが、メッセージが、聖霊の働きがという噂を聞けば出向き、教会を転々としました。
結局20年前、韓国系インマヌエル教会に落ち着き、最後までそこで信仰生活を送っていくものと思っていました。そんな矢先、突然仕事を失い、月々の支払いにこと欠くようになりました。祈れば神様の御業が起こる方程式を用いて、私達の武器は祈りなので、祈ってイエス様に委ねました。
そんなおり、ラスベガスに家を買った友人から「バケーションがてら遊びに来て下さい。」と航空チケットが送られて来ました。こんな時のんきに旅行なんてと思ったのですが、神様の御心と思い行くことにしました。友人夫妻に会い、私の状況を話すと、「カリフォルニアの不動産は高騰しているので、家を売ってラスベガスに移って来ないか」と助言されました。
住み慣れた場所を離れるのは心元なかったのですが、早く決断しないと不動産が下落しだしていたので、思い切って決断し、実行に移しました。心配していたのですが、オープンハウスをするや70人の集客があり、即日完売という好結果に終わりました。
5月に仕事を失い、6月にラスベガス旅行、7月に家を売り、8月にはラスベガスに移り、9月には家を購入と目まぐるしく動いていきました。10月にはこのラスベガス教会に導かれ、何の巡りあわせか、鶴田ご夫妻と再会する恵みにあずかりました。
初心に帰る思いで毎週水曜日に持たれる入門クラスを受けさせてもらい、バイブルクラスと祈祷会に参加して、ラスベガスでの信仰生活をスタートさせて頂いています。私にとっての一番の霊の糧は日曜日の先生のメッセージですが、バイブルスタディの終わりにする暗唱聖句も一躍かっています。御言葉をかみしめ悔い改めに導かれるという経験もしました。
又最近は 「御霊の実は愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」 ガラテヤ5:22‐23
「ただ聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、私の証人となるであろう。」 使徒1:8
これらの御言葉を覚えるだけでなく、行える者となれるよう祈り求めています。主にお目にかかる日まで、休まず信仰生活を守り、主は良いお方、と賛美を捧げたいと思うこの頃です。
編集室・気まま便り
人はみな生まれながらにして、罪人であり、いくらイエス様を救い主として受け入れて救われても、それでも罪の体の中に生きているので、どうすることもできない面があるという事を聖書は多くの人々の生きざまから私達に教えていると思う。
常に正しくありたいと思えば思うほど苦しくなるばかりです。まず心をさぐり、罪深い自分であることを認める事と、それゆえに永遠に変わらず正しく絶大なるパワーを持った神様に頼らないと生きていけない存在であることを素直に認める事がとても大事です。
そうする事により心が平安になり、多くのストレスから解放されるし、聖霊様の導きに謙虚に従っていくとき、喜びと感謝にあふれる人生となる。「心貧しい者は幸いです。天の御国はその人達のものだから。」 MN
△▼△▼ LVJCC キリスト教 Q&A △▼△▼
Q 千年王国について教えて下さい。
A 千年王国に関する記述は新約聖書のみならず旧約聖書にも見られる大変重要なものです。たとえば預言者イザヤは、千年王国と新天新地に関する二つの預言を重ねるようにして預言しながら、千年王国を至福の時代として述べています(イザヤ書65:20-25)。
千年王国では、クリスチャンは既に栄光の体が与えられているので死ぬことはありません。また罪のない栄光の体になっているので罪を犯すこともありません。そして、クリスチャンはこの千年王国をキリストと共に治めるのです。では、千年王国とはどのような至福の時代なのでしょうか?
第一にそれは、平和と繁栄に満ちたパラダイスの実現による至福の時代です。そこでは、人間の幸福を制限するものはすべて取り除かれ、文字通りのパラダイスが出現します。その日、天にあるパラダイスは地上と交わり、地上に真の楽園が出現するのです。
子供が狼や豹やライオンを追いかけて遊び、ライオンも牛のようにわらを食べ(イザヤ11:6、7)、狼と子羊が共に草を食べます。弱肉強食は無くなり、すべての動物は仲良く暮らします。
また、千年王国には、もはや戦争はありません。有史以来、世界中どこででも全く戦争のなかった時代はありませんでした。しかし千年王国が地上を支配するとき、あらゆる戦争が千年間に渡って完全に無くなるのです。もはや武器も軍隊も不要で、莫大な軍事費をすべて平和のために使えるのです。また、自然界も理想的な状態になります(イザヤ35:1-7)。
第二に、千年王国は、生命の充実と躍動による至福の時代です。私たちは皆、事故や病気や老化から解放されます。そこでは、子どもが病を持って生まれて来ることはありません。子どもが突然死んで、母親の悲しみとなることもありません(イザヤ65:19-20、23)。また、クリスチャンは老化から解放され、何歳になっても若々しい体力を保持するのです。
あるいは、現在、病気や障害があっても、千年王国では完全な健康体で生きることができます。そこではもはや病院も不要で、皆が生命力あふれる健康な体を持つのです。そこには、物を盗む泥棒も、搾取する圧政者もいません。横領する者も、不正な利益を追求する者もいません。私たちは、自分の勤労の実を豊かに味わうことができるのです。
第三に千年王国は、人間の創造目的が回復する至福の時代です。人間が創られた目的は、「神が人間と愛を分かち合うことによって、お互いが喜びに満たされるため」です。それが千年王国において、豊かに回復するのです。
その日、人は神の喜びとなり、神は人の喜びとなるのです(イザヤ65:18、19)。もはや、神と人との間に障壁はなく、神と人との間のコミュニケーションは万全で、常に愛に満ちたものとなります。
これが、神を愛する者たちに用意されている未来の楽園であり、そこで私たちは天国の前味を味わうのです。神を愛し、キリストを信じる者は誰でも、その楽
園に住むことができます。
千年王国は、霊の世界ではなく、現実にもたらされる現実の世界です。神はその世界を、やがてキリスト再臨の後に実現されるのです。これは何と素晴らしい希望でしょうか。キリストに従うあなたは、やがてその世界で生き、その至福を体験するのです。
ラスベガス日本人教会

Las Vegas Japanese Community Church
1800 East Desert Inn Rd. Las Vegas, NV 89169TEL: 702-250-0966 | https://lvjcc.com/