ラスベガス日本人教会
DesertWind・ニュースレター December, 2021
『宣教の至上命令』(マタイの福音書28:18 – 20)
LVJCC 牧師:鶴田健次
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。」(マタイ28:19-20)
この御言葉は、イエス様が天に昇られる前に最後に弟子たちに命じられたもので、『宣教の至上命令』と呼ばれています。福音宣教は、全てのクリスチャンに対する至上命令であり、教会の存在目的です。また、教会が果たさなければならない最も大切な使命だということです。
神様はすべてのクリスチャンに、イエス様の愛を証しし、イエス様による救いを宣べ伝えることを願っておられます。ですから、イエス様を救い主また主として信じ受け入れた私たちは、主が再び来られるその日まで、この委ねられた宣教の使命を全うする者でなければなりません。
① 出て行きなさい
19節に、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」とありますが、ここでイエス様が命じておられることは、まず「行きなさい」ということです。つまり福音を携えて出て行きなさいということです。私たちクリスチャンは、このイエス様の命令に従って、福音を携え、自分のいる所から出て行かなければならないのです。
「エルサレムから地の果てにまで」とイエス様が言われたように、隣人への宣教から世界宣教へと、言語と文化の壁を越え、政治と理念の壁を越え、世界中の人々のところに福音を携えて出て行くのです。
経済的に豊かな国々、貧しさの中で飢餓に苦しむ国々、一度も福音を聞いたことのない国々、また福音に対する門戸を閉ざしているイスラム圏の国々、共産圏国々、仏教圏の国々にも行かなければなりません。
福音を聞きたくても聞くことのできない多くの人々が私たちに訴えています。「来て、私たちを助けてください」「来て、私たちに福音を語って下さい」と。使徒パウロがその声を聞いて、立ち上がり、全ヨーロッパが変えられたように、私たちも人々の叫びを聞いて、彼らの所にキリストの福音を運んで行かなければならないのです。
② 人々を弟子としなさい
続けてイエス様は19節で、「あらゆる国の人々を弟子としなさい」と命じられました。宣教というのは、福音を伝えてイエス様を信じるように導くだけではありません。信じた人がイエス様の忠実な弟子になるように導くのも宣教の大切な働きです。
この御言葉は、イエス様が天に戻られる直前に十二弟子を集めて言われた言葉で、いわばイエス様の遺言です。私たちクリスチャンにとってこの言葉ほど重要なものはありません。またこの言葉は、「宣教の至上命令」と呼ばれると同時に「キリストの弟子造り命令」とも呼ばれます。なぜなら、イエス様が「あらゆる国の人々を弟子としなさい」と命じられたからです。
私たちがイエス様を信じて救われるのは、イエス様が私たちを通して働かれる「働き」の始まりです。私たちがイエス様に従い、聖霊によって変えられていく道のりがそこから始まるのです。そして、そういう道のりの中で、私たちが「キリストの弟子作り」に加わるときに、私たち自身も、また私たちが導く人々も、キリストの弟子として成長し、整えられていくのです。
③ 主はいつもあなたと共におられる
私たちが福音を携えて出て行き、弟子作りの働きをしていくときに、イエス様が言われます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいます。」 イエス様は、世の終わりまで、私たちと共におられると言われました。
当時、イエス様の弟子たちにとって、世の中に出て行って福音を伝えるということは危険なことでした。イエス様が十字架で死なれてから、激しい迫害が弟子たちに近づいて来ました。当時のユダヤ教の指導者たちがクリスチャンを捕まえて牢に入れ、あらゆる迫害を加えたのです。
ローマの皇帝ネロの時から始まったキリスト教徒の弾圧は約300年続き、その時にペテロが殉教し、ヤコブが殉教し、パウロが殉教しました。多くの人々が殉教し、多くの血が流されました。しかし、彼らの殉教の血が流されたことにより、世界の1/3の人々がイエス・キリストを信じるようになったのです。
私たちが福音を伝える時も多くの危険と障害物が私たちの前に立ちはだかります。しかし、恐れないで下さい。イエス様が共にいて下さいます。イエス様はヨハネ16:33でこう言われました。
「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
世に勝たれたイエス様が、世の終わりまで私たちと共におられるのです。天と地の権力者であるイエス様が、私たちと共におられ、全ての危険から私たちを救い出して下さるのです。
Desert Wind 2021年 12月号 案内・ニュース
◆ 12月5日(日)礼拝後は婦人会の例会が持たれます。
◆ 12月12日(日)礼拝後は日英合同の役員会が持たれます。
◆ 12月15日(日)午後5時よりキャンドルライトサービスが持たれます。
◆ 12月19日(日)日英合同のクリスマス礼拝が持たれます。なお礼拝後はポットラックでクリスマス・ランチョンが持たれます。
◆ 12月26日(日)礼拝後は教会の大掃除がありますので、皆さんご協力ください。
◆ 12月29日(水)11:00AMより年越しそばをいただいて12:00PMより一年の感謝を分かち合う望年祈祷会が持たれます。
『Iさんの証』
証し:リサ・L
何年も前ですが、毎朝同じ時間に60歳位の方が恥ずかしそうに公園のトイレの水道を使っているのを見かけました。 ホームレスだろうがいつもこ綺麗にされ、根っからのホームレスっぽくないので、きっと事情があるのだろうと思って通り過ぎていました。
数日経つと神様は私にその方に話しかける様に言われていると感じ話しかけました。 その時その方はとても怒っている様子でした。
当時私が通っていた教会は、大きな公園でボランティアの方による月1回の炊き出しを行い、100人 くらいのホームレスの方々に服や食料の配布と賛美をしていました。
公園で見かけたその方に「別の公園で炊き出しがあります、来ませんか」と伝えると怒っていました。 この方の怒りは私に対してではなく、自分の立場を恥じているからだとわかったのでそっとしておきました。
すると炊き出しの日に来られていて、声をかけるとまた怒った様に「別に教会にいきたいんじゃない!」と言うのですが「何かを求めてこられた」のは確かですから、主が働かれることを祈りました。
牧師はカナダ人でしたがやさしい日本語で福音を話し、食事の終わりに司会者が「祈ってほしい人は手をあげてください」 と言うとその方だけが下を向いて手をあげていました。
通常は祈りチームが担当で祈っていましたが、当時人様に対する祈り方がまだわからない私は横に立っていた聖書学校を出たての若い副牧師に「あの方に祈ってあげて!」と頼むと「えっ僕は祈れませんよ、Davidさん(牧師)に言ってください」と言うのでカナダ人の牧師に話し、ここに来ているのはきっと意味があること、直接祈ってほしいというとDavid牧師はその方の横に立ち肩を抱えて祈られました。
David牧師に心を許したその方は自分の事を話し始め、 最近奥様を亡くし、初老になり将来の希望をなくし、 経営していた会社を娘さん夫婦に譲って身の周りを片づけて 思い出のある地で死ぬために旅行に出た事、家を売った大金を持ち歩いていてそれを盗まれて 怒りで死ぬ気がなくなった事、公園で私に見られて恥ずかしかったけれど帰る電車賃を教会から貰えないかという気持ちで炊き出しに来ていたこと、ホームレスになって1週間だったことなど話されました。
そして「入門クラス」で学びたいと言われ、すぐに神を信じイエス様を救い主として受け入れられました。 それから心配していた娘さんが印鑑などを持って会いに来られ、その方は教会に留まり、教会の為に自分の財産と時間の全てを使って奉仕され、教会になくてはならないとても重要な働き人として用いられるようになりました。
社長さんだったこともあり、皆さんをまとめて仕事を振り分ける手腕は素晴らしく、また太っ腹で世話焼きなその方は信頼されるのに時間はかかりませんでした。
その後の月1回の炊き出しは先導されるようになり、ホームレスの方々に問題が起こらないように配分されたり、教会のためにワゴン車を購入し、自費でガソリンを使って50マイルほど離れた場所にあるCostcoへ毎日食物を取りに行き、教会に来られる方の分を取り分けた後、公園へ持っていき、また他の場所のホームレスの方にも配っていました。
当時カナダ人、アメリカ人の伝道者が住んでいた家を自費で借りて食事の世話、生活の世話をし、彼らが去ってからはホームレスの方々が自立するための家とし住まわせ仕事の世話もしていました。
「奉仕の賜物、献身の賜物、与える賜物、自主的貧困の賜物、もてなしの賜物」など 本人は賜物などとは考えもせず、自分の罪を救って貰ったのだから神様のためにするのは当たり前と喜んでいました。 皆さんは時々、自分に伝道ができるかどうか考えたり、自分には何も力がないと思うことがあるかも知れません。
しかし、神のみ声に従う事で神が働かれ「ひとりの人」が救われ、その事で多くの方々が救われることを見ることがあります。 神に従順になると神ご自身が働かれる偉大な恵を目にします。
今日、身近な方に 「神様はあなたをそのままで愛されている、神様の目にはあなたは完全で尊い」と伝えてみま せんか。そのひと言で神が働かれ、証をすることであなたも強められ癒されます。
編集室・気まま便り
カナダのトロントに住んでいた時は、クリスマスというと一斉にデパートのウインドーの飾り付けを幻想的で美しいクリスマス用に変える。
10月頃から降っては解けていた雪が大概クリスマスには積もるようになる。まさにホワイトクリスマスである。そりに幼い娘と息子を乗せて裏庭で遊ばせたり、雪だるまをつくったりした。山がないので、人工の小さな山が作ってあり、そこをそりやスキーで滑って楽しんだものだ。
当時日本から来た数家族がいつも集まり、各家を回って讃美歌を練習したり、子供達を集めてクリスマスキャロルを語って聞かせたりしたのが思い出される。これからも永遠にクリスマスのでき事は語り継いでもらいたいと思う。 MN
△▼△▼ LVJCC キリスト教 Q&A △▼△▼
Q 三位一体とは何ですか?
「神は永遠に父と子と聖霊の三位一体であって、その本質において同一であり、力と栄光とを等しくする。」 この三位一体と呼ばれる神観はキリスト教だけが持っているもので、聖書の啓示に基づいた神観です。三位一体という言葉は聖書には出てきませんが、聖書66巻を通して啓示された神は、父なる神、御子キリスト、聖霊が、それぞれ永遠の神として存在し、一体であることが示されています。そこで聖書信仰に立つキリスト教会は古くから三位一体の神の信仰告白を持ち続けているのです。
三位一体の神
神は三つの人格を持ち、それぞれの人格は神ですが、神は一人です。多くの神学者が、「人格」という用語は、神の中に見られる三つの個々の実体を表すのに完全な言葉ではないことを認めています。普通、人格という言葉は、独立した個人としての人間性を意味するものとして用います。
しかし、神に三つの独立した存在があるわけではありません。 神は、一つの存在と、一つの本質から成る三位格をお持ちなのです。数において神は一つです。しかし、一つの神の本質の中に、私たちが「人格」と呼ぶ三つの個々の実体があるのです。
三位格は、それぞれが神の全体ではありませんが、それぞれが完全な神です。また、それぞれの三位格は他の二位格とは違います。そして、それぞれの三位格は他の二位格と密接な関係がありますがそれらは別のものです。
神の複数性
ヘブル語には文法上の数が三種類あり、単数は一、両数は二、複数は二以上の場合に使われます。そこで創世記1章1節、「初めに、神が天と地を創造した」の神という言葉は、ヘブル語聖書では創造主を意味する「エロヒーム」という言葉が用いられています。このエロヒームという言葉は複数形で神格の複数性(父・子・聖霊)を示していますが、 エロヒームの述語としての動詞「バーラー」(創造した)は単数形になっています。
こうして神の啓示である聖書の冒頭に、ひとりの神が一つであることと同時に、そのお方が位格の複数性を併せ持つことを伝えるための用語が用いられていること
は驚くべきことだと言えます。
神の唯一性
旧約聖書の至るところに神が唯一の方として記されています。たとえば申命記6:4は、「イスラエルよ聞け、われわれの神、主は唯一の主である」と述べています。
日本には一般的に八百万の神観がありますが、聖書は、ただ一人の神しかおられないことを明確にしています。神は唯一で、他に神は存在しません。
「多神教」は宗教の堕落した形態であって、人間的な空想によって産み出された虚偽の知識です。神に関する真の知識は、唯一神の信仰の中に受け継がれているのです。
三位一体の聖書的根拠
神の言葉である聖書は次の事を明らかにします。
①神は唯一である。
②父なる神が存在する。
③子なる神が存在する。
④聖霊なる神が存在する。
神の言葉には偽りや間違いがないので、天地万物を創られた神は、このようなあり方で存在しておられることが解かります。このご性質を持たれた神のことを三位一体の神と言うのです。
LVJCC・ニュースレター【アーカイブ】
https://lvjcc.com/lvjcc_news_letter_5-2019/
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