ラスベガス日本人教会
DesertWind・ニュースレター February 2020
『みことばを宣べ伝えなさい』(第二テモテ4:1-2)
LVJCC 牧師:鶴田健次
今日は、テモテ第二の手紙4章の御言葉を開きたいと思います。この手紙は、パウロがローマの獄中から弟子のテモテに宛てたものですが、処刑の日が近づいていることを感じたパウロが世を去る前に愛するテモテにどうしても残しておきたかった言葉があったのです。
ところで、教会がこの世において、教会として存在している理由は何でしょうか。私たち教会は、結局のところ、何をするために存在しているのでしょうか。それは福音を伝えるためです。福音を宣べ伝えることによって、失われた魂が救われること、それが神が教会に願っておられることです。教会がそのことを忘れてしまうと、教会としての存在価値はなくなってしまいます。
最大の使命
福音を宣べ伝えることは教会の最大の使命です。それはイエス様が天に戻られる時に残された命令です。遺言と言ってもいいかも知れません。マルコ16:15、16でイエス様は、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます」と言われました。福音を信じる者は救われ、信じない者は裁かれて永遠の滅びに行くのです。
パウロはテモテに「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」と命じました。また彼はローマ書1章で、みことばを宣べ伝えることを「返すべき負債」だと言いました。福音は宣べ伝えても、宣べ伝えなくてもどちらでも良いものではありません。クリスチャンであれば、誰もが「返すべき負債」なのです。
自分が救われたことを考えれば、福音を伝えてくれた人がいたからこそ私たちは救われたのです。とすれば、今度は私たちが誰かに福音を伝えるべきではないでしょうか。時が良くても悪くても、みことばを宣べ伝えなければならないのです。
正しい福音
次に、教会は正しい福音を伝えなければなりません。教会の歴史を振り返ると、10〜16世紀までは中世の暗黒時代でした。教会が国家と癒着し、堕落してしまいました。神の国の拡大よりも、国家の権勢の拡大を求めたのです。そんな中で、1517年に宗教改革が起こりました。「信じるだけで救われる」という福音の真髄が再確認されました。閉ざされていた福音が、聖書と共に復興したのです。
ところが、17世紀から啓蒙主義が起こり、福音が聖書と共に捻じ曲げられるようになりました。福音と聖書を切り離して考えることはできません。なぜなら、正しい福音は聖書の中にあるからです。
しかし、啓蒙主義の影響を受けたキリスト教会は、「聖書にも誤りがある」ということを言い始めました。それを唱えるのが、リベラルと言われる人たちです。ひどいものになると、「他の宗教にも神様が啓示されているのだから、キリスト以外にも救いがある」と言い出す者がいました。
ガラテヤ書1:8には、「私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです」とあります。つまり、教会は使徒たちの教えの上に立っていなければなりません。使徒たちの教えに反することを語るなら、それは本当の教会とは言えません。
イエス様はペテロに、「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます」と言われました。天の御国のかぎとは福音のことです。なぜなら、人は福音を信じて、天の御国に入ることができるからです。福音を信じないなら、決して天の御国に入ることはできません。教会は福音というかぎをイエス様から預かっているのです。
どうか聖書の中に記されている正しい福音を宣べ伝えてください。聖霊が、皆さんの言葉を用いて、一人でも多くの人を回心へと導いて下さるようお祈りします。
すべてが主の導きの中で
証し:福富 英介
私がイエス様を知るに至った証しをさせていただきます。私の若い頃は、なぜか仏教関係の人々が私を誘ってきましたが、私の心に訴えるものはどの宗教もありませんでした。
その後、身の回りに色々な事があり、今までとは違う事をしたいと思い、小さい頃からの憧れであったアメリカに来ることになりました。偶然に友人も一緒にアメリカに行くことになり、二人で渡米して来たのが1979年でした。
当時はレストランでシェフとして働きながら取得するのが最も早い方法だと聞いていましたが、アメリカでは日本食ブームの初めの頃で、比較的スムーズにグリーンカードを取得することができました。合法的にアメリカに住める様になったので、お世話になったレストランで約半年程お礼として勤めた後、友人の自動車関係の仕事を手伝いながら、自分に合う仕事を探しました。
1984年のロスオリンピックの前の年、ロサンゼルスもその準備で世界中からのお客様を迎える為の設備、建築、道路を造っていました。当時は日本語のコミュニテイー雑誌はありませんでしたが、日本語の新聞広告を友人が持ってきてくれたので読んでみると、ガイドの募集の広告に目が止まりました。それを見て、これからは日本の人達がアメリカに沢山来る筈だからガイドの仕事をしようと閃いたのです。
当時のガイドのトレーニングは厳しく、あまり仕事がもらえなかったので、中国系で日本語を話す友達が不定期で働ける仕事があると言って、その当時あったミタのコピーマシン販売と両方を平行してやりました。
どこに行けばコピー機が売れるかを皆で考えたら(販売会社の人々で日本人は一人も居なかった)、貴方は日本人だから日本の会社に売ったらと言われ、日本の会社にセールスをしていたら、会社の人に教会もコピー機を必要としているだろうと言われ、教会に行きました。
ここからキリスト教にふれることになるのですが、それはロスの北にあるサンフェルナンドの小さな教会でした。そこにおられた杉村先生がとても優しく接して下さいましたが、この時、私のガイドの仕事が少しづつ忙しくなり、コピー機の販売から手を引くことになりました。翌年のオリンピック、また80年代のバブルのお陰で毎日の様に朝から夜中まで忙しくなり、杉村先生とはお会いすることもなくなりました。
その後、例の911が起こり、それまで非常に忙しかった旅行業が全く仕事がなくなりました。当初、社長も2002年の4月位迄にはお客が戻ってくるだろうと言われていましたので、何とかそれ迄はと思っていましたが、何とその後2年間、全く仕事がない状態が続きました。私も既に結婚し、子供もいる身で、何とかしなければと思い何でもやりました。
その頃、同じ旅行社の中で金井さんという韓国系の日本語を話す人と仲良くしていましたが、その金井さんが、「教会に来てみないか」と言われました。言われるまま、ある日曜日に教会に行ってみると、なんと彼が説教をしていたのです。彼と共に中村先生という方がおられ、キリスト教について話して下さいました。
ところがラスベガスに居る友達から911の時にガイドが殆ど辞めたので来て欲しいと言われ、取るものも取り敢えずラスベガスへ来た次第でした。当初は思ったほど仕事もありませんでしたが、次第にラスベガスが日本でブームになり、お客の数が増えていきました。
中村先生からラスベガスにも教会あるから行く様にと言われていたのですが、教会の場所が分からないまま数年が過ぎていきました。そんなある日、ロスの旅行社の時からの友人の松村さんから突然電話があり、「いまラスベガスに居る」と言って来られたのです。一年に一回くらい、今何処に居るという連絡があるだけの間柄でしたが、彼を通してラスベガスの教会を知ることができ、鶴田先生の入門クラスを受け、そこで初めて真の神様を知ることができました。
神様に出会うまで長い道のりでしたが、2011年12月18日に洗礼を受けることができました。教会では、松岡さんや多くの神の家族と知り合いになり、一緒に聖書の学びをしています。クリスチャンになったばかりの私ですが、少しずつお客様に神様の事を話すことができるようになりました。
これからは、もっと聖書を学び、この素晴らしい福音を人々に伝えていきたいと思います。
Desert Wind 2020年 2月号・ニュース
◆ 2月2日は午後2時より体操教室が行われます。どなたでもご参加できます。
◆ 2月6日10時より、栄子姉宅でネリスのSGの集会が持たれます。
◆ 毎週月曜10時から教会で聖書勉強会が持たれています。「目から鱗」のこの勉強会に是非ご参加ください。
◆ 2月9日の愛餐会後に役員会があります。役員の方々のお働きのためお祈りをお願いします。
◆ 2月16日の愛餐会後に婦人会の例会が持たれます。ひとりでも多くの方々のご参加をお願いします。
◆ りえ子・Mendoza姉と利美子・Parra姉が日本訪問中です。
編集室・気まま便り
北九州市周辺で店舗を増やしている「サンキュードラッグストア」について放送していた。この店は単にドラッグストアーとしてではなく、お惣菜から、衣類、杖まで取り揃えている。しかも近くには眼科、内科、産婦人科、小児科の診察所があり、介護施設と保育園が隣接している。
高齢者が住みやすい土地にしたいという社長の思いから次々と商品を置くようになり、ほとんどの生活必需品がそろうようにしてある。体が弱ってきている高齢者にとって大変便利な店である。
子供を保育園に預けた後、介護施設にいる親に会ったり、一緒に買い物に行き、そこで食事をしたり、診察に連れて行ったり、高齢者だけでなく、その家族の生活を考慮している事は大変便利であり、感謝されているようだ。
MN
△▼△▼ LVJCC キリスト教 Q&A △▼△▼
Q 天国と地獄ってホントにあるの? それってどんなところ?
神のことばである聖書は、死後の世界について明らかにしています。それは人間がどんなに考えても知り得ない世界であり、真の神だけが知られる世界です。聖書によれば、死はすべてのものの終わりではなく、死んだ後に永遠の世界があると教えています。そして、その永遠の世界は、天国と地獄で、罪が贖われている人は天国に、贖われていない人は地獄に行くことが定められています。
まず天国とはどういう所でしょうか。聖書では、「天国」が永遠の都、「新しいエルサレム」と呼ばれています。聖書によれば、今ある世界はやがて過ぎ去り、新しい天と新しい地が創造されることになっています。それが「新しいエルサレム」あるいは俗にいう天国のことで、聖書の中でこのように描写されています。
「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。・・・・・見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。
また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。・・・・・・都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。・・・・・・しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。」(黙示録21:1-4、23、27)
次に地獄について聖書は多くのことを語っています。聖書は地獄のことを 消えない火(マタイ3:12)、燃えるゲヘナ(マタイ5:22)、永遠の火(マタイ18:8)、永遠の刑罰(マタイ25:46)、火の池(黙示録20:15)などと言っています。
地獄が刑罰の場所であることを認める人はいますが、多くの人が、その罰を意識の無い絶滅状態と思っています。彼らは、意識を持った状態で永遠に罪の刑罰を受けなければならないとは理解していません。
もし彼らが正しければヒットラーは単に永遠に眠ることで罰を受けていることになります。彼の運命は、ただ単に生まれる前の状態に戻っただけで、本人は罰されていることすら自覚にないことになります。
しかし、聖書はそれとは異なる見解を持っています。自分が地獄にいることに気付いた金持ち(ルカ16:19-31)には意識がありました。彼は痛みを感じ、のどが渇き、悔恨の情に駆られました。彼は実際、苦悩の場所にいたのです。もし地獄が意識も何もない所であれば、地獄に関するイエス様の話はつじつまが合いません。
イエス様は言われました。「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。」(マタイ5:29)
地獄は本当の場所です。それは単なる無意識の世界ではありません。それは一時的な状態でもありません。それは永遠の苦しみです。おそらく、イエス様が天国に関する話よりももっと多くの地獄に関する話をされたのは、絶対にそこに行かないようにするための警告だったのでしょう。
もし、死ねばその人の存在がなくなるのであれば、なぜ人々に警告などをする必要があるでしょう。しかし、もし地獄が、永遠で、意識のある所であるとしたら、その警告は非常に意味のあるものになるのです。
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