DesertWind・ニュースレター December, 2022
『救いは神様の恵み』(エペソ書2:8-10)
LVJCC 牧師:鶴田健次
ところで、先週の火曜日、愛するマスエ姉妹が天に召されました。もう少しで95歳になられるところでした。お歳のせいか、急に弱くなられたので、身寄りのないマスエ姉妹を毎週二度ほど家内と一緒に訪問させていただいてました。
二か月ほど前に訪問した際に、少し冗談っぽく、「天国に行く準備はちゃんと出来てる?」と聞きました。するとマスエ姉妹は、「天国に行く自信がない」と言われました。
理由を聞くと、「最近は教会にも行けてないし、あまり善いこともしてないから」と言われました。私は、「教会に行くことや、善いことをすることが天国に行く方法ではないでしょ?」と言い、改めて、救いはイエス様を信じる信仰によるのだということを子供にも解るように説明しました。
それから、数週間して体調を崩し、入院されましたが、その時にまた改めて、天国に行くにはイエス様を信じることだけが道であることをお話すると、マスエ姉妹は、「私はイエス様を信じます。神様を信じます」と何度も繰り返して言っておられました。
① 信じるだけで救われる
エペソ2:8に、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です」とあります。神の言葉である聖書が教える真理は、人間は、良い行いや、修業や、難行苦行をしなくても、また、念仏を唱えたり、多額の献金をしなくても、ただ信じるだけで救われるということです。
もちろん、クリスチャンは良い行いをしなくてもいいと言っているのではありません。しかし、クリスチャンは、救われるために良い行いをするのではないのです。
むしろ救われた者が、救われた喜びをもって、感謝の心から自発的に良い行いをするようになるのです。救いはすべて神様の恵みです。ですから、「善人が死んだら天国に行く」というのは聖書の教えではないのです。
では、一体何を信じれば、人は救われるのでしょうか? それは、天地万物を造られた唯一の神がおられること、そして、その神が、ご自身の独り子であるイエス・キリストを遣わされたこと、また、キリストがあなたの罪のために身代わりとなって神に裁かれ、十字架で死なれたこと、そして、三日目に死からよみがえられたこと、これらのことを、ただ信じるだけで、あなたは救われるのです。
② 救いは恵みによる
8節から9節のところに、私たちが救われたのは、恵みによるのであって、行ないによるのではないと書いてあります。これはキリストの福音を理解する上で非常に大切なことです。
この世の人々は、天国や地獄の存在をまともには信じてはいませんが、もし仮に天国があったとした場合、たとえ神様を信じなくても、良い事をしていれば、なんとか天国に行けるのではないかという、かすかな期待を抱いています。しかし残念ながら、それは完全に空しい期待です。
永遠の天国が本当にあるとすれば、その価値は計り知れません。もしお金があれば、100兆円でも払って手に入れたいと誰もが思うはずです。それに比べて、人間の善行はどれ程の価値があるでしょうか。現実的に、私たちの善行に100万円払ってくれる人を見つけるのも大変です。]
つまり、私たちの善行によって天国を手に入れることなどできないということです。そこで神様は、この計り知れない価値のある救いをタダで私たちに与えることとして下さったのです。だから、救いは善行に対する報酬ではなく、恵みの賜物なのです。
③ あなたは神の作品
10節の前半に、「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです」とありますが、イエス・キリストを信じて救われた私たちは『神の作品』であるとパウロは言っています。この作品というのは、ギリシヤ語で『ポエマ』と言いますが、この言葉から英語の『ポエム』が生まれました。
つまり、私たちは神の芸術作品、英語の聖書では、この部分がmasterpieceと訳されていますが、神の『最高傑作』ということです。神様は、罪を犯し、神の怒りを買うしかない存在であった私たちを、神の愛と恵みによって、神の最高傑作として下さった。それがあなたなのだとパウロは言っているわけです。
パウロは、この作品である私たちは、「良い行ないをするように」造られたと言っています。私たちが救われるのは、行ないによるのではありませんが、救われた私たちは良い行ないをすることが求められています。
しかし、ここで注意すべきことは、「神が、その良い行ないをあらかじめ備えておられる」ということです。つまり、神様はご自分の計画の中に、私たちの良い行ないを通して、神実現をしようとしておられるのです。
Desert Wind 2022年 12月号 案内・ニュース
◆12月04日(日) 礼拝後持ち寄りランチがあり、その後、日英合同役員会があります
◆ 12月21日(水)午後5時より日英合同のキャンドルライトサ-ビスが持たれます。どなたでも歓迎ですので、知人友人をお誘いの上お越しください。
◆ 12月25日 (日) 日英合同でクリスマス礼拝が持たれます。礼拝後は、愛餐会が用意されていますので、皆さんでイエス様の誕生をお祝いしましょう。
◆ 12月28日(日) 11時から皆さんと共に年越しそばを頂いた後、一年を振り返り主に感謝する望年祈祷会があります。
『母の思い出』
証し:中島 マリ子
母は京都の老舗の呉服屋に生まれ、幼い時に父が病死したので、叔父一家と共に従姉妹達と暮らしました。20才の頃に甲状腺腫瘍を患い、疲れやすかったようですが、持ち前の気丈夫から戦争を超えて、兄と私を産み育ててくれました。娘の頃に京都で修道院のシスターに出会い、聖書の学びもしたのですが洗礼を受けるまでは至りませんでした。
私が小学2年の時、兄の友達のお母さんが伝道熱心な人で母に一緒に教会に行きましょうと勧めていましたが、母は中々教会へ行く気になれず、私だけサンデースクールに連れて行ってくださいと頼んだのです。後日母とミサに一度だけ行ったことを覚えていますが母は終始沈黙のままでした。
父は40代はじめから右手にリュウマチが出て、時々痛み苦しんでいました。会社の事情で50代はじめに広島県福山市に移っていきました。教育レベルが高いからと母と兄と私は東京の目白に残りました。父は幸い事務所の2階を住まいにして、賄いの人に食事を作ってもらっていたのですが、時々持病がでると連絡があり、母が看病に駆けつけていました。
父は3か月に1度の割で東京に会議があり上京していました。しかし、子煩悩な父だったので、私達子供達にとっては父のいない生活に慣れるのには時間がかかりました。
特に兄にとってはたまに帰って来る父には中々心の内を話せず、小中学校では常に成績優秀だった兄が高校に入った時は優等生が集まっている高校だったので、意気消沈してしまい、ある科目は初めて2という成績を取るという状況でした。
それからは好きな読書に耽ってしまい、坂を転げ落ちるように成績が下がり、母が先生から話を聞いて、暗い顔をして帰ってきたことがあったと記憶に残っています。
何年か経って、私が中島と出会い、和歌山教会に通う内に洗礼を受けたいと言った時は割合スムーズに母は承知してくれました。ただ結婚してカナダに住むとい
う話になった時は、急に反対をするようになり、揚げ句の果ては「聖書に年老いた両親をほって外国に住んでも良いという事が書かれているとしたら、それは愛の宗教ではない。」とキリスト教を非難するような勢いでした。私は大変辛い思いをしましたが、結婚した後もそれは続いて、母と私の隔たりは増すばかりでした。
1982年の春私はカナダからアメリカのロスに再移住して、9月初めに次男を出産した直後、18日父の急逝の知らせを受けたのですが、お葬式には帰る事ができませんでした。
ショックと悲しみのために私は涙に暮れる日々を過ごしていた時、12月はじめに母が急に洗礼を受ける決心をしたことを知らせてきました。それは近所にすむ和歌山教会員の方が母を礼拝に連れて行ってくださった時、教会で讃美歌320番を聞いて、聖霊の導きで母がイエス様を受け入れました。75才でした。
それから数年後に母の危篤の知らせがあり、急ぎ訪日して再会した時、別人のように母が穏やかな心境になっていて、謙虚に罪を認め、すべてを受け入れ、私の外国生活も初めて認めてくれました。
長年繰り返した悲しい母と娘の関係に終止符が打たれ、心から和解できた事を神様に感謝しました。諦めていた母の最期の看護に私はむしろ喜々として京都の病院に毎日通いました。母は私の顔を見る度に満面の笑顔で迎えてくれました。
日ごとに弱って昏睡状態の母を見ながらロスに帰るのは断腸の思いでしたが、3人の幼い子供達を連れて帰国してから約2週間後に母は天に召されました。79才でした。その時は悲しみよりもむしろ痛みも苦しみもない天国で神様と共にいる母の姿が浮かんできて、感謝と安心感で満たされました。
中島の両親と妹弟をはじめ多くの方々が母を時々訪ねてくださり、愛と忍耐とを持って接して下さったお陰で、頑固な母の心が砕かれ、神様を受け入れました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」使徒の働き16:31
編集室・気まま便り
去る7月に大谷選手の試合を見に行った。席が一塁の中段位だったので、顔がはっきり見えなかったけれども、「ショーヘイ・オオタニ」とアナウンスが流れる度に大歓声が起こり圧倒された。そしてマウンドに立った姿は背が高く、堂々としていた。
最近日本に帰国してインタービューがあり、その中で「私自身は余り記録には拘わっていないです。ただ自分の可能性の限界を見極めようとしているだけです。」と冷静に答えていた。
大谷選手の二刀流を見込んだコーチが「まれにみる才能を持ちながらも謙虚な人柄が決め手だった。」と語っていた。怪我や手術を乗り越えて全力投球する姿は多くの子供達に勇気と希望を与えている。同時に日本人の良さも広めていることが感謝である。MN
△▼△▼ LVJCC キリスト教 Q&A △▼△▼
Q 聖書的には人類の年齢はどれくらいですか?
A 宇宙や地球や人類の年齢については、進化論者と創造論者との間に大きな論争があります。進化論者によれば、宇宙の年齢は約150億年、地球が約45億年、そして人類が約200万年と言われています。また、私たちは学校でそう教えられてきたので何の疑いもなくそれを信じています。しかし、これらの数字は果たして信頼に値するものでしょうか。
では、まず人類の年齢について検討したいと思います。現在よく使われる年代測定法の一つに「炭素14法」と呼ばれる測定法があります。これは、WillardLibby博士が考案したもので、彼はこのためにノーベル賞を受賞しました。この方法は4000年前位までのものならば、年代の分かっている考古学的文書や資料との比較によって、その信頼性が確認されています。
それ以上さかのぼる場合は、確かな考古学的資料がほとんどないために、その信頼性をチェックできませんが、多少の誤差はあっても、かなり信頼できる年代測定法と考えられています。Libby博士は、この方法によって人類の化石を調べ、人類の年齢を推定しました。
その結果、人類の年齢として数百万年という数字が出たでしょうか。実は、そのような膨大な数字は出ませんでした。彼は論文の中で、人類の遺骸に関して到達できた年代はどんなに長く見積もっても2万年から4万年くらいであると結論付けています。
また、E・Hallonquist博士も、炭素14法で調べられた様々な標本について次のように述べています。「ホモ・サピエンスの最も古い化石の一つと考えられている 頭蓋骨(進化論者が20万~30万年前と教えているもの)は、炭素14法で8500年を示したにすぎない。アウストラロピテクスは100万年から200万年前のものとされているが、アウストラロピテクスが発見されたと同じ位置のエチオピアのオモ川渓谷の動物の骨の年代は炭素14法で1万5500年を示したにすぎない。ジャンジャントロプスが発見されたと同じ所の、アフリカのケニアのオルドパイ渓谷の哺乳動物の骨は200万年前と報告されているが、わずか1万100年を示したにすぎない。」
炭素14法の年代測定に関しては、大学の図書館に行き、科学閲覧室でRadiocarbon誌を取って自分で調べれば、このようなことを裏付けることができます。この雑誌に記されている年代と、その調査結果を見ると驚きます。いわゆる有史以前の化石の炭素14法による年代測定が数百人の科学者によってなされているのです。
その中にはネアンデルタール人、クロマニョン人、ブロークンヒル人、マンモス、マストドン、犬歯がサーベル状に発達したトラ、及び他の絶滅動物や化石の木、森、石炭、石油、天然ガスの年代もすべて含まれ、これらはわずか数千年の古さにすぎないのです。
これは、一体どうしたことでしょう。進化論者がとてつもなく長い年月を与えている化石も炭素14法によればどれもが2万年以下です。人類の年齢も2万年以下です。聖書によれば、人類の年齢は約6000年です。これは進化論者の言う200万年よりも遥かに炭素14法の測定結果に近いです。しかし、炭素14法にも測定誤差があることと聖書の信頼性を考えれば、人類の年齢は6000年であると私は信じています。
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