ラスベガス日本人教会
DesertWind・ニュースレター January, 2021
『キリストの愛に変えられた人』(ヨハネ21:1-17)
LVJCC 牧師:鶴田健次
ある白人牧師が刑務所を訪ね、黒人が半数を占めるカフェテリアで、自分の過去について囚人たちに話しを始めました。彼の名前はジョニー・クラリイ牧師です。
オクラホマ出身の彼は、憎しみに満ちた最悪の家庭環境で、アルコール中毒の父親に育てられました。父親は、ジョニーが11歳の時、彼の目の前で、拳銃自殺をします。彼は、お姉さんに引き取られ、そこでお姉さんの恋人から虐待を受け、憎しみの種がさらに蒔かれていきます。「殴られれば殴られるほど、憎しみが増していった」と彼は言います。
彼はKKKという白人至上主義団体の仲間に加わり、その後、坂道を転がり落ちるように、憎しみの人生を歩んでいきました。またKKKの中でも、特に暴力的犯罪に関わる組織でその頭角を現していきます。彼がまだ14歳の時でした。
1979年、彼は、あるラジオ番組で運命的な出会いをします。それは、当時、オクラホマで黒人の地位を向上させる働きをしていたウェイド・ワッツという黒人牧師との出会いでした。彼はジョニーとの議論のためにラジオ局に呼ばれたゲストでした。ジョニーがどれ程ひどい言葉でワッツ牧師を罵倒しても、ワッツ牧師は愛でジョニーに答えました。
その出会い以来、ジョニーはワッツ牧師への執拗な嫌がらせをするようになります。ワッツ牧師の家の前で、大声で彼を罵倒し、庭にゴミをばらまきます。すると、ワッツ牧師が外に出て、「お茶でも飲んでいくかい?」と笑顔で言葉をかけます。
ある時、ジョニーは、たくさんの仲間たちを連れ、KKKの白いシーツをまとい、ワッツ牧師の家を囲みます。すると、ワッツ牧師は、「ハロウィーンはまだ先だと思ったがなあ・・・」と声をかけます。それからも、繰り返し、何度も嫌がらせを続けますが、ワッツ牧師の絶対に崩れない愛が少しずつジョニーを変えていきます。
何年かが過ぎ、KKKを去ったジョニーは聖書を読み始めるようになり、やがてイエス・キリストに出会います。彼はワッツ牧師のところに行き、その後、二人は一緒に旅をしながら、神様への道と人種差別反対を説いて回ります。1998年にワッツ牧師が天に召される前、ジョニーは、ワッツ牧師の働きを受け継ぐ約束をします。
そして、アメリカ中の刑務所を回りながら、囚人たちに、ワッツ牧師を通して表された神の愛を語り続けています。「神が私のような者を許してくれるなら、あなた方がどうして許されない事があろうか?」 多くの囚人たちは、泣きながらジョニーのメッセージに耳を傾けました。
人は誰でも、色んな理由で、人生の挫折、人生の行き詰まりを経験します。ジョニー・クラリイ牧師もその一人でした。しかし彼は、神様の愛によって変えられ、挫折からの回復、敗北からの勝利を経験することができたのです。
さて、イエス様の弟子のペテロもまた人生の挫折と敗北から立ち直った人です。ペテロという人は、キリストの弟子の中でもリーダー的な存在でした。行動派というか、情熱派というか、考える前に行動し、口に出してから考えるような人でした。だから、「あんなこと言わなければ良かった。あんな事しなければ良かった」と、後で後悔することがしばしばでした。
イエス様が海の上を歩いておられるのを見て、自分も海の上を歩きたいと言い出し、イエス様に導かれて歩き始めたかと思うと、風と波を見たとたんに沈み始め、あわててイエス様に助けてもらったり、また、イエス様の事を、「あなたこそ生ける神の子キリストです」と告白しておきながら、一晩のうちにイエス様を三回も裏切ってしまったことがありました。
あるいはまた、たとえどんな事があっても、死ぬまでイエス様に付いて行きますと誓っておきながら、ローマの兵隊がイエス様を捕らえに来たとき、彼は一目散に逃げて行きます。そういう意味では、ペテロという人は、自分の言葉に責任も持てない、また約束も守れないような人でした。
そんなペテロが、やがて偉大な使徒と呼ばれる人に変えられていくのです。彼は、多くの迫害の中にありながら、死をも恐れず大胆にイエス・キリストが神の子であり、このキリスト以外に救いはないことを宣べ伝える人に変わっていきます。そういう意味で、ペテロという人は、いわば敗者復活の人生を生きた人です。
では一体何が、敗北者のペテロを勝利者のペテロに変えたのでしょうか。また、何がペテロの失敗を成功に変え、臆病な漁師を聖霊に満たされた伝道者に変えたのでしょうか。それは紛れもなくキリストの愛でした。
Desert Wind 2021年 1月号 案内・ニュース
◆ 1月3日(日)日英合同で新年礼拝が持たれ、2021年の教会標語が示されます。なお、礼拝後はポットラ ックで新年ランチョンが持たれます。どうぞお友達をお誘いのうえお出かけ下さい。どなたでも大歓迎です。
◆ 新年は1月3日の週から従来のすべての定期集会が持たれます。
◆ 1月10日(日)日英合同の役員会が持たれます。役員会の働きのためにお祈りください。
◆ 1月17日(日)の礼拝後は婦人会が持たれます。
◆ 新型コロナの一日も早い収束を祈りましょう。
『すべてが神様の御手に』
証し:坂東三恵子
私は、1942年四国徳島市内に、4人兄弟の長女として生まれました。病弱な母を助けて妹の世話をする、おとなしい少女でした。
3歳の時、空襲にあい焼夷弾の下を逃げ回り、県庁の建物の中に逃げ込み煙の中で泥水をタオルにしみ込ませて口に当て煙をふせいだり、防空壕の中では手の指のひょうそうの手術を受けました。今でもその傷口を見ると、その時の事を思い出します。
父はとても厳しい人で、部活の帰りが遅いと学校の前まで迎えにくる事もしばしばありました。食事の時も、父が席に着くまでは、じっと我慢でした。父はお酒が大好きで、家族の顔を見ながら大好きなぶどうをつまみに晩酌しながら、2時間も3時間もかけて食事をしました。そんな父を見ながら、私は絶対酒飲みとは結婚しないと心に決めました。
高校は、県内でも特に厳しい女子高で、男の人と話ししている所を見つかると休学、髪型は三つ編み、スカート丈は膝下何センチ、と決められていました。兄も父と同じく厳しい人で、自分の友達とはつきあうなとか色々と言われました。本当に箱入り娘とは私のことでした。
東京オリンピックの年に結婚しました。徳島に病気の母を残し、後ろ髪を引かれる思いで東京に行きました。父は一週間、お酒も飲まず、食事もできず泣いてばかりいたようです。それから3年間の間に、父、母、祖母、とたてつづけに亡くしました。なかなか子供に恵まれなかったのですが、やっと一人授かりました。
それから14年間、幼稚園の先生として働きました。その後、かけはぎ(衣類の虫食いやカギザキをもとに戻す)という仕事をし、独立しました。それが面白くてアメリカに移住する直前まで続けました。
娘は私の思いとは裏腹に反対の事ばかりして、、、この頃から、何か大きな力?今思えば神様が働いていて、この子は私の子というよりも、神様から預かっていると思うようになり、心が休まりました。アメリカに行くと言った時も、この子の道はもう決まっているのだからと思い、反対はしませんでした。ただ毎日元気でいて欲しいとお祈りしていました。
主人が定年して一年後、娘からアメリカに来ないか、と言われました。私の方は仕事が面白くて未練があったのですが、主人の一言でアメリカ行きを決めました。アメリカに来てからは、先にクリスチャンになった娘の勧めもあり、聖書入門クラスを受け、イエス様を信じる決心をしました。そして、徐々に全ての事が神様のご計画であり、導きであったと思えるようになりました。現在は、娘夫婦と孫娘の5人で仲良く暮らしていける事に感謝しています。
結婚して48年、亡くなった父の教えでもある、子供の前でケンカしてはいけないという教えを守り、夫婦円満です。これからも仲良く暮らしていきます。孫娘の世話で忙しい日常ですが、将来、色々とやりたい事がたくさんあります。これからは健康にも気を付けて、その色々な事に頑張って挑戦していきたいです。「わたしが計画したあなたの将来は希望に満ちています。なぜなら、わたしは永久に変わらぬ愛であなたを愛しているからです。」(エレミヤ書 29:11、 31:3 )
娘に勧められるまま受けた入門クラスではありましたが、以前、漠然とした思いでお祈りしていた私は、あの戦火の中を逃げのび生かされて、また、思いもよらない娘の誘いで住み慣れた日本を離れ、アメリカで暮らすようになった事、これは全てが神様の守りと導きであり、ご計画であったと確信して心から感謝しています。真実の神様を知ってからは、お祈りももっと具体的になり、生きて私と共におられる神様が、私の願うときでなく、神様の一番良い時に聞き入れてくださるので、それを信じて祈るようになりました。
これからの人生が、主により頼みつつ、豊かものとなるように、全知全能の神様にすべてを委ねて歩んでいこうと思います。 感謝。
編集室・気まま便り
私はカナダのトロントに12年、アメリカに38年、合計50年の海外生活を通して思ったのは、見ず知らずの人達の何気ない笑顔や思わぬ親切に大いに励まされて暮らしてきた。
たとえば昔マーケットで買い物してたまたま小銭をもっていなくて、1ドルとか、10セント程足りないという事があった時、後に並んでいる人が嫌な顔するどころか、ポケットから1ドルだして、「ほら」と気さくに差し出してくれたり、レジの女性が「いいよ。私が出しておくから。」と笑顔で合図してくれたりした。
本当にそれが極日常の事として、しかもこちらが惨めにならないように、対応がとても明るい。人々の親切を通して神様の愛が伝わってくる。
MN
△▼△▼ LVJCC キリスト教 Q&A △▼△▼
Q 神はすべてのものを造られたとありますが、サタンも造られたのですか?
A まず答えを先に言いますと、サタンはもともと神によって造られた天使でした。サタンの起源を理解するためには、人間が存在する以前まで時間を遡る必要があります。創世記1章1節は、「はじめに神は天と地とを創造された」と語っています。しかし、聖書は一箇所の御言葉ですべての事を語ることは稀で、その詳しい事情を知るためには、聖書の他の箇所を開かなければなりません。
たとえば旧約聖書のヨブ記を見ると、神の自慢の信仰者であったヨブが突然、凄まじい試練に遭い、神の裁きに疑問を持ち始めたとき、神は彼に神を問題にする知恵すらないことを気付かせるために鋭い質問を投げかけられます。そこで神は、ヨブへの質問のかたちを取りながら、ご自身の創造の業について、若干の詳細を明らかにされました。
「わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。あなたがもし知っているなら、だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった。」(ヨブ38:4-7)
ここで神は、天地創造のとき、人はこの世に存在しなかったので、誰もその時の模様を知ることはできなかった事実を明らかにしておられます。神は、宇宙に浮かぶ地球を「目も眩むほど美しい宝石」と言われました。また創造の出来事はとても素晴らしかったので、天使たちはみな喜び叫んだのです。
つまり、霊的な存在として神によって造られた天使たちは、神が地球を造られたときに既に存在し、神と心を合わせてこの世が造られたことを喜んだのです。ところが世界が作られた後、このように神と心を一つにしていた霊的な存在であった天使の一人に劇的な変化が起こるのです。
「あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見いだされた日まではそのおこないが完全であった」(エゼキエル書28:15)
「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった」(イザヤ14:12)
ルシファー(明けの明星)は、神が造られた完全に義なる天使でした。ところが、彼はその自由意志を乱用し、神に従うことを拒否しただけでなく神を倒そうとしたのです。もちろんそのクーデターは未遂に終わり、失敗しますが、それ以来、彼は神に敵対する者として反逆の道を歩むことになります。
では、神はルシファーが反逆することを事前に知り、止めることができなかったのでしょうか。もちろんできました。しかし、そうはされませんでした。なぜでしょう。これについては、譬えとして、よく結婚が用いられます。つまり私たちはロボットのように自分で愛する相手を選べない人と結婚したいと思うでしょうか。それとも自分の意志で好きな人を選べる人間と結婚したいと思うでしょうか。もちろん答えは後者です。
天使は、自由意志のない機械のような存在として造られたのではないのです。神は天使に従うことを強制されませんでした。自由意思を与えることで選択の自由を与え、自分の意志で神に従うことを望まれたのです。そして、数え切れない多くの天使たちが神に従う道を選びましたが、ルシファーは神に敵対する道を選んだのです。
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