DesertWind・ニュースレター January, 2023
『こんなに素晴らしい救い』(へブル書2:1-9)
LVJCC 牧師:鶴田健次
へブル人への手紙は、もともとユダヤ人キリスト者たちに宛てて書かれたもので、そのテーマは12章2節の「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」ということです。当時、ユダヤ人キリスト者たちは、イエス・キリストを信じたばかりにユダヤ教徒たちから様々な迫害を受けました。
そこで彼らは、自分たちはこんな苦しみに会っている。これから先イエス・キリストに従っていくことは私たちの人生にプラスだろうか。そんな思いを持つようになり、彼らの中には、再び昔の仲間のところに帰ろうと考える人たちも出てくる始末でした。ある意味、彼らは自分たちの態度をはっきりさせることを迫られたのです。
そんな中で、ヘブル書の著者は、「もう一度、イエス・キリストという方を見直そう。あなたが信じているイエス・キリストは、旧約聖書のモーセやエリヤなどの預言者よりもはるかに優れた方だからだ」と言って、彼らを励ます必要があったのです。
① 押し流されないようにしなさい
2章1節を見ると、「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません」と言われています。この冒頭の「ですから」というのは、1章で語られた内容を受けての言葉です。1章では、神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して語られたが、この終わりの時には御子によって語られた、とありました。
御子は、神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れです。ですから、御子を見た者は父を見たのです。神がどのような方であるかは、御子を見ればわかります。御子は万物の相続者であり、創造者です。そしてその力ある御言葉によって今も万物を保っておられます。この方は王の王、主の主です。ほかの何ものにも比べることのできないほどに偉大な神です。
また御子は、御使いから礼拝されるお方です。御使いよりも遥かに優れたお方です。まったく比べものにもならないほどに偉大なお方です。「ですから・・・」と繋がるわけです。ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかりと心に留めて、押し流されないようにしなければならないのです。
② こんなに素晴らしい救い
私たちが救われるために神が用意して下さったものを「福音」と呼びます。福音とは「良い知らせ」という意味です。神は、私たちを罪から救うために、まず律法を与えて下さいました。それは、これをすれば救われるとか、これをしなければ救われないというものですが、残念ながらこの律法を守れる人は一人もいませんでした。むしろ、律法を守ろうとすればするほど、自分がいかに罪深い者であるかを知らされるだけでした。
そこで、神の律法が与えられた本当の目的は、私たちを律法によって救うことではなく、私たちに罪の自覚を与えるためだったということが解ったのです。つまり律法の目的は、すべての人が罪人であることを明らかにし、人々をイエス・キリストのもとに連れて来ることだったのです。
神は、律法とは別に、律法と預言者とによって証しされた救いの道を用意しておられました。それがイエス・キリストによる救いです。このキリストを信じる者は、だれでも救われるということ、それがキリストの福音です。ですから、この福音の真理をしっかり心に留めて、この世の流れに押し流されないようにしなければなりません。それが生まれ変わったクリスチャンの生き方です。
③ すべての人のために死なれたキリスト
キリストは神の栄光の輝き、神の本質の完全な現れ、神ご自身であられたのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。そればかりか、キリストはご自分を卑しくし、死にまで父なる神の御心に従い、実に十字架の死にまで従われたのです。 それはすべての人のためでした。ユダヤ人だけでなく、ギリシャ人も、また私たち日本人も、すべての人のためだったのです。
それは私たちの罪を贖い、私たちに与えられていた支配権をサタンから奪い取り、やがてキリストとの共同の相続人となって、千年王国を支配するようになるためです。最初の人アダムは罪を犯したので神から与えられたこの祝福を失ってしまいましたが、最後のアダムであるキリストは、その失った支配権をサタンから奪い取るために、人類の代表として十字架で死に、三日目に死からよみがえることでサタンに勝利されたのです。
私たちは、最初の人アダムに与えられた支配権を回復したのです。やがてもたらされる千年王国でその事が明らかにされることでしょう。ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかりと心に留めて、押し流されないようにしなければならないのです。
Desert Wind 2023年 1月号 案内・ニュース
◆1月01日(日) 元旦礼拝、その後、各自が目標とする新年の御言葉の分かち合いをします。
◆ 1月08日(水)は新年日英合同礼拝で、一年の教会標語が紹介されます。礼拝後は持ち寄りランチがあり新年会が持たれます。
◆ 1月15日(日)の礼拝後は日英合同で役員会が持たれます。
◆ 1月22日 (日) 礼拝後、婦人会の例会が持たれます。
◆ 日本訪問中の玉城春子姉、屋部あけみ姉の安全と祝福をお祈りしましょう。
『神の絶妙なるタイミング』
証し:ラブ・優子
私が救われたのは17年ほど前でした。その時両親は反対しなかったものの、宗教に無関心でした。三年後、両親が35年続けたレストランを閉めて、ラスベガスに引っ越し、以来8年間息子と私と4人で暮らすことになりました。その間、両親は特別なイベントに顔を出す程度で、礼拝には8年間で数回参加したのみでした。ある時、「教会は、わらをも掴むほどに困っている人が行くところなんでしょ。弱い人が行くところで、自分たちは自分の力を信じているから必要ないの。」と言われたので、よほどのことがない限り、教会に誘うのをやめました。とにかく自分の生き様で主を証することに専念しました。
2016年に、母の病がきっかけで両親は日本に帰国し、1年後に癌が発覚し、すぐに手術を受け、その後も抗がん剤治療を何度か受けました。そして通院に便利な新潟市内に引っ越ししました。
そして2021年の9月末に、突然兄と父から連絡が入り、母の余命は3週間程と医師に告げられたと聞かされました。私は日本に向かうための作業に入りましたが、日本入国の壁に遭遇しました。コロナ禍で、外国人の入国が禁止されていたため、アメリカに帰化した私には、日本入国にビザが必要であることが判明しました。特例でVisaを発行してもらう為には、母の病の診断書と、母との関係を証明する戸籍謄本が必要になり、さらには、日本国籍喪失手続きを踏む必要がありました。
一方コロナ禍で、母は入院中面会が一切許されない状態でしたが、なぜか急に母とフェイスタイムを使ってビデオ通話ができるようになり、母とは会えないかもしれないと思い、携帯越しに福音を伝えて、イエス様を自分の救い主として信じるか?という問いに、母は大粒の涙を流して頷きながら「うん信じる」、とはっきりと答えました。
次に父にも福音を改めて伝え、父にイエス様を救い主として信じるか?と聞いたら、なんと、父もあっさりと「うん、信じる」と答えたのです。「信じるものは皆救われるってこう言うことなのね !」と、父の方から言われ、私はびっくり仰天のあまり、「神様、ありがとう!」と雄叫びをあげました。
その後不思議な導きがあり、私のビザが特例で発行され、日本に帰国することができました。しかしコロナのために2週間の隔離規制があり、新潟のホテルで2週間過ごす覚悟でいました。その時母が自分の病状と最期は家族と過ごしたいという思いで、在宅療養を強く希望したので、医師がそれを理解して退院が許可され、私も自宅で過ごす事が許されました。
自宅療養になった事を新潟聖書教会にお伝えすると、牧師さんが訪問して下さることになり、母も楽しみにしていたのですが、その日は、急に容態が悪化し、鎮痛剤のため意識もほとんどない状態でした。
牧師先生は、「明日洗礼式を行うために、また来ますね」と母に伝えると、その時母は、力を振り絞って頷きました。その後母の容態はさらに悪化し、私は急いで牧師先生に明日まで持たないかもしれないことを伝えると、「今から洗礼式の準備をして向かいます」と言ってくださり、その夜、牧師先生ご夫妻が洗礼式のために再び訪問してくださいました。
二人の洗礼式が始まり、まずは父から洗礼の恵みに預かり、続いて母の洗礼を執り行い、最後に頌栄を賛美して先生が祝祷を祈った後、無事洗礼式を終えた喜びを分かち合おうと母を見ると、ちょうど最後の息を引き取ったところだったようで、母はなんと洗礼式の直後に天に召されたのでした。平安な顔で、天に凱旋して行きました。
あまりの絶妙なる神様のタイミングに、牧師先生ご夫妻と私たちは、「こんなこともあるもんなんですね〜神様は、凄いお方です。」と神様を崇めました。牧師先生もその後の母の葬儀のメッセージで、「一生忘れられない洗礼式となった」、と語ってくださいました。
「神はわれらの避け所、また力。苦しむ時、そこにある強き助け」 (詩篇46篇)
編集室・気まま便り
去年はロシアとウクライナ戦争のために全体として暗いニュースが多かったが、11月中頃から始まったサッカーのワールドカップに世界中が熱狂した。日本チームは惜しくもベスト8に残れなかったが、その健闘を見た多くの人々に勇気と希望を与えた。
決勝戦のアルゼンチンとフランスの試合はこれぞ世界一の対決と思わされる場面がたくさんあったが、私にはアルゼンチンの選手が皆胸元で十字を切って天を見上げる姿に感動した。カソリック信者の多いアルゼンチンの人々の敬虔な姿と、神様へのゆるぎない信仰と仲間への深い愛が伝わってきた。
聖書に「恐れるな。雄々しくあれ。」と言われているように、新年を迎えて私達も常に神様を見上げ、すべてを委ねて勇気を持って主を証しする者でありたいと思った。MN
△▼△▼ LVJCC キリスト教 Q&A △▼△▼
Q ノアの洪水の水はどこから来たのですか?
A 約4500年前、地球上の全陸地を水没させた「ノアの大洪水」…。この地球全土を覆いつくした膨大な量の水は、一体どこから来たのでしょうか。
聖書の創世記1章6-7節には、「神は仰せられた。『大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ』 神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった」と記されています。この「大空」は大気のことで、「大空の下の水」は海洋のことです。
そして、「大空の上の水」というのは、空中に浮かんでいる雲のことではなく、原始地球の上空を覆う膨大な量の水蒸気からなる「水蒸気層」のことです。そして、この水蒸気層が、ノアの時代に四十日四十夜の大雨となり、世界大の大洪水をもたらしたのです。
創世記7章11-12節にはこう記されています。「巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。」 つまり、この膨大な水蒸気層の安定性が崩れ、四十日四十夜の豪雨となって地球全体に降り注いだのです。この水蒸気層の安定性を崩した要因として考えられるのは、彗星や小惑星などの落下、あるいは地球上の火山の噴火などです。その詳細は紙面の都合で省略しますが、水蒸気層の安定性が崩され、水蒸気層が膨大な量の雨となって落下し、それがノアの洪水をもたらしたのです。
それからもうひとつ、天の水門(上空の水蒸気層)の他に、巨大な大いなる水の源(深い地下の泉)が洪水の水の水源だったようです。当時、地殻の下には大量の水層があり、それが地震や噴火などの地殻変動によって裂かれ、地下から水が大量に溢れ出たということです。こうして上からも下からも大量の水が地表に注がれたと聖書は解説しているのです。
では、洪水の水はどこに行った?
そのように地球全体が洪水で覆われた訳ですが、果たして洪水の後、その水はどこに行ったのでしょうか。聖書は、洪水の水と現代の海洋の水とが同じであることを示しています(アモス9:6、ヨブ38:8-11)。しかし、もしその水がまだ地球上にあるなら、なぜ最も高い山に至るまで水に覆われていないのでしょうか。
詩篇104篇にその答えが示されています。「あなたはこれを衣でおおうように大水でおおわれた。水はたたえて山々の上を越えた。あなたのとがめによって水は退き、あなたの雷の声によって水は逃げ去った。山は立ちあがり、谷はあなたが定められた所に沈んだ。あなたは水に境を定めて、これを越えさせず、再び地をおおうことのないようにされた。」
褶曲岩石層の新しい山系を支える新しい大陸の陸塊が、洪水以前の地形を浸食し平らにした地表を覆う水の下から持ち上げられ、それによって大きな深い海洋の窪みができあがり、そこに洪水の水を収容することができたのです。もし地球全体の表面の地形が平らにされるなら、海洋の水域は地表を2.7kmの高さまで覆ってしまうことになります。
しかし、このように新しい山系を造り、海洋の中に大きな深い窪みを造ることによって、人間が住むことのできる広大な大陸が出来上がったのです。つまり、明らかにノアの洪水の水は、今日の海洋の中にあるということです。
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