LVJCC・ニュースレター | June, 2021

ラスベガス日本人教会

DesertWind・ニュースレター June, 2021

当然の献身』(ローマ書12:1

LVJCC 牧師:鶴田健次

私たちの信仰生活は、私たちの感情ではなく、聖書の正しい理解の上に築き上げられなければなりません。それは、建物で言えば、土台です。土台が確かなものでなければ、その上に建つ建物も安定がありません。

イエス様が山上の説教の中で教えておられるとおり、御言葉という岩の上に信仰生活を築いた人だけが、どんな時にも揺るがない信仰の歩みをすることができるのです。

そこで今日は、ローマ書12:1から、神を第一にした献身的な信仰生活を送るための最も基本的な心構えについて考えてみたいと思います。

① 献身の根拠

ローマ人への手紙の構成は、1-11章までが教理、12-16章が教理に基づく実践についての教えです。そこで、まず12章1-2節は、12-16章にある実践の教えの要となるところで、この部分をしっかりと理解することは実践の教えを実行するために非常に重要なことです。

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(12:1)

この1節の冒頭に「そういうわけですから」という接続詞が使われていますが、この接続詞によって、12章からの実践の勧めは1-11章までの教え全体を理解しているという前提で語られていることを意味します。

つまり、「1-11章に記されている福音のメッセージを、あなたが本当に理解し、信じて、救われたのであれば、これ
からは自発的に、自分のすべてを神にささげる心で生きていくべきではありませんか?」という文脈で、パウロは「そういうわけですから」と言っているわけです。

② しもべの心

自分の全存在を神に捧げるとは、「神のしもべ」になるということです。パウロも、この手紙の1:1で、自分のことを「キリスト・イエスのしもべ」と言っています。「しもべ」というのは原語のギリシャ語では「ドゥーロス」という言葉で奴隷を意味します。

レビ記25章に、「ヨベルの年」に関する規定がありますが、ヨベルの年とは解放の年です。ヨベルの年がやってくると、負債は帳消しにされ、失った所有地も戻り、奴隷の身分であった者も自由の身になることができました。

ところが、その奴隷の主人が素晴らしい主人であった場合、自由の身になった奴隷の中には、自分の意志で、そのままその主人のもとで奴隷として仕えていくことを選ぶ者もいたのです。「神のしもべ」というのは、そういう意味合いが込められている言葉です。

つまり、主イエスによって罪の奴隷から解放され、自由の身となった者が、自分の意志で、自分から進んで神の奴隷になるのです。そして、その神は愛と憐れみに富んだお方で、私たちをご自分の命以上に愛して下さる方なので、その方のしもべであることが本当に感謝であり、喜びなのです。

ですから、「キリスト・イエスのしもべ」という表現は、非常に逆説的な言葉だと言えます。それは、不自由であるかに見えて実はとても自由であり、弱い者になったかのように見えて実は強い者にされているのです。そして、キリストのしもべは、どんな奉仕をする時も「神様のためにしているのだ」という思いを忘れてはならないのです。

③ 当然の献身

1節の後半で、「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」と言われてますが、これは旧約聖書の供え物の制度を思い出させる表現です。

ここに、「それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」とありますが、この「霊的な」のギリシャ語は「ロギケー」で、「理にかなった」、あるいは「当然の」という意味です。ですから「霊的な礼拝」というのは、「理にかなった礼拝」、「当然の礼拝」ということです。

つまり、罪のために永遠の滅びが定められていたあなたを救い出すために神の子キリストがご自分の命を犠牲にされたのであれば、今度は、あなたが自分の全存在を神に捧げることが最も理にかなった、当然の生き方ではありませんか?とパウロは言っているのです。

19世紀の英国のクリケットのチャンピオン、C.T.スタッドは、その富と安楽な生活を、遠い中国で神様に仕えるために捨ててしまいました。その彼がこういう言葉を残しています。

「もしイエス・キリストが神であり、私のために死んでくださったのなら、イエスのために何をすることも、私は困難とは思わない。」 あなたはこの言葉をどう思われますか?



Desert Wind  2021年 6月号 案内・ニュース

6月6日(日)は日英合同礼拝です。David Love兄がメッセージを執り継がれます。

◆  6月13日(日)の礼拝後に日英合同で役員会が持たれます。 役員の働きのためお祈りください。

◆  6月20日(日)父の日礼拝となります。

◆  6月20日(日)午後1時よりPeter Mercado兄の葬儀が当教会にて持たれます。

毎週月曜日の10:00AMよりZoomでの聖書クラスが持たれています。どなたでもご参加ください。



『戻って来た放蕩息子』(上)

証し:タッド・セイガー

私は、カナダはオンタリオ州キングストンという街で、4人の兄弟姉妹の一番下として生まれました。3歳の時に両親が離婚したので、姉と私は母と一緒に家を出ることになりました。母は一生懸命に働いて家計を支えてくれたので、一度も不憫な思いをした事はなく感謝しています。何度も引越しをしその度に学校も変わりましたが、私が9歳から13歳まで、母は少ない家計をやりくりしてキリスト教精神の私立学校に通わせてくれました。

幼い頃から毎週日曜日は教会に母や姉と一緒に通い、そのこと自体はあまり楽しみではなかったのですが、振り返ってみるとその学校で受けた教育は、私に信仰の芽を植え付けてくれたように思います。また家のすぐそばに住んでいたいとこ達の家庭がクリスチャンで、平日の自由時間の殆ど、そして夏休みは朝から晩まで近くの湖で泳いだり走り回ったり、冬は湖でアイスホッケーをして遊んだりして、それはとても楽しい時代でした。いとこ達のクリスチャン家庭で多くの時間を共有できたことは、信仰的な面でも私に良い影響を与えてくれたと思います。

でも、高校に上がった頃からだんだん信仰心も影を潜めて来て、大学に行く頃には教会に行くこともやめてしまい、祈ることも殆どしなくなっていました。母はそれでも、神様の御心を求め、聖書を読むよう事あるごとに忠告してくれましたが、私はまるで放蕩息子のように、自分の人生を自分の思うがままに生きるようになっていました。

その後20代始めに出会った女性と結婚しました。母は喜んではくれましたが、クリスチャン女性と結婚することをずっと願っていたので、少しガッガリさせてしまったと思います。私たちはカリフォルニアに引っ越し、新生活を始めました。良い仕事にも恵まれ、家も購入し、クルーズバケーションに出かける等、全てがうまく行っているように感じました。神様を信じることを忘れたわけではないのですが、その頃の私は“生ぬるい信仰”以下の信仰でした。

暫くすると、子供が欲しいという話題が上がるようになりましたが、心のどこかでその事を避けている自分に気がつきました。というのも、父親をほとんど知らずに育った自分と向き合う事になると知っていたからです。しかしその話題を避けることも出来なくなり、その時に何年かぶりに神様へ真剣な祈りを捧げるようになりました。

初めは父親になる事への恐れの祈りでしたが、それが父親になりたいという願いの祈りへと変わり、ついに息子が与えられた時は感動の涙が溢れ、祈りを聞き入れてくださった神様への感謝で心が一杯になりました。ところがこのような素晴らしい出来事があったにも関わらず、放蕩息子の私は神の家に戻ることはまだしませんでした。子育ては本当に楽しかったのですが、次第に結婚生活に影が見え始め、ついには離婚に至ってしまいました。

まだ幼い息子のためにもそれだけは避けたかったので、神様にすがるようにして祈りました。これは父親になることについて真剣に祈った祈り以来の真剣な祈りでしたが、離婚の道を避けて通ることはできませんでした。全てのプロセスが終わるまでの道のりは本当に辛いものでした。しかし神様は私を憐れみ、その辛い状況を乗り越えられるように支えてくださいました。しかし、私はそれでも神様に完全に立ち返ったわけではありませんでした。

独身に戻ったことで、暫くすると、大学時代のように自由を楽しみ、結局教会に戻りませんでした。それから数年が経ち、私は真剣に付き合いたいと思える女性に出会いました。しかし半年が経った頃、何と彼女が末期の乳がんであることがわかりました。私は再び主にすがるようにして、彼女の癌が癒されるようにと必死に祈りましたが、彼女の容態は悪化してしまいました。

死を目前にしている彼女がまだ神様を知らなかったので、信仰へと導きたかったのですが、どうして良いのかわかりませんでした。彼女が死を迎えた時に、強い自責の念にかられ、どん底に突き落とされたようでした。その時に初めて自分の今までの罪、“神様に従わず、自分勝手な人生を生きて来たこと”を悔い改め、“生ぬるいクリスチャン”を辞めることを神様に約束しました。放蕩息子は、落ちるところまで落ちて、ようやく父の待っている家路につく事を決心したのです。(つづく)

 



編集室・気まま便り

日本に長年住む外国人が文化習慣の違いについて自由に意見を交わす番組で、「すぐ謝る日本人」という事を取り上げていた。 コロナに罹り入院し、回復して退院した人が「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」と謝っていた。

誰に対しての言葉で、どうして謝らないといけないのかという感想でした。唯一オーストラリア人が「互いに謝り合う日本の文化習慣は大変よい。問題をおさめる。」と評価していた。又「負けるが勝ち」ということわざも日本にはある。 表面的には平和にみえても建前と本音の二重人格で世渡りしていくのと、口角泡を飛ばして議論し合う欧米ではあるが、翌日は互いに笑顔で挨拶し合う事ができるという切り替えは見事である。MN



 

LVJCC キリスト教 Q&A

Q 同性愛に寛容でないキリスト者と教会が迫害されている昨今、その対処方法は?

 

A アメリカの教会は同性愛をめぐって大きく揺れています。教会ばかりではありません。学校でも軍隊でも、アメリカ社会全体が、未だにこの問題をどう扱ったらよいのか答えを出せずに模索しています。この同性愛をめぐる真剣な議論は、アメリカ特有の現象だと言えます。その背景にキリスト教があることは言うまでもありません。

 

同性愛は昔からあるものです。創世記にある「ソドムとゴモラ」の物語は、全世界への神の警告です。ソドムとゴモラは、性的に堕落した町でした。神はその町を調べ、天から火を下して滅ぼし、罪に対する裁きを現されたのです。そして、その神は今も生きておられ、同じ基準でその問題を見ておられることを私たちは知るべきです。

しかし、かつて伝統的に悪とされたことは、今や善となり、善は悪とされています。モラルの逆転が始まっているのです。モラルの倒錯は、聖書的に見て、罪の最終段階だと言えるでしょう。

近年、同性愛に対する見方がメディアによって塗り替えられてきました。同性愛に対して否定的な人は、まるで差別主義者のように扱われるようになりました。同性愛を肯定するニュースが頻繁に流されています。

なぜ同性愛を特別扱いで伝えるのでしょうか? 同性愛を広めることに、なぜこんなにも世界が躍起になっているのでしょうか? 人々に同性愛を勧め、差別を無くすと言いながら、同性愛を認めない伝統的価値観を持つ人を、新たに差別するのは変ではないでしょうか?

かつてはどの国でも同性愛は密かに行われていたことで公には出せない恥ずべき事として認識されていました。それは人の良心が罪を指摘するからです。しかし、それを罪だとはっきり明文化しているのは聖書だけです。

聖書によれば、同性愛は罪です。罪とは的外れを意味し、異常なことを表します。しかし、この異常なことを正常なことに置き換える考え方が、今世界中で広まっているのです。 これは「時のしるし」です。全世界が神の裁きを受ける最終段階に入っているのです。

「これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」(ルカ21:28)

現代のキリスト教会では、不思議なことが起こっています。キリストの福音の真理が語られず、牧師が人の好みに合わせて説教をしているのです。この世の成功や繁栄の話が好まれ、神の正義や裁きや罪といった話は不人気なので、人々の好む話だけをするのです。ついには聖書の教理を否定する牧師も出てきました。

同性愛を公然と認める牧師もいます。彼らは柔和で敬虔そうに見えても、実のところ聖書の教理を否定する者たちです。今や教会が腐敗を止める地の塩の役割を果たせない時代が来たのです。背教が起こり、教会が堕落することは聖書に預言されています。教会が堕落する結果、世界の腐敗は加速度を増すことになるのです。これも「時のしるし」です。

「産みの苦しみの初め」に起こる、これらの「時のしるし」の前兆を見たら、クリスチャンは頭を天に向けなさい、とキリストは命じておられます。なぜでしょうか? 教会の贖い(携挙)が近づいているしるしだからです。

モラルの逆転が始まっている今日、同性愛に寛容でないキリスト者と教会に及ぶ迫害に対する対処法は、その迫害に決して屈することなく、教会の贖いが近いことを覚え、大胆に御言葉を語ることです。

 



 

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