LVJCC・ニュースレター | March, 2021

ラスベガス日本人教会

DesertWind・ニュースレター March, 2021

『天に宝を蓄えなさい』(マタイの福音書6:19-21

LVJCC 牧師:鶴田健次

今日の御言葉のすぐ前のマタイ6:1-18には、ユダヤ人たちが大切にしていた三つの宗教的善行が取り上げられています。そして、そこには「偽善者たち」という言葉がそれぞれの善行をしようとする者たちに語られています。

偽善というのは、神と自分との間に「人」が入り込む時に生じるものです。つまり「施し」「祈り」「断食」という善行において、人からの評価がその善行の隠れた原動力になっているとすれば、その善行さえも偽善にすぎなくなります。人の前から隠れたところで善い行いをするところに、その人が神の前で生きていることの証しがあるのです。

さて、今日のマタイ6:19-21節では、神と自分との間に「物」が入って来ることで貪欲に陥ることが教えられています。貪欲に陥ると、それに心が捕らえられて神が見えなくなり、やがては神に依り頼むことをしなくなってしまう危険をイエス様は教えておられます。したがって「神」か「宝」かという究極的な選択に私たちは迫られることになるのです。

① 自分の宝を地上に蓄えてはならない

19節を見ると、「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます」とあります。ここでは「宝」という言葉が大事な役割を果たしています。

私たちにとって宝というのは、自分にとって最も大切なもの、決して失いたくないもの、自分の心に喜びと満足を与えてくれるもので、必ずしも「お金」とは限りません。人は誰でも、例外なく有形無形の宝を持っています。

例えば、富、趣味、仕事、家族、才能などです。イエス様は、その「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい」と言われました。なぜなら、「そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗む」からです。

では、「自分の宝を地上に蓄える」とはどういう意味でしょうか。それは、自分が持っている有形無形の財産を人生の土台、また人生の拠り所として生きることです。

② 自分の宝は天に蓄えなさい

イエス様は20節で、「自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません」と言われました。自分の宝を天に蓄えるとは、決して失われることのない神様の恵みを信頼し、それを人生の土台また拠り所として生きることです。

神様の恵みは、イエス・キリストにおいて現され、与えられています。まず第一に、神様はその独り子を私たちと同じ人間としてこの世に生まれさせて下さいました。第二に、イエス様は私たちの全ての罪を背負って十字架に架かり、死んで下さいました。それによって私たちは罪の赦しを与えられ、神様の恵みの中に立ち返ることができました。

第三に、神様はそのイエス様を死者の中からよみがえらせ、それによってイエス様を信じる私たちにも肉体の死の向こうに永遠の命に生きる希望を与えて下さいました。そしてさらに第四の恵みとして、復活して天に昇られたイエス様が再びこの世に戻って来られ、その時に贖いの業が完成する希望が与えられています。

これらの恵みが、イエス・キリストにおいて、私たちに与えられています。この恵みを人生の土台とし、それにふさわしく生きることこそ天に宝を蓄える生き方だと言えます。

③ 自分の宝のあるところに自分の心もある

イエス様は21節で、「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」と言っておられますが、これはどういう意味でしょうか。これは、「あなたが最も大事にしているもの、そこにあなたの心は向いている」という意味です。

つまり、ここで問われていることは、私たちが何を宝としているかということです。ここでは「あなたの」と言われていますから、私たち一人一人が個別にそれを問われているのです。

あなたにとっての宝は何であるか?とイエス様は問うておられるのです。その問いに対してどう答えるか。そこで、神様がイエス様において与えて下さった恵みを自分の人生の宝として、また拠り所として生きていくことが「天に宝を蓄える」ことだと言えます。

それに対して、もし私たちが自分の持っているもの、様々な意味での豊かさに依り頼み、それを土台として生きるならば、それは「地上に宝を蓄える」ことです。

天に宝を蓄えるか、それとも地上に宝を蓄えるかは、私たちが何を本当の宝とするか、どこに心を向けて生きるか、ということにかかっているのです。



Desert Wind  2021年 3月号 案内・ニュース

3月07日(日)日英合同礼拝が持たれます。

毎週月曜日の10:00AMよりZoomでの聖書クラスが持たれています。

◆  3月14日(日)の礼拝後は日英合同役員会が持たれます。役員会の働きのためにお祈りください。

新型コロナの一日も早い収束を祈りましょう。


『永遠の命の恵み〜真史を偲んで〜』

証し:セイガー 治美

最愛の妹真史は、昨年2020年1月3日朝7時、愛する夫と家族が見守る中、自分のCDのピアノの音色に包まれ、最後は痛みもなく、平安のうちに天に凱旋しました。

その顔は微笑んでいるようで、本当に安らかに見えました。ピアノコンサートで着用した真っ白いドレスを着せてもらい、あふれるような花に包まれ棺に横たわっている妹の姿は、地上でのしばしのお別れ、そして天国への旅立ちにふさわしく見えました。

香登教会のゴスペル・ホールでの告別式には300名もの会葬者があり、妹の音楽仲間の美しい音楽と花々で満たされ、悲しみの中にも神様の深い平安と慰めに溢れ、まるで式場に天国が降りてきてくれたように感じました。

妹は2012年秋に直腸癌を患い、そして2013年秋には乳癌、その後一度は回復したように見え、2017年春に結婚しましたが、その年末には乳癌が肺に転移してしまい、その後じわじわと進行してしまいました。その進行性ガンと戦いながら天国に行く1ヶ月半前までピアノ演奏と証しの活動を続け抜きました。

闘病中に2枚のCD制作にも取り組みましたが、ぎりぎりまで体調が悪い中、当日になると不思議に力が与えられ制作を成し遂げることができました。また肺に転移後も片肺に胸水を溜めたまま演奏活動を続けるなど、闘病中色々な形で何度も危機が訪れましたが、神様がいつも守ってくださり、担当医はその度に奇跡的だと言っていたそうです。

2019年12月上旬に、父が牧会する教会でのクリスマスコンサートを控えた妹が緩和ケア病棟へ緊急入院したとの知らせを聞いて、私は頭が真っ白になりました。それは、もう先が長くないってこと?つい数ヶ月前まで、年が明けたら新しい治療に取り組むって言っていたのに?神様、今回も妹を守ってくださいますよね?祈りつつも心が混乱したまま急いで荷造りをして、翌日日本に向かう飛行機の中では色々なことが頭をよぎって涙が止まりませんでした。

実は妹のがんは脳まで転移していていたのです。その脳腫瘍の画像を見たときはあまりの大きさとおぞましさに言葉を失いました。藁にでもすがる思いで、癒される方法はないのかと担当医に聞きましたが、今の医学ではもう手の施しようがないので、緩和ケアのある病院に入院となったとのことでした。

それから過ごした妹との日々は本当にかけがえのない時間でした。家族で一緒に祈って、賛美して、そして昔の写真を見ながら思い出話をして、たくさん笑いました。病室は家族全員が揃うと、かなり手狭ではありましたが、なんとも言えない、ずっとそこに居たいような心地の良い平安がいつも感じられました。一日一日がこんなに貴重に思えた時は今までになかったかもしれません。

しかし、日に日に弱っていく妹を見るのは心が壊れていくようで、ついつい涙がこぼれてしまう私に妹は、「お姉ちゃんはこう見えてもか弱いから」と言って逆に気遣ってくれたりしました。私が覚えている限り、一度も自分がこの地上にいなくなってしまうことを言いませんでした。

だんだん眠っている時間が長くなって来るその姿を見ながら、まるで戦い抜いた戦士が、横たわっているようだと思いました。我慢強く、一度決めたらそれに向かって突き進んで行く。家族としてはガン治療を優先して体を休めてほしいと願っても、ピアノを弾き続けることを最後まで諦めなかった妹。最後となった演奏会では、残る力を振り絞って弾ききったその姿に、会場からはすすり泣きが聞こえたそうです。

「ここまで本当に良く頑張ったね。」思わず寝顔につぶやいていました。妹は、本当はもう自分の時間が地上ではそう長くないと心のどこかで覚悟を決めながら、最後までずっと未来を見て走り抜けたようでした。そしてその未来とは、永遠に続く天国の世界だったのではと思います。病室でクリスマスの音楽を流していたとき、「イエス様は神様なのに、私たちのために馬小屋で生まれてくださったんだよね」

と、愛おしそうにつぶやいた妹の顔は平安そのものでした。後日、妹の祈りと願いにより献身して仙台の神学校で学んでいる夫の治哉さんから、妹との祈りやデボーションの時間は、体が弱っていても最後には毎晩2時間くらいになったと聞きました。体の機能が死に向かってだんだんと低下して行く中、それと反比例して妹の魂は天国の平安を求め、そこへと近づいて行っていたのだと思います。(つづく)


編集室・気まま便り

コロナもワクチン接種が始まり治まりつつあるので、1月末から1週間ミシガンに住む次男の家を訪ねた。

10月に2人目の女の子が生まれ、私にとっては6人目の孫との対面が叶った。健康で順調に育っているベビーを抱いて、生命の力強さが伝わってきた。始終両手両足をバタバタさせるし、首は180度動く。

外は雪が積もり、池は凍っているが、孫達は返って喜んで雪で遊んでいた。家の中は暖房が効いて温かく、家族の久しぶりの再会に笑いが絶えなかった。

内陸に位置していても東洋系のマーケットで大きな鯛やタコや貝類等々がそろうし、珍しく美味な和牛を次男がローストして歓待してくれた。「いつも喜び、常に祈り、全てに感謝」であった。

MN

 



 

LVJCC キリスト教 Q&A

Q イエスの復活が肉体の復活であったことがなぜ重要なのですか?

A  イエスの復活は、キリスト教の基本的また本質的な教義です。イエスの復活は、それ無しではキリスト教が無意味なものになってしまうほど重要なものです。

パウロはIコリント15:14で、「キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです」と言いました。

また彼は15:17において、「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです」と言っています。

クリスチャンの間には、様々な異論がありながら、それでもクリスチャンであり続けることはできますが、復活の問題は別です。イエスの復活を否定する人は、キリスト教の核心を否定することであり、その人はクリスチャンではあり得ません。

しかし復活の問題は、イエスが本当に復活したかどうかと同時に、どのように復活したかということも重要な議論です。残念なことに、異端はキリストの復活を攻撃し、真実とは違う解釈をしようとします。そして、それによってキリストの肉体の復活を否定するのです。

イエスは、死なれた時と同じ肉体をもって復活されたのでしょうか。それとも肉体のない霊的な復活だったのでしょうか。この問いに対する答えは極めて重要です。それは本物のクリスチャンと偽物のクリスチャンを分けるものです。つまり、ここにこそイエスの復活の正しい教義があるのです。それは真理の声明として、単独で作動し得る非常に重要なものです。

イエスは、死んだ時と同じ肉体をもって死からよみがえられた。この復活の体は栄光の体であった。

この声明こそ聖書の正しい教義です。そのように、イエスの復活は肉体を持たない霊的な復活であったと主張する「エホバの証人」などに対して、その間違いを明らかにします。このような異端のグループは、キリストの復活に関する聖書の明らかな宣言を否定しようとはしませんが、それが実際には起こらなかったとするために復活の意味を変えようとするのです。イエスは果たして死なれた時と同じ肉体をもってよみがえられたのでしょうか? もちろんです。

復活の後、イエスは食べることができました(ルカ24:42-43)。イエスは釘跡の付いた手足を人々に見せました(ルカ24:39、ヨハネ20:27)。また人々はイエスの足を抱いて礼拝することさえしました(マタイ28:9)。そして、イエスが復活されたことを聞いたトマスは、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない(ヨハネ20:25)」と言いました。その後、イエスはトマスに現れて、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい(ヨハネ20:27)」と言われました。もしイエスの肉体がよみがえらなかったなら、十字架刑の釘跡は足と手になかったでしょう。

このようにイエスは確かに肉体をもって死からよみがえられたのです。それは神の計画に基づく預言の成就であり、イエスは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられたのです。つまり、初穂があるということは、その後に大量の収穫が続くということであり、キリストの復活に続いて多くのキリストを信じる者たちが復活するということです。そして、ここにこそキリスト者の究極の希望があるのです。

 



 

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