LVJCC・ニュースレター | November, 2019

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ラスベガス日本人教会

DesertWind・ニュースレター November, 2019

 

『驚くべき発見』(第一コリント2:6−14)

LVJCC 牧師:鶴田健次

ところで、皆さんは「再生医療」という言葉を聞かれたことはありますか? 再生医療とは、事故や病気で失われた自分の皮膚や臓器や骨の一部分を自分の体の細胞を使って増殖させ、再生し、元の状態に回復させるための医療のことです。

人体の細胞の中にある遺伝子には、体を作るあらゆる情報が記録されていて、自分の体の細胞を取り出し、それを培養することで、もう一度、皮膚や臓器など、さまざまな体の組織や器官を作ることができるのです。

そうなれば、長い間、臓器の提供者を待つ必要もなく、移植された臓器の拒否反応を心配する必要もなくなるわけです。これは本当に驚くべき発見だと言えます。しかし聖書の中には、そのような発見が影を潜めてしまうほどの『驚くべき発見』があります。今日は聖書の中で明らかにされた三つの驚くべき発見についてお話します。

天地万物を造られた神がおられるということ

天地万物を造られた神を発見することは、遺伝子の組み換え技術を発見することより遥かに驚くべき偉大な発見です。聖書は、創世記1章1節で、「初めに、神が天と地を創造した」と言っています。また使徒行伝17:24では、「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主です」と言われています。

単純な真理ですが、これを発見するということは実に偉大なことです。なぜなら、本物の神を発見すれば、人生の意味と目的と価値を見出すことになり、さらに永遠の命を得ることができるからです。

詩篇14:1を見ると、神はいないという人は愚か者だと言われています。なぜでしょう。神を否定すれば、神に絶えず見られている事実を否定できるので、不正を行っても平気で生きていけるからです。ところが現実は、いつまでも、そういう生き方が通るわけではないのです。そういう生き方を続けると、やがて必ず行き詰る時がやって来るのです。

イエス・キリストは私たちの救い主である

この世の宗教は、死後の世界に備えるために、様々な行いを要求します。しかし、どんなに立派に生きている人も、あなたの行いは天国に行くのに十分ですか?と聞かれると、誰も自分の行いに自信のある人などいません。たとえばモーセの十戒を前にして、無罪を主張できる人がこの世にいるでしょうか。

絶対にいません。聖書が言うように、すべての人は罪を犯し神の栄光を受けられなくなったのです。しかし私たちが聖書の中に見出す驚くべき発見は、「神は、実に、そのひとり子を十字架につけられるほどに、この世を愛し、イエス・キリストを信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得ることができるようにして下さった」ということです。

神は、あなたが滅びることを望まれません。あなたが神のもとに来て、罪の赦しと、永遠の命を受け取るように招いておられるのです。

人は神のかたちに似せて造られた

自分は何者であり、何をなすべきかという、心の中に持っている概念をアイデンティティーと言いますが、聖書の中に見出される私たち人間のアイデンティティーは、自分が神のかたちに似せて造られた存在であるということです。神無しの世界観で生きる人の多くは、人間の先祖はチンパンジーだと思っています。

人間を動物の一種だと考えています。そのように教えられてきたからです。そういうところからは、人間の尊厳というものは生まれてきません。彼らは、人間と動物との間にある決定的な隔たりの要素を知らないのです。

それは人間が神のかたちに似せて造られているということです。自分の中に何を見るかということは、自分の生き方を決めます。また他の人をどう見るかということは、その人との人間関係を決めます。

自分を肯定的に見れば、肯定的な人生を生きることになり、否定的に見れば、否定的な人生を生きることになります。他の人を肯定的に見れば、良い人間関係が生まれ、否定的に見れば、人間関係が壊れてしまうのです。

 



私の半生と神様

証し:クラフト・サリー

 

私は1933年1月1日に、朝日と共に東京の亀戸に生まれました。父42歳、母24歳の時でした。父親は特に私を大変可愛がってくれて、父の愛情をたっぷり浴びながら育ちました。その父親は、私が6歳の時に亡くなりました。

わがままいっぱいに育てられた私には、父親のいない世界は子供心にも苦しみ以上何ものでもありませんでした。それほど父親が大好きでした。この世の全てを呪い、父親が恋しくて毎日泣き暮らしました。

大東亜戦争が始まり一年一年と激しくなり、1945年終戦の年の3月10日に東京の大空襲に遭い、生と死の間を一中夜さ迷い、火の粉の中で夢うつつに「眠ってはいけない」と言う声が聞こえてきました。私は夢中で、「神様、助けて」と叫びました。それから2日間意識が無く、気が付いた時には小学校の講堂で母親と一緒にいました。

手足はひどい火傷で、治るまで2年かかりました。私はそのとき、助かったのは神の導きだと思いました。この初めて出会った神様をそれ以降探し回り、神仏を捜し求めましたけど、なかなか逢うことが出来ませんでした。

19歳の時、主人と職場で出会い結婚しようとしましたけど、彼の母親に、若すぎるからという理由で反対され、21歳まで待とうと2人で決めました。信仰深い彼は、横田基地の教会に私を連れて行き、2人で将来を誓い合い、その後、彼はアメリカに帰されました。そして私達は彼が21歳、私が22歳の秋に結婚して、1956年アメリカに渡りました。

1959年にフロリダ州で長男を授かり、天にも昇るくらいの喜びに浸りました。でも、生まれた赤ちゃんは、まるでこの世の罪を全部背負っているかのように、身体中にアレルギーが出て、かゆくてかゆくて掻きまくり、毎日全身血だらけでした。

泣き騒ぐ彼を一晩中抱きながら、何で私だけがこんな苦しみに遭わなければならないのか、「神様、私の赤ちゃんを助けて」と泣きながら祈りました。祈っている間に気が付いたのです。これは多分神様が私に与えた試練ではないかと。その後、私と主人はニュージャージー州に行き、彼の両親の教会で長男に洗礼を受けさせました。私は祈りました。

「どうぞ、神様、この子があなたを信じ、神と共に成長しますように」と。長男はアレルギーに加え、色々な病気で生死をさまよいましたけど、彼の傍にはいつも神様がいて守って下さいました。それから、長女と次男にも恵まれました。私の主人は1993年、子供達の祈りの中で天国に召されました。

現在私は、長い間捜し求めていた神様と会い、ラスベガス日本人教会で洗礼を受けて、正式にクリスチャンになりました。ですが、嫉妬深い心、人の目を一日中気にする心、すぐ誘惑のとりこになってしまうことなど、今までの自分が持っていた罪に悩まされて、常に罪悪感を感じていました。そこから抜け出そうと努力をすればするほど悩みは深まるばかりです。

このような感情に支配されている自分を見て、私は自分がいかに弱い存在であるのかということがわかりました。私は自信過剰な心や余計なプライドを投げ捨てて、ピリピ2:3にある「何事も党派心や虚栄からするのではなく、へりくだった心をもって互いに人を自分より優れた者としなさい」という御言葉を心に刻み付けて、毎日神様に祈り続けました。

いつしか願いは聞き届けられ、200もあった血圧が下がり、今の私の心は平和に満ち、神に愛されている喜びであふれています。

これから一生かけて聖書をもっともっと勉強して、十字架の福音を伝え、一人でも多くの人たちが永遠の滅びから救われて、永遠の命を得られるように、また、神様の愛が如何に深いかを伝えて行きたいと思っています。私もまた霊的成長をしていきたいと思っています。

天の神様、あなたの栄光を褒めたたえます。私の残りの人生を、どうぞあなたの御心のままに用いて下さい。

イエス・キリストの父なる神様、今日も誠実にあなたの御前を歩む事が出来ますように。主、イエス・キリストの御名によりお祈りします。アーメン




 

Desert Wind  11月号・ニュース

  11月3日(日)2:00PMより体操教室が行われます。

11月4日に栄子姉が、13日には薫姉とFred兄が日本を訪問されます。旅の安全と祝福をお祈りください。

11月7日(木)の10時よりサリー姉宅でSGの集いが持たれます。

11月24日(日)の礼拝は日英合同の感謝祭礼拝となります。絶えず注がれる主の恵みと祝福に目を向けながら心からの感謝をもって主を礼拝しましょう。なお、礼拝後はポットラックで感謝祭ランチョンが持たれますのでご期待ください。

◆  鶴田牧師ご夫妻が結婚40周年を迎えられ、11月26日から12月5日まで休暇で日本を訪問されます。おめでとうございます。12月1日の礼拝は日英合同礼拝でJ C兄弟がメッセージを執り継がれます。



編集室・気まま便り

先日ドイツを旅して日本同様公共交通機関が発達していて大都市フランクフルトには大きな駅があった。ふと駅に入った時改札がないのに気が付いた。従って道路から直接ホームに入ることができる。電車に乗ってからラッシュ時でも車掌が回ってきて切符を確認していた。

調べたところ国土の広さは日本とほぼ同じだが山が少なく、平地が多く、人口は4千万人少ないとこういう事がなりたつのかと感心した。又ホームにいくのに階段を昇り降りしなくてもよいので身障者や高齢者には大変過ごし易くできていた。

合理性プラス全ての人々への深い配慮が感じられた。又国民の60%がクリスチャンという事なので人々の正しい判断に任せているのだと思った。信頼し合う人間関係が基礎になっている社会は麗しい。

MN



 

LVJCC キリスト教 Q&A

Q なぜ神は、地震、台風、津波などの自然災害が起こることを容認なさるのですか?

 

この質問は、神を信じる者には、愛の神がなぜ多くの人命を奪う自然災害を容認されるのか?という素朴な疑問ですが、神を信じない人には、神が存在するなら自然災害を容認する筈がない、という神の存在を否定する思いがあるかも知れませんね。

 

まず、この疑問について考えるには、神は愛であり、私たちを愛し、すべての人のために素晴らしい計画を持っておられるという神への信頼が必要になります。神は長きに渡って人間が生きるのに必要なもの(太陽、空気、水、地の作物)を与え続けておられますが、それを神のおかげと感謝もせず、何か災害があると、それが神のせいででもあるかのように考えやすいものです。

そもそも自然災害はなぜ起こるのでしょう。天地創造の際、神は自然界を完全な秩序のもとに造られました。それは、自然界がこの地上に何の災いももたらさないものとして造られたということです。しかし、人間が罪の支配に服することとなったとき、その罪の支配は自然界にまで及び、その秩序を破壊し、この地に災いをもたらすものとなったのです。

また神は地上のすべての被造物の管理を人間に委ねられましたが、堕罪後の人間は、創造の秩序に従って自然界を管理することを怠り、欲望を満たすために多くの自然災害を引き起こす原因を作りました。

たとえば、かつてアフリカ北部に広がる砂漠は、肥沃で、美しい森林地帯でした。ところが、そこにあった木が、人間によって、過去何世紀にも渡って伐採され、その結果、表土が侵食されてしまい、あたり一帯が砂漠化してしまいました。そして人々は、肥えた土地を求めて南に移動しながら木を切り続けたために、当然のことながら、砂漠も南下していったのです。

人間が自然の生態系のバランスを壊したために、アフリカ北部には900万平方キロに及ぶ砂漠が広がり、その結果、そこでは莫大な数の人々が毎日、餓死しているのです。つまり、自然災害の究極的な原因は人間の罪であり、また同時に、人間を苦しめ、人間に神を信じさせないようにさせるサタンの仕業なのです。

では、なぜ神はこのような自然災害を容認なさるのでしょうか。これについては色んな理由が考えられますが、ひとつには、自然災害による悲しい経験を通して、人々の心を神に向けさせます。その苦難のおかげで、人々は自分の人生において何が一番重要かを再吟味させられるのです。

ジョン・バニヤンは「試みと苦難は、私たちに神様を探し求めるようにする」と言いました。神の人類に対する究極の目標は人類の救いなので、神は自然災害を用いてさえそれを導かれるのです。また、自然災害による苦難の経験は、人々の中にある良いものを引き出します。

悲しみや苦しみの経験は、人々の中から憐れみ、愛、優しさ、謙遜、思いやりを引き出します。しかし、それでも私たちの心には、神が自然災害を阻止されないことに疑問が残ります。

ハンドリー・モールは母親から一枚のしおりをもらいました。そのしおりの一面を見ると、やり方も知らない人が刺しゅうをしたように糸のもつれしか見えませんでした。ところが裏側を見てみたら、そこには”神は愛なり”という綺麗な文字が刺しゅうされていたそうです。

このように、私達は今日、多くの出来事を裏側から見ているのです。しかし、やがて主が来られる時、私達は表側からその出来事を見て、どうしてこのような事が起こったかが理解できるようになるのです。