LVJCC・ニュースレター | August, 2019

ラスベガス日本人教会

DesertWind・ニュースレター August, 2019

 

天地は滅びても、主の言葉は滅びない』 

LVJCC 牧師:鶴田健次

人類最初の人アダムの堕落によって、彼の中に罪が入 り、その子孫であるすべての人間は生まれながらに罪を 持つ者となりました。そしてこの罪のために、人は一度死 ぬことと、死んだ後に永遠のさばきを受ける定めの中に 置かれてしまいました。

しかし、憐れみに富む神は、罪の ために永遠の滅びが定められている私たち人間を愛し、 私たちをその滅びから救い出すために救いの計画を立 てられたのです。そしてその実現のために、神は一人の 人物と彼から出る一つの民族を選び、その計画を委ねら れます。それがアブラハムでありイスラエル民族です。

ところが、悪魔の勢力は、もろもろの時代を通して神 の計画に対抗し、神がイスラエルと結んでおられる契 約関係を消滅させようと企てました。そして紀元70 年、ローマはエルサレムにある神の神殿を破壊し、 ユダヤ人をイスラエルの地から追放したのです。

しかし、神はご自身の民と彼らに対して立てられた 計画を決してお忘れになりませんでした。神の預言 者たちは、ユダヤ人が祖国を失い、流浪の民として 世界中に散らされ、行く先々で迫害を受けることを預 言しましたが、果たしてユダヤ人たちはその預言どお りの歴史を辿ることになります。

ところが、神はイザヤ やエゼキエルなどを通して、終末の時代が近づいた 時に、選民イスラエルが世界の至る所から連れ戻さ れ、自分たちの国を再建することを預言しておられた のです。

この預言の成就は、わずか百年ほど前に始まり、 現在もフルスピードで続いています。神はイスラエル の地とイスラエルの民を、やがて来られるメシアのた めに備えておられます。聖書は預言の言葉で満ちて

いて、それらは現在、私たちの目の前で実現し続け ているのです。これは教会にとって興奮すべきことで す。なぜなら、もし神がイスラエルに対する約束に真 実であられるなら、教会に対する約束にも真実であ ることが分かるからです。

イエス様は、ご自分の再臨と終わりの時のしるしについ て、「イスラエルの回復を見たら、私の来るのが近くなっ たと思いなさい」と教えられました。イスラエルの回復に ついては、聖書の至るところで預言されています。

それら の回復の預言の中には、霊の回復、土地の回復、民族 の回復があります。霊の回復とはイスラエル人たちがキ リストを信じる信仰によって救われることです。預言者エ レミヤはイスラエルの民は必ず霊の回復をすると預言し ています。しかし、この霊の回復の前に、土地の回復、民 族の回復が必要です。

祖国を追われたユダヤ人たちは、約1900年間、流浪 の民として世界中をさ迷いながら、度重なる迫害を受け ながらも、ユダヤ人としてのアイデンティティを失わずに 生きていきました。

預言者エゼキエルは、神がユダヤ人 たちを散らされた国々から集めると預言しました(エゼキ エル 34:13)。これは土地の回復の預言であり、1948年 のイスラエルの建国によって成就しました。またイエス様 はイチジクの木のたとえを通して、イスラエルの建国を見 たら、「イエス・キリストの再臨が近いと考えなさい」と教え られたのです。

イスラエルの国が預言どおりに回復したということを知 った時、私たちは聖書の真実を思わずにはいられませ ん。また神の歴史支配をさらに意識します。聖書は神の 言葉です。旧約聖書に記録されている預言が今の時代 にことごとく成就しています。

語られた神の言葉は、時が 来れば、必ず、その通りに実現していくのです。天地が滅 びても、主の言葉は決して滅びることがないからです。



50年目に信仰告白

江橋 津世

主の御名を崇めます。

半世紀以上も前の事ですが、当時小学生だった私 は、日曜日の夕方になると我家の前の国道を笑顔で 手を振りながら通過される車の中のお方に、最初は恥 じらいながら、その内、手を振って応える事が楽しいこ とになっていました。

やがて、近隣の町、村が合併した中学へ通うことに なり、新しいクラスメートのお姉さんに誘われ、英語の 発音を教わりに行った場所がキリスト教会で、そこで偶 然にも、毎週笑顔で手を振って下さっていたアメリカ人 が実はその教会の牧師さんだったことを知りました。

しばらくして後、牧師ご夫妻が他県へ赴任され、同 時に私は教会とも疎遠になっていました。そして高校生 になった私は和歌山県で寮生活を送っていました。あ る日の日曜、ふらりとその町の教会へ出掛け、そこで 何と小学校の頃無心に手を振って応え、中学生当時の 英語を教わったあの牧師先生にお会いしたのです。

再会を大いに喜んだものの、牧師ご夫妻はまたどこ かの教会へ赴かれましたが、私の高校卒業後の進路 は、牧師先生のご紹介で、東京・渋谷の「児童福音伝 道協会」でした。

毎朝、目覚めのお祈りに始まり、食事 時は勿論のこと夜には一日を神様に感謝して眠りにつ くという日々で、日曜日は礼拝に出席の後、渋谷から 電車を乗り継ぎ、練馬区にある教会で小さい人達の為 にオルガンを弾き讃美歌を一緒に歌って主を賛美して いました。

そのような穏やかな日々の中にあって、児童 福音伝道協会の図書館が手狭となり、埼玉県所沢に 転居する事が決まり、その時以来何故か私は東京に 残り、神様に背信の教会とは無縁の人生が始まったの でした。

そして 20 代後半にイタリアへ留学し、カトリック人口 が多い当地で自分の持つ宗教を問われる度に「実は 仏教だけど私はキリスト教」などと曖昧な返答をしてい ました。イエス様のご生誕と復活がよく理解出来ずにノ ンクリスチャンのままでしたが、そんな中にあっても、毎年クリスマスが近づくと必ず「もろびとこぞりて」と歌ってい たし、「主の祈り」を口ずさんでいる自分がいました。

そして病弱だった独身の私は、父親の了解を得て、実 家の先祖代々仏教のお墓に入らないからと、富士山の麓 に自分の死に備えて墓を求めたのもこの頃でした。神様の 存在が特別尊いことと感じていた私はその後、縁あって結 婚する段になり「神様に誓えないから披露宴だけにしよう」 と夫に哀願し、その結婚生活が今に至っています。

そして、これ迄何度か生命の危機に遭ったことも、また 病気が悪化して、二度も倒れながら後遺症もなく、その度 に神様に助けて頂いたと自覚していましたが、ある時ハッ と気付かされました。神様は遠大なご計画で私をこのまま 滅びの世界へ行かせたくないとのお計らいなのだと。だか ら受洗を決意するまでは、私は簡単に死ねない、つまり死 なないのです。何という神様の偉大なご愛でしょうか。

拙宅のコミュニティで敬虔なクリスチャンの Norman ご 夫妻からご親切を受け、また言動に共鳴し、そして教会へ と導かれました。鶴田牧師先生の微に入り細にわたる入 門クラスのご指導を受け、私の今迄の疑問点が払拭され、 喜んでキリスト・イエスを信じ受け入れる信仰告白を致しま した。それは初めて教会へ足を踏み入れて、五十年目の 事でした。信仰告白をした夜、私はこれ迄のありとあらゆる 罪が夢の中で示され、一晩中一睡もしなかったと思える程 に長く、自分の罪を悔い改めていました。

神様は全てをご存知なのだと、そして遂に私の様な不 遜な者にでもバプテスマを授けて頂く機会を賜ったのでし た。当日は感激に打ち震えながら、今後は聖霊の実を結 ぶことが出来るような日々でありたいと願っていました。

世間に対して、良い行いが出来ない凡人などと思って いた私でしたが、「わたしたちは神の作品であって、良い行 いをするようにキリスト・イエスにあって造られたのである」 の御言によって勇気を頂き、神様を仰ぎ見て、これからの 信仰生涯が、本当に楽しい聖書の学びに加え、福音を延 べ伝えることが大事なことと思えるに至っています。

神様!私をクリスチャンにして下さって、本当に有難う存 じます。心から感謝申し上げます。




 

Desert Wind  8月号・ニュース

8月4日(日)の礼拝後2:00pmより背骨コンディショニング の体操教室が持たれます。どなたでもご参加ください。

8月11日(日)役員会が持たれます。役員の働きのため にお祈りください。

8月12日から14日まで、南カリフォルニア・クリスチャン・ リトリートが Holy Spirit Retreat Center で持たれます。 今年のメイン講師は大倉信先生で、『キリストを知る絶大 な価値』というテーマで4回の聖会メッセージをして下さ います。またその他さまざまな集会、新しい企画が用意 されています。ぜひ皆さんがご参加ください。

8月25日(日)の礼拝後、玉城春子姉妹の米寿の祝賀会 が持たれます。



編集室・気まま便り

「ベトナムのひかり」という 映画を見て大変感動し た。日本人眼科医,服部 匡志の実話を元に作られ たものだった。ある日日本 で行われた眼科医学会で 研究発表した後に、廊下 でベトナム人眼科医から 声をかけられ要請されてベ トナムに渡り、現地の患者 を助けるために奔走したと いう話だった。

12 年前当時ベトナムでは 片目失明しているのは当 たり前で残った目の手術を 必要としている人々が多 く、しかも貧しくて手術費が 払えない人達ばかりだっ た。それに加えて大都市の 国立病院でも優れた器具 がない状況だったので、手 術に必要な最新機器と器具は全て服部先生が私 費をはたいて購入し、使い 方をベトナム人医師に指導して多くの患者を救った という話だった。手術も全 て無償で行い一万人以 上の人々に希望の光を与 えて来た。

MN



 

LVJCC キリスト教 Q&A

Q イエスは裁くために来たのではないと仰っていますが、 ヨハネの福音書の別の箇所では、わたしは裁くために来たとありました。

 

A 聖書の中には、今回の質問のように、確 かに一見矛盾するような記述がありますね。 たとえば、ローマ書3:28では、「人が義と認 められるのは、律法の行いによるのではなく、 信仰による」と言われているのに対し、ヤコブ 書2:24では、「人は行ないによって義と認め られるのであって、信仰だけによるのではな い」と言われています。

また、マタイの福音書1章とルカの福音書 3章には、イエス・キリストの系図が記されて いますが、その内容が違っています。あるい は、創世記には1章と2章に天地創造に関す る話が二つ記されていますが、1章では人は 第6日に造られているのに対し、2章では第7 日のあとに造られています。また、1章では動 物のあとに人が造られていますが、2章では 人のあとに動物が造られています。

このように、聖書の中の記述とそこに啓示さ れたキリスト教信仰の内容には、多様性があ り、矛盾するようにさえ感じられるものがありま す。しかし、聖書は神の言葉です。そこには一 つの誤りも矛盾もないはずです。そこで、誤り や矛盾と思えるものを放っておかず、さまざま な関連する御言葉と結びつけて、体系化し、 調和させる作業が必要となります。その役割 を担うのが組織神学です。

さて、前置きが長くなりましたが、今回の質 問は次の二つの御言葉から来たものだと想像 します。「神が御子を遣わされたのは、世をさ ばくためではなく、御子によって世が救われる ためである。」(ヨハネ3:17) 「わたしはさばき のためにこの世に来ました。」(ヨハネ3:39)

まず、ヨハネ3:17は、有名なヨハネ3:16 に続く御言葉で、神は罪のために滅びゆく世の人々を救い出すために御子イエス・キリス トを遣わされた、ということが言われていま す。つまり、イエス様が来られたのは世の 人々を救うためだ、ということです。それに対 して、ヨハネ9:39は、イエス様が来られたの は、さばきのためだ、と言われています。

ところで、本来「さばき」という言葉は、「取り 分ける」という意味です。つまり、信じる者と 信じない者を取り分けること、それが「さばく」 ということです。イエス・キリストは、この世を さばくために来られたのではなく救うために 来られた救い主です。しかし、私たちが救わ れるかどうかは、この救い主イエス・キリスト に対する私たちの応答次第なのです。

つまり、私たちを救うために来られたイエ ス・キリストを救い主として信じて受け入れる なら救われますが、信じることを拒否するな ら、イエス・キリストという存在は、私たちをさ ばく働き、「取り分ける」働きをすることになる のです。そう考えれば、この二つの御言葉は 矛盾しません。


LVJCC・ニュースレター【アーカイブ】

LVJCC・ニュースレター | July, 2019

LVJCC・ニュースレター | June, 2019

LVJCC・ニュースレター | May, 2019

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