DesertWind・ニュースレター August, 2026
『聖霊に満たされて生きる』(エペソ書5:18−21)
LVJCC 牧師:鶴田健次
今日は、「聖霊に満たされて生きる」というテーマをご一緒に考えます。「聖霊に満たされる」と聞くと、特別な体験や一部のクリスチャンだけのものだと思う方もいるかもしれません。しかしパウロは、「御霊に満たされなさい」と、すべてのクリスチャンに命じています。ここで大切なのは、「もっと聖霊を受ける」ということではありません。救われた私たちの内には、すでに聖霊が住んでおられるからです。
では、「満たされる」とは何でしょうか。それは人生の主導権を聖霊にお渡しすることです。問題は「私たちがどれだけ聖霊を持っているか」ではなく、「聖霊がどれだけ私たちを支配しておられるか」なのです。
ウェールズのクリスチャン、リース・ハウエルズは、「神様のために働こうとしていたが、神様はまず私自身を求めておられた」と語りました。神様が求めておられるのは、私たちの能力ではなく、神様に明け渡された人生です。
聖霊に満たされるとは、聖霊に支配されること
パウロは「酒に酔ってはいけません。…御霊に満たされなさい」と語ります。酒に酔う人は酒の影響を受けます。同じように、聖霊に満たされるとは、聖霊の影響のもとに生きることです。
私たちは救われても、仕事や将来、人間関係などの主導権は自分で握ってしまうことがあります。しかし神様は、「あなたの人生のハンドルをわたしに任せなさい」と招いておられます。
飛行機の乗客は、離陸や着陸だけ自分で操縦しようとはしません。すべてをパイロットに委ねるから安心できるのです。
同じように、人生も主に委ねる時、本当の平安が与えられます。さらに「満たされなさい」という言葉は現在形で、「満たされ続けなさい」という意味です。毎日、「主よ、今日も私を導いてください」と祈りながら歩むことが、聖霊に満たされた人生なのです。
聖霊に満たされた人には、キリストの香りが現れる
パウロは、聖霊に満たされた人の特徴として、「賛美する」「感謝する」「互いに仕え合う」ことを挙げています。奇跡や特別な能力ではなく、まず人格の変化が現れるのです。肉に支配されれば、不平や自己中心が現れます。しかし聖霊に支配されれば、感謝、平安、謙遜が自然にあふれ出るのです。
パウロは第二コリント2章15節で、「私たちはキリストのかぐわしい香りです」と語りました。花が自然に香りを放つように、聖霊に満たされた人からは、キリストの愛や平安が自然に伝わります。A・W・トーザーは、「聖霊に満たされた人は、自分ではなくキリストが見えるようになる」と語りました。聖霊に満たされる目的は、自分が目立つことではなく、キリストが現されることなのです。
聖霊に満たされた人生は、周囲を祝福する
聖霊に満たされることは、自分だけが祝福されるためではありません。神様は、私たちを通して周囲の人々を祝福したいと願っておられます。ペンテコステの日、弟子たちは聖霊に満たされました。しかし彼らは部屋に留まらず外へ出て行き、福音を語りました。その結果、多くの人が救われ、教会が誕生し、福音は世界へ広がっていきました。
18世紀の宣教師デイビッド・ブレイナードも、わずか29年の生涯でしたが、神様に委ねた人生は後の多くの宣教師たちに大きな影響を与えました。神様は、才能の大きさではなく、聖霊に満たされた人を用いられるのです。
私たちも、家庭や職場、地域社会で神様に用いられることができます。励ましの一言、真実な祈り、誠実な歩みを通して、神様は多くの人に恵みを届けてくださいます。
聖霊は私たちを導き、実を結ばせ、力を与え、そして満たしてくださいます。ですから今日も、「主よ、私を支配してください。私を用いてください」と祈りながら歩みましょう。その時、神様は私たちの人生を通して、ご自身の栄光を現してくださるのです。
『私たち夫婦の歩みと神様の計画
鶴田 潤子
2026年、アメリカは建国250周年を迎えました。50年前の1976年、建国200周年の記念の年に、私たち夫婦はまだ独身で、それぞれ留学生としてカリフォルニア州に渡りました。
主人は長崎県、私は福岡県の出身です。日本にいたままであれば、おそらく出会うことはなかったでしょう。主人は都市計画を学び、日本の大学で教えることを目標としていました。
私は世界的に権威のある宝石学教育機関GIA(Gemological Institute of America)で学び、宝石鑑定士を目指していました。二人とも卒業後は日本へ帰る予定でした。しかし、神様は私たちに全く別の人生を備えておられました。
私たちは共通の友人を通して出会い、その後、主人は後に親友となった舟田譲二先生を通して、私は留学生クリスチャン団体を通して福音に触れ、やがてイエス・キリストを救い主として信じるようになりました。それまで私は、「宗教は心の弱い人が頼るもの」と考えていました。しかし、神様を信じてから人生の価値観は大きく変えられました。
「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その歩みを確かなものとするのは主である。」(箴言16:9)
私たちは結婚後アメリカに残り、私はユダヤ人経営の宝石商で鑑定士として働き、主人は貿易会社を設立しました。主人の会社は神様の恵みによって順調に成長し、カリフォルニア州トーレンスに本社、ドイツのミュンヘンと大阪に支社を持つまでになりました。また主人は神学を学ぶ中で神様の召しを受け、1994年にトーレンスで教会開拓を始めました。
そして2001年にはラスベガスでの教会開拓を始め、2003年8月に27年間住み慣れたロサンジェルスを離れラスベガスに移住しました。振り返れば、私たちの計画ではなく、神様の計画が一歩一歩実現してきたことを実感しています。
教会開拓の歩みの中で、多くの恵みとともに試練も脈のため経験しました。2019年、主人は重い不整脈のためペースメーカーを植え込み、翌年には心臓の悪化で入院しました。2024年12月には礼拝でメッセージを語っている最中に軽い脳梗塞を起こし、さらに2025年7月には大動脈弁置換手術を受けることになりました。胸骨を開いて人工弁に取り替える大手術でした。それでも手術前も後も主人の心は神様の平安で満たされていました。
「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。…あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」(ヨハネ14:27)
手術当日は、息子家族が事故による渋滞のため8時間かけてラスベガスまで駆けつけ、翌朝5時から病院に付き添ってくれました。手術成功の知らせに安堵しましたが、主人と対面した時には全身に管がつながれ、呼びかけにも反応できない姿に胸が締め付けられました。しかし、ICUの看護師の皆さんの温かいケアと家族の支えは、大きな慰めとなりました。
あれから一年、主人は今も回復の途上にあります。しかし、この一年を振り返ると、神様は試練の中でも決して私たちを見放されず、多くの方々の祈りを通して支え続けてくださいました。アメリカでの50年を振り返る時、自分たちの力ではなく、神様が最善の道を備え、一歩一歩導いてくださったことを実感します。順境では神様の恵みを知り、試練では神様の真実と支えを経験しました。
「人の心には多くの計画がある。しかし、主の計画だけが実現する。」(箴言19:21)
留学生として渡米した私たちは、日本での人生を思い描いていました。しかし神様は、救いへと導き、ビジネスを与え、教会開拓へと召してくださいました。そして病の中にあっても変わることなく共にいてくださり、必要な助けと平安を与え続けてくださいました。この神様の真実は、これからも決して変わることはないと信じています。
手術前から今日まで祈り続け、励まし続けてくださった教会の皆様、そして他教会の皆様に心より感謝いたします。これからも神様に与えられた使命を感謝をもって歩み続け、主の恵みと真実を証ししていきたいと願っています。
編集室・気まま便り
永井隆医師は長崎病院の放射線科で研究中に白血病にかかっていたのですが、その後原爆により妻を亡くし、死ぬ寸前まで子供2人を男手一つで育てました。
奥さんが敬虔なカトリック信者だったことから、永井氏も教会へ通い出し、クリスチャンとなられました。
又永井氏は「人はどん底に落ちても神の約束を堅く信じでいたら、真の希望を持って這い上がれる。」と語ったそうです。原爆によって浦上天主堂の鐘の内大きい方が奇跡的に無傷で見つかり、終戦の年のクリスマスには鐘の音が長崎の街に響き渡り、それを聞いた人々が大変励まされたとの事。「長崎の鐘」の清らかな歌声が聞こえてきました。 MN
△▼△▼ LVJCC キリスト教 Q&A △▼△▼
Q 三位一体は三人の神を教えているのか?
A 三位一体の教義は、「神は唯一である」という聖書の教えを土台としています。それにもかかわらず、「父・子・聖霊という三つの人格があるなら、結局は三人の神を教えているのではないか」と批判する人がいます。しかし、これは三位一体の教義を正しく理解していないことから生じる誤解です。
第一に、神は完全に公平で正しいお方であるということです。 聖書は、「神にはえこひいきがない」(ロマ2:11)と教えています。ですから、福音を聞く機会のなかった人に対しても、神は公平な裁きをなさいます。神は一人ひとりの置かれた状況、与えられた光、知識、機会のすべてをご存じで、それに基づいて完全に正しく裁かれます。
第一に、三位一体は決して三人の神を教えていません。申命記6:4には、「聞け、イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである」とあります。父・子・聖霊は、それぞれ神として聖書に啓示されていますが、三人の独立した神ではなく、三つの位格において区別されながら、本質において唯一の神なのです。
三人の独立した神々を認める考え方は「三神教」と呼ばれます。例えばモルモン教では、父・子・聖霊を別々の神的存在として理解します。しかし三神教は多神教であり、三位一体とは全く異なります。三位一体が告白するのは、「三人の神」ではなく、「三つの位格を持つ唯一の神」です。
第二に、「一人の神に三つの位格が存在するのは、論理的に不可能だ」という批判があります。しかし、神は無限なるお方であり、有限な人間の知性によって、その本質のすべてを理解することはできません。私たちは、神がご自身について啓示されたことを知ることはできますが、神のすべてを理解することはできないのです。理解できないことと、存在し得ないことは同じではありません。大切なのは、人間の理性を神の上に置くのではなく、聖書が何を教えているかを謙虚に受け止めることです。
第三に、「人格」という言葉にも注意が必要です。現代では、人格は一人の独立した個人を意味するため、「三人格」と聞くと三人の神を連想しがちです。しかし神学でいう「位格」は、三人の独立した存在を意味しません。聖書では、
父・子・聖霊がそれぞれ語り、意志を持ち、愛し、働かれるお方として描かれています。その区別を表すために「位格」という言葉が用いられているのです。
第四に、自然界にも「三つでありながら一つ」という概念を理解する助けがあります。時間には過去・現在・未来がありますが、一つの時間です。空間にも高さ・幅・奥行きがありますが、一つの空間です。もちろん、これらが三位一体を完全に説明するわけではありませんが、「三つでありながら一つ」という考え方自体が、必ずしも矛盾ではないことを示しています。
ローマ人への手紙1:20は、神の永遠の力と神性が、造られたものを通して認められると教えています。創造の世界には、創造主の偉大さを映し出す痕跡があるのです。
したがって、「三位一体は三人の神を教えている」という批判は正しくありません。三位一体とは、父・子・聖霊が永遠に区別されながら、本質において唯一の神であることを教える教理です。人間の限られた理解で神を測るのではなく、聖書全体の証言に耳を傾けるとき、唯一の神が父・子・聖霊としてご自身を現しておられるという、壮大な真理が見えてくるのです。
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