DesertWind・ニュースレター November, 2024

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『イザヤが見た救いの完成』(イザヤ66:18 – 24)

 

LVJCC 牧師:鶴田健次

イザヤ書と聖書全体には構造的に多くの類似点が見られます。聖書は66巻から成り、旧約39巻と新約27巻に分かれますが、イザヤ書も66章から成り、前半の39章と後半の27章に区分されます。旧約聖書は堕落からメシヤの到来への待望で締めくくられる一方で、イザヤ書の前半も罪の告発から新しい時代への待望で締めくくられています。

また、新約聖書が「荒野に呼ばわる者の声」によって始まり、イエスがメシヤであることを宣言し、新天新地の描写で終わるように、イザヤ書の後半も「荒野に呼ばわる者の声」で始まり、最後は新天新地のビジョンで締めくくられています。このように、イザヤ書の構造は聖書全体の構造と深く呼応していると言えるでしょう。

特にイザヤ書66章18–24節では「救いの完成」がテーマとなり、三つの重要な出来事を通して救いの完成と神のご計画が描かれています。

① 主がすべての人々を集めに来られること

イザヤ書66章18節によると、終わりの日に主は「すべての国々と種族とを集めに来る」と宣言されています。この「すべての国々と種族を集める」という言葉は、すべての人が無条件に迎えられるのではなく、神の「しるし」を持つ者が集められることを意味します。

またイザヤ書66章19節にある「彼らの中にしるしを置く」いう言葉が示すように、信仰によって神のしるしを持つ者だけが選ばれるのです。エペソ書1章13–14節では、信じる者には聖霊の証印が押され、これが御国の継承の保証であると記されています。

世の終わりには御使いが地上に来て、聖霊の証印を持つ者を見分け、真に神に属する者だけを集めることになります。ここでの選別は、表面的な信仰ではなく、心からの信仰が問われる場面であり、麦と毒麦が分けられるように教会に集う人々も最終的には本当の信者とそうでない者に分かれます。

② すべての人が主の前に礼拝に来ること

イザヤ書66章23節には、「新月の祭りごとに、安息日ごとに、すべての肉なる者がわたしの前に来て礼拝する」と記されており、御国が完成したときにすべての人が主の前で礼拝を捧げることが示されています。礼拝は地上においてだけでなく、新しい天と地においても永遠に続けられるものです。

私たちは毎週神に礼拝を捧げますが、これは私たちが神に創造され、イエス・キリストの犠牲によって贖われたことに対する感謝を表すものです。しかし日々の中で、小さな願いが叶わないことから不平不満を抱くこともあるかもしれません。

こうした中でも、礼拝とは神から何かを得るためのものではなく、自分自身を神に捧げる行為であることを忘れてはなりません。礼拝とは、神から既に注がれている豊かな恵みに応答し、感謝の心をもって献身を表わすものです。礼拝の本質は神への献身にあり、信仰者が自らの存在を神に捧げる姿勢を象徴する重要な務めです。

③ 救いと滅びの分かれ道

イザヤ書66章24節には「彼らは出て行って、わたしに背いた者たちの屍を見る。そのうじ虫は死なず、その火も消えず、それはすべての肉なる者の嫌悪の的となる」と記されており、ここに救いと滅びの対比がはっきりと描かれています。信仰を持つ者は永遠の命を受ける一方で、神に背く者には永遠の滅びが待っていることが示されています。

エホバの証人の創始者チャールズ・ラッセルは「愛の神が地獄を作るわけがない」と主張しましたが、イエス様はマルコ9章43–45節において地獄の存在をはっきりと明言され、地獄に陥ることを避けるためには片手や片足を犠牲にしてでも天国に入るようと勧めておられます。

ここでイエス様が明示しておられるように、地獄は実在し、罪の贖いがなされていない者にとって避けがたい現実です。究極の救いとは、永遠の滅びからの救いであり、罪によって本来は滅びるべき人間が、神の愛とキリストの贖いによって永遠の命を得る道が開かれていることなのです。

このように、イザヤ書66章は終末における救いの完成と、御国における礼拝の永続性、そして救いと滅びの分かれ道を示し、信仰者にとっての希望と信仰の根拠を描き出しています。そして私たちに神への信頼と献身の重要性、また永遠の恵みを再認識させる内容となっており、信仰生活において神のご計画を待ち望む心を新たにするようと促しているのです。

 



日本里帰り旅行 2024年』

証し:バンクス・香織

ハレルヤ。主のみ名を賛美いたします。今年の夏休みは家族5人で千葉の実家に里帰りすることができました。夫が日本に行くのは8年ぶりで、日本の良い場所に連れて行こうと母や友人も色々計画してくれていました。夫と息子は10日間ほど、私と娘たちは5週間半の滞在でした。

今回の旅も色々な場所に行かせてもらいましたが、その中でもハイライトは4箇所あります。1つ目は、千葉県君津市にある亀山温泉ホテルでした。房総半島の真ん中に位置し、深い緑に囲まれた亀山湖が目の前に部屋から見えました。

また朝霞のかかる湖から朝日を見ることができたのは格別でした。私は滝を見たり、滝から出るマイナスイオンを感じるのが好きですが、亀山湖の近くにある濃溝の滝と亀岩の洞窟もとても綺麗な気持ちのいい場所でした。

2つ目は長野県の白馬村でした。白馬には長野冬季オリンピック、ジャンプ競技会場になったジャプ台があるのですが、今回ちょうど訪れた際出くわした修学旅行生に、実際ジャンプ台を滑っているところを披露している方を見れたのは予期せぬプレゼントでした。また白馬には八方おびなたの湯があり、日本唯一の高アルカリ性、天然水素水の掛け流し温泉でとても良かったです。

3つ目の心に残った旅は、筑波温泉ホテルと筑波山登山、そして双子の姉の働く茨城大学へバースデープレゼントをサプライズで届けに行くという旅でした。筑波温泉は筑波山唯一の自家源泉掛け流しの露天風呂やつぼ風呂、檜風呂があり、自然の中でゆっくりできる温泉でした。

筑波山は日本百名山で日本 最大の平野である関東平野の真ん中に立ち上がる双峰で、古くから「西の富士、東の筑波」と呼ばれ、その山脈が夕日に照らされ紫色に見えることから「紫峰」という愛称で親しまれたそうです。

ケーブルカーで登頂し、その後,女体山の頂上まで歩いて行きました。頂上からの眺めは素晴らしかったです。筑波に行った一番の目的は、双子の姉が同県に住んでいて、丁度誕生日なので、娘たちとサプライズで職場まで行き、バースデープレゼントと娘たちの手作りカードを渡しに行く為でした。作戦は見事成功し、姉は大変びっくりし、喜んでくれました。

4つ目の心に残った旅は、福岡博多へ友人や中学の同級生に会いに行った旅でした。友人は肌や全身の治療的リンパケア施術をしていて、施術してもらいましたが、アメリカでは受けたことのない独自の施術で福岡まで行った甲斐がありました。また中学を共にした2人の同級生に双子の姉と娘たちと会いに行けて感謝でした。

宿泊した場所は博多温泉富士の苑で、一切お湯を薄めない、沸かさない百パーセント完全掛け流しの温泉でした。毎日新しいお湯に入れ替えるそうで、私の再び行きたい温泉宿の一つになりました。また探してたまたま行ったトランポリンハウスは、さすが日本!と思わせる場所でした。

というのは、トランポリンの先生がご厚意で子供たちと一緒に遊んでくださったのですが、時間を惜しまず娘たちや他の子供たちと遊んでくださいました。その遊び方は素晴らしく、娘を抱えて飛びながら肩車して、そのまま飛び続けたり、また、娘を抱えながら一回転したりと、驚きの芸をしてくださいました。

教会は柏シロアム教会(鈴木啓之牧師)と日本ホーリネス教団柏キリスト教会(渡部美智子牧師)に行きました。鈴木先生も渡部先生も毎年行く度に優しく迎えて下さり、お祈りをしてくださいます。

渡部先生の教会では、娘のシェイラが聖歌の本を見ながら歌おうとしていた時、すかさず先生も一緒に歌ってくださり、2曲聖歌を一緒に歌い、それを私達が聞く、とても特別な時間となりました。

シロアム教会から近いところに教会が建てたお墓があるのですが、そこに父のお骨が収められています。母がいつも教会のお墓を綺麗にしてくれて感謝です。今回もシロアム教会に行った後、家族でお墓参りをし、一緒にお墓を掃除しました。

たくさんの旅の思い出がありますが、この旅を実現させてくれた夫と母に感謝します。そして何よりも主に感謝し、主に栄光をお返しいたします。『神の子らよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ』。詩篇 28:1


編集室・気まま便り

「見せかけの謙遜という高慢」という記事を読んでなるほどと思った。「私は愚かで何もできない小さな存在です。」という言葉を日本にいた時にはよく聞いたが、何も違和感はなかった。しかし、全知全能の神様を救い主として受け入れクリスチャンになってからは、「自分ばかりを見ないで、私を見て生きなさい。

あなたは私の子供とされたのです。あなたに必要な事はなんでも私が与えるから、強く雄々しくありなさい。」という神様の呼びかけが耳に響いてきた。

「私には能力も価値もない」と引っ込むのではなくて、「こんな私でもよかったら主のために用いてください。」と神様に自分を差し出した時にそこからすべてが始まっていくと思った。何かを達成した時は主に栄光をお返しする。     MN



 

LVJCC キリスト教 Q&A

Q なぜ聖書は神の言葉だと言えるのですか?

 

クリスチャンは聖書が神の言葉であると信じていますが、それは何を根拠としてそのように信じているのでしょうか? そのいくつかの根拠を見ていきましょう。

①預言の的中: 聖書には未来についての具体的な預言が多く含まれています。代表的な例として、イエス・キリストの誕生、受難、復活に関する預言があげられます。旧約聖書のイザヤ書や詩篇には、イエスが生まれる場所(ミカ書5:2)、十字架の死(詩篇22:16-18)、三日目に蘇ること(ホセア書6:2)などが詳細に預言されています。

これらの預言は、イエスが誕生する何百年も前に書かれたものであり、後にイエスの生涯において成就しました。また、イスラエル国家の滅亡と再建についての預言(エゼキエル書37章)も成就しており、1948年にイスラエルが建国されたことは、聖書の預言の正確性を裏付ける一例です。これらの預言の正確性は、聖書が人間の手を超えた神の言葉であることを裏づけるものです。

②内部証拠: 聖書そのものが、神の言葉であると主張しています。例えば、新約聖書のテモテへの第二の手紙3:16節には、「聖書はすべて、神の霊感によるものであり…」と記されています。

これは、聖書の著者たちが神の霊感、つまり神からの啓示を受けて書いたということを示しています。さらに、旧約聖書にある「主の言葉」や「神が語られた」という表現は著者たちが神との対話や啓示体験を通して書いたものであることを示しています。

③一貫性と統一性: 聖書は約1600年という長い期間にわたり、異なる時代、異なる国々、異なる職業の約40人の著者によって書かれました。著者の中には王、預言者、羊飼い、医者、漁師など、さまざまな背景を持つ人々がいます。

にも拘らず、聖書全体を通して、まるで一人の人が書いたかのように一貫性をもって、神と人間の関係や人間の罪、救い、終末に関するメッセージが語られており、互いに矛盾することなく統一性を保っています。このような一貫性は、神の霊感によって書かれたことを証明するものと言えます。

④歴史的・考古学的証拠: 聖書には多くの歴史的な出来事や地名、人物が記録されています。これらの記述が事実であることが考古学的な発見によって裏付けられています。例えば、旧約聖書に登場するヘブロン、エリコ、エジプトなどの都市や、アッシリア帝国、バビロン捕囚などの歴史的な出来事は、発掘調査によって実在が確認されています。また、ダビデ王やヘロデ大王などの人物も歴史上に存在したことが証明されています。

⑤聖書がもたらす人生の変革: 聖書を通じて多くの人々が人生の変革を体験しています。罪の赦しを受け、神との新しい関係を築くことで、内面的な平安や喜びを見出した人々の証言が、世界中の至る所に数多く存在します。

特にアルコール依存や薬物依存、犯罪からの更生など、人生を根本から変える力が聖書にはあると言われます。クリスチャンの中には、聖書を通して人生の目的を見出し、希望や平安を得たという事実を神の働きの証拠と考える人が少なくありません。

結論: これらの点から、クリスチャンは聖書が単なる人間の知恵や考えによるものではなく、神からの啓示であると確信しています。

 

 


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