DesertWind・ニュースレター May, 2024
『万物の終わりが近づいている』(第一ペテロ 4:7-11 )
LVJCC 牧師:鶴田健次
今年はアメリカの大統領選挙の年です。3月5日の共和党の予備選はトランプの圧勝でした。11月の本選はトランプ対バイデンの戦いになる筈ですが、どちらが大統領になるかで世界情勢にも大きな違いが生じることでしょう。
こういう世界政治に大きく関わることがあるたびに、つい人類の日時計が刻一刻と終わりの日に近づいている気になります。
さて、第一ペテロ4章7節で、ペテロは「万物の終りが近づきました」と言ってますが、この「万物の終わり」が単なる「終わり」であれば、「万物の終わり」について考えても仕方ありません。しかし聖書はそのあとで、「ですから…」と言って、その先に話の続きがあることを示唆しています。
つまり、今の世の終わりは、来たるべき世の始まりだということです。「終わり」が「始まり」であれば、「終わり」について考えることには大いに意味があります。なぜなら、終わりがどうであるかによって、新しい始まりのあり方が決まるからです。
① 心を整え、身を慎んで祈る(7節)
ペテロは7節の後半で、「祈りのために、心を整え身を慎みなさい」と言っています。なぜ祈りのために、心を整え、身を慎むのでしょうか? それは、万物の終わりが近づいているからです。つまり、キリストの再臨の望みが、今日の私たちの生き方を変えるのだということです。
まず、終わりの時代に備えるために大事なことは、心を整え、身を慎んで「祈る」ことです。祈りは、神様と私たちとの唯一のコミュニケーションの方法です。祈りは霊の呼吸です。呼吸をしなければ死んでしまうのと同じで、クリスチャンにとって祈りのない生活は、命のない、形だけの信仰生活になってしまいます。
ペテロはここで、「祈りのために、心を整え、身を慎みなさい」と勧めています。身を慎むというのは、何かに酔わないということです。酔うのはお酒だけではありません。苦しみの多い人生において、人々は何かに酔わないでは生きていけません。何かに酔うことで、現実から逃避したいと思うのです。
ドラッグに酔う人、思想に酔う人、富や権力や知識に酔う人、ギャンブルや趣味に酔う人がいます。そういう現実の中で、私たちは祈りのために心を整え身を慎まなければならないのです。
②互いに熱心に愛し合う(8、9節)
ここでは、万物の終わりに備える生き方として、「愛し合う」ことが挙げられています。祈りが神様に対するものであるなら、愛は人に対するものです。この愛について、まず「互いに熱心に愛し合いなさい」と勧められています。
聖書が教える「互いに」という人間関係の概念は、「相互服従」という概念で、とても重要なものです。それは、一方だけが他方を愛するのではなく、お互いが愛し合うという関係、あるいは、自立した者同士の愛の関係ということです。クリスチャンとして自立した者の愛は、自己中心の愛ではなく、聖霊によって与えられる意思的な愛です。
ですから、ここで言われている「互いに熱心に愛し合いなさい」というのは、自立した者同士、意思的な愛で愛し合いなさい、ということです。つまり、自分を喜ばせ、自分を満足させるために相手を愛するのではなく、相手の益を考え、相手を喜ばすために愛するということです。
③神の恵みの良き管理者として生きる(10、11節)
ここでペテロは、「神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を生かして互いに仕え合う」ことを勧めています。やがて私たちの人生も終わりを迎えます。
この事実は、私たちが今持っているものは本当の意味で私たちの所有ではない、ということを意味します。能力にせよ、何にせよ、私たちは人生の途上で色んなものを手放しながら生きていきます。そして、やがてすべてを手放す時がやってくるのです。
もともと私たちは何も持ってはいませんでした。ですから、すべては神様から与えられたものです。だからこそ「賜物」なのです。特にここでは、神から与えられた「聖霊の賜物」のことが強調されています。「聖霊の賜物」とは、神の奉仕をするための能力のことです。
そこで、それぞれが、この賜物の「良き管理者」として、それを上手く用い、管理して、神の栄光を表しなさいというのが、終わりの時代に備える私たちの生き方なのです。
『神様に感謝の人生』
証し:シャード 豊子
私は1940年9月25日 沖縄のヨナバで生まれました。父親はサトーキビの加工工場で働いていたのですが、ある日機械で指を切り働けなくなったので、私は8才の時から子守を始めました。両親はとても優しく良い人達でした。
又私には兄2人、姉1人、弟1人の全部で5人兄弟でした。家計をささえるために私は中学を中退して働きはじめました。
成人してからはハウスメイドやウエイトレスとして働きました。那覇のエニシオクラブというアメリカ軍人専用のレストランで働いていた時にデービッドと知り合い、1964年11月4日結婚しました。
3年後にアメリカのテネシーに渡りました。その後ハワイに4・5年、沖縄に2・3年、という移動の多い生活でした。
1980年に夫は軍隊をリタイヤ―してからコンピユーター関連の会社に勤めたので、そこから派遣されて12年間イギリスに住み、その後アメリカに帰国してラスベガスに住んでいます。
1996年夫は55才で喫煙と飲酒のため口頭癌になり、見つかった時はすでにステージ4だったので手術はできず、抗がん剤治療と放射線治療をしましたが効果は無く、その後声が出なくなったため筆談して過ごした時期もありましたが、癌が見つかってから約2年後に召されました。
生前、主人が家、車、銀行の名義書き換えと支払いに関するすべての手続きを済ませてくれていたので助かりました。又死ぬ2日前には、娘と一緒に葬式の手続きをすませに行ってくれた程でし
た。
ホスピスから来た看護師が、私達の会話を書いたノートを見て感心していました。アメリカ育ちの子供達が手伝ってくれて無事葬式を出す事ができました。
寡黙な人でしたが、心優しく几帳面で、死後机の中から細かく書き記した家計簿がでてきて驚きました。又年に一度子供達を連れて沖縄に私を里帰りさせてくれた優しい夫でした。
夫の亡き後、私はアメリカの年金をもらうまではヘンカクという布地を売っている会社に合計25年間働き、もう一つの仕事も掛け持ちして多忙でしたが、3人の子供達は夫々にIQが高く成績優秀だったので、高等教育を受ける事ができました。長男はワシントン州スポーケンに住み、3人子供がいて、夫婦両方共当地の大学で働いています。
次男はラスベガスに住み、MGMに勤め、子供が一人います。妻は教会の事務をしています。子供達はアメリカ育ちですが、皆沖縄人であることを誇りに思い、温かいもてなしの気持を受け継いでくれています。次男家族が私の洗礼式に来て大変喜んでくれました。
夫をはじめ子供達全員クリスチャンですが、私はなかなか救われるチャンスがありませんでした。10年ほど前にM姉から聖書を頂き、3・4年M姉と共に聖書の学びをしました。次に近所に住むE姉の家庭集会に出席した時に鶴田先生に初めてお会いしました。
そして去年の夏頃からラスベガス日本人教会に通うようになり、鶴田先生にご相談したところ、「初心者クラスを受けてください」と言われて、懇切丁寧に神様についての説明をお聞きすることができ、イエス様を唯一の神様として心に受け入れ、信仰告白をして、2024年1月7日に洗礼を受ける事ができたのは大きな喜びでした。
20年以上前に40代になった娘が、それまではホテルに勤めていましたが、ある日突然、「重症筋無力症」という、自己免疫疾患の難病を患いました。
この病気にかかると神経からの刺激が筋肉の細胞に伝わり難く、筋肉が弱くなり力が入らず、脱力感などの症状があり、それ以来家に引きこもる様になってしまいました。今では教会の皆さんが娘のためにとりなしの祈りをしてくださるようになり大変励まされています。
「見よ。私はあなたと共にいて、あなたがどこに行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。私はあなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」 創世記28:15
私は今では神様の存在を知り、心に平安があたえられ、感謝であふれています。良き人生を送る事ができた事を神様に深く感謝しています。
毎日聖書を読み、毎日曜日教会でみなさんと共に神様を礼拝しています。隣近所と友達にも恵まれ、この世でのやるべきことを全部やり尽くしたので、いつ天国に召されてもよいと思っています。
『求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。』 マタイ7:7
編集室・気まま便り
「Dearにっぽん」という番組で、34年前に結婚し山形県の農家に嫁いだ韓国人の愛称スンちゃんの話があった。ソウルで大学を出た後、働いていた時に日本人とのお見合いの話があり応じた。
畑で野菜を育て明るく豪快に笑う人だが、初めて山形に移住した時は知り合いが一人もいない上に、誰も声をかけてくれない寂しさを味わった。
ある日キムチ作りを教えてほしいと言われた事がきっかけで、キムチ作り教室を開いたら、たくさんの人々が参加して、後に「日韓ひろば」というレストランを開くきっかけとなった。その後、知らない人を見かけると進んで声をかけ友達となった。
「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」マタイ22:39 まさにスンちゃんはこの御言葉を実行したのです。MN
△▼△▼ LVJCC キリスト教 Q&A △▼△▼
Q 聖書に基づく宇宙の年齢は?
A 進化論者たちは長きに渡って宇宙の年齢を150億年、最近では138億年と主張してきました。また地球の年齢は46億年と言われてきました。そして子供の頃からそのように学校で教えられてきた私たちは疑うことなくそれを鵜呑みにしてきたので、実はそれが一万年にも満たないと言われても、そう簡単には受け入れられないでしょう。
進化論者たちにとって、彼らが主張する生命の自然発生、また生物が非常に長い年月を経て現在見られる様々な生物に進化してきたという仮説に可能性を持たせるには、このような膨大な年月を設定する必要があるのです。
宇宙の年齢を138億年とし、地球の年齢を46億年とすれば、生命が自然発生し、それが進化して、ついには37兆個(以前は60兆個とされていた)の細胞を持つ人間が誕生することが可能だったはずだというわけです。
しかし、宇宙や地球の年齢が実際そうであれば、それは本当に生命の自然発生と人間への進化を実現させるのに充分な時間なのでしょうか?
著名な情報学者マルセール・ゴレは、全宇宙の全時代を通じて、最も簡単な生命が自然に発生する確率はどれくらいあるかを計算しました。
彼は、疑わしい要素はできるだけ進化に有利に計算し、宇宙の年齢も3兆年(進化論者の言う宇宙の年齢の200倍)として計算しました。
それでも、その期間内に物質がうまく組み合わせられて、生命が自然に発生する確率は、10の280乗分の1以下の可能性ということでした。
ところが、実際はその確率はもっと低くなります。なぜなら、エントロピーの法則(閉鎖系における乱雑・無秩序・混沌は時間とともに増大するという原理)により、高次の秩序形態への進化は、時間が経てば経つほどますますあり得なくなるからです。
つまり、宇宙の年齢が138億年であろうと、仮に3兆年であろうと、生命が自然発生する確率はゼロなのです。これは何を物語るでしょうか? それは、「地球や宇宙の歴史が充分に長ければ、その間に生命が誕生しただろう」という考え自体が間違いだということです。
私たちは、そういう無茶苦茶な理屈を並べ立てて、人間に解るはずのない生命の起源や宇宙の起源を神無しの世界観で無理に説明しようとせず、むしろ自然界の観察結果と少しも矛盾しない聖書の創造論に心を開いて耳を傾けるべきではないでしょうか。
多くの日本人が知らない聖書の神は、天地万物の創造者であり、全知全能のお方です。何も無いところに言葉だけで全宇宙を創造し、すべての生き物を造られた神は、それを一瞬のうちに造ることも可能でした。
ところが今から約6000年前に、神はそのすべてを「6日間」で創造し、4日目に宇宙を造られたのです。
全能の神にとっては、「6日間」という時間でさえ長過ぎるくらいです。しかし、神が「6日間」で天地万物を創造されたのには深い意味があり、7日目を安息日と定めることで、人類に一週間(7日間)という生活習慣のサイクルを備えられたのです。
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