DesertWind・ニュースレター July, 2023
『信仰のレース』(へブル人への手紙12:1-2)
LVJCC 牧師:鶴田健次
日本では毎年、春になると「箱根駅伝」があります。ランナーたちは、この日のために練習を重ね準備をします。そこには色んなドラマがあります。そして、いよいよ試合の日になると、あの坂道まじりのコースを忍耐の限りを尽くして走り続けるのです。
選手たちはゴールを目指して走ります。そして、最後まで走りぬいた選手たちがゴールインできるのです。選手たちにとって大切なことは、最後まで走りぬくことです。同様に、私たちも最後のゴールを目指し、信仰のレースを走りぬかなければなりません。
① 先に走りぬいた人たちに学ぶ
12章1節に、「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのです」とありますが、私たちは、信仰のレースを立派に走りぬいた人たちに学ぶことで、自分もこのレースを走りぬくことができます。へブル書の著者は、11章において素晴らしい信仰生涯を全うした人々を紹介しながら、彼らの信仰に学びなさいと言っているのです。
たとえば7節を見ると、彼はノアについて語っています。ノアは箱舟を造るために120年の歳月を費やしました。120年も山にこもり箱舟を造り続けるというのは並大抵のことではありません。
しかも、石器か青銅器を使っての手作業です。大きな木を切り、組み立て、わずか4人の男たちで長さ133m、幅22m、高さ13mの箱舟を造ったのです。
私たちは、伝道の働きが進まないと、もう伝道するのは止めようと思うことがあります。そんな時、ノアが私たちの耳元でささやきます。
「あなたは何年伝道したの?私は箱舟を造るのに120年かかったよ。人は、山の上で箱舟を造る私を馬鹿にするし、罪の裁きについて語っても、耳を貸さない。しかし私は語り続け、箱舟を造り続けたよ。そして、やがて神の言葉どおり、世界中が洪水に覆われたとき、その箱舟が救いの器になったんだ。確かに多くの人は福音に耳を傾けないだろう。しかし、神の言葉どおり、世の終わりが来た時、このイエス・キリストが救いの器になるんだ。」
私はこのささやきによって何度も励ましを受けてきました。
② 信仰の戦いに備える
信仰のレースを走り抜く二つ目の秘訣は、自制心を養い、信仰の戦いに備えることです。12章1節には、「私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか」とあります。
以前、水泳のオリンピック選手の生活を紹介するテレビ番組を見たことがあります。彼らの練習は、厳しいのはもちろんですが、食生活にも色んな制限があり、食べたい物を食べるというわけにはいきません。自制が必要です。スポーツ選手は、競技に勝つという目的でそうしますが、私たちは信仰のレースを走りぬくために自制をします。
救いというのは、天国での永遠の命のことだけを意味するのではありません。救いとは、広い意味では、この世において、キリストに似た者に成長し、神の子にふさわしい人生を生きていくことです。
そのためには自制心を身に付ける必要があります。自分の思いからではなく、神の御心に従って考え、行動する力、これがクリスチャンの自制心です。私たちはこうした力を養うために神様から訓練を受けるのです。
③ イエスから目を離さない
信仰のレースを走り抜くための三つ目の秘訣は、私たちの心の目をイエス様から離さないことです。 2節には、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」とあります。イエス様は信仰を始められ、信仰を完成された方です。
イエス様は、この地上での人生を歩まれたとき、父なる神様に完全に従われました。イエス様は、ご自分の神としての力を用いられたのではなく、聖霊によって、すべてのことを成し遂げられたのです。それは私たちに見本を示すためでした。
イエス様は悪魔の誘惑に勝利されました。私たちは、「イエス様は神の子だから当然だ」と思うでしょう。しかし、そうではありません。イエス様は神としての力ではなく、人間として、聖霊に満たされ、聖霊によって勝利されたのです。それは、私たちに見本を示すためでした。
『苦しみの中で出会えた神様』
証し:芝田泰江姉
私は今から3年前、丁度コロナが世界に広がり出し飛行機も飛ばなくなり出した時に、主人の仕事で日本からアメリカに移住しました。すぐにロックダウンとなり仕事もできず一人アパートに閉じこもる日々が始まりました。
そうして一年がたった頃、元々甲状腺が悪く、15歳から薬を飲んでいましたが、そこに癌が見つかり手術をする事になりました。術後は良かったので子宮頸癌も一歩手前だったので、そちらの手術も5カ月後にしました。これで手術はもうしなくて良いと思っていた一年後、リンパに転移して再発のため又手術と言われました。
今回は本当に目の前が真っ暗になり絶望しかありませんでした。もうすべてが嫌になり、何も手につかなくなってしまいましたが時間だけはあったので、自分の人生を色々思い返し、どこで間違ったんだろう、何が駄目だったんだろう、これからどうすればいいのだろう、このまま娘達に会えずに死んでしまうんだろうか、その様な事ばかりを頭の中で色々考えては涙する日々でした。自分では限界だとわかり、もう神様の言う通りにしよう、そう思うしかありませんでした。
そんな時、利美子さんがクリスマスに教会へ誘って下さり、鶴田先生に会う事ができました。そこで私は鶴田先生のメッセージを聞き、イエス・キリストは私の罪の為に死んで下さったんだ、と瞬時に思いました。何も知らない私がこんな事を思うなんて失礼なんじゃないかという気持ちと共に、心は自然と納得していました。
その後日本で専門の病院で診察してもらった結果、半年に一度の経過観察で手術は必要なく、癌も転移はしていないという診察を聞き本当に救われた思いでした。その診察結果が出る迄は、朝目覚めた時に全身を恐怖が襲ってくるほど精神的に追い込まれ、生きた心地がしない日々でした。
そんな時、鶴田先生の今年の1月15日のお説教から、肯定的な気持になることによって高山病を克服した登山家のお話を聞いて、怖かった気持が一瞬で勇気に変わりました。しかもその夜、日本は大雪で次の日の朝も雪の降る中を一人歩いて電車に乗り病院に向かう事ができました。
私は、忍者で有名な滋賀県甲賀市で生まれ、父親は板金の自営業をしていました。職人気質な父はとても短気で家の中の空気はいつも緊張感が漂い、息が詰まる思いでした。両親が離婚するかもしれないという恐れから、とにかく私は勉強や運動等全てに全力で頑張っていました。自分が頑張れば離婚せずに仲良くしてくれるかもしれないという期待もありました。
でも結局喧嘩も絶えず、とうとう私が高校一年の時離婚してしまい、両親に裏切られた気持がして、頑張っても駄目なんだと思ってしまいました。それまで張りつめていた気持がブチッと切れたんだと思います。
その時から私は母に対して心を閉ざしてしまい、学校でも友達に自分の事は一切話さなくなり、好きなバレーボールをする事で自分の色んな感情を発散していたと思います。自分の悲しみを誰にも言えず心の中に閉じ込めてしまっていました。
その後22歳で社内結婚をして、二人の娘に恵まれました。不幸な母親を見て育ったので、「私は幸せな母親になろう、でなければ娘が不幸になる」という想いでいたのに、自分も離婚してしまい娘達を不幸にしました。
それが原因で疎遠になってしまった娘達の心中を思うと、心から申し訳ないと思います。当時を振り返り母親を許せなかった自分の人生は苦しく可哀想でした。そして今自分の娘たちが同じ想いでいる事も、又可哀そうな事であり、良くないことなんだと洗礼を受けてから気づかされました。
今はいつも神様が私と共にいて下さり、怖い気持ちが嘘のようになくなりホッとしています。自分が死に直面してやっと人生を振り返り、自分の過ちを認める事ができ、イエス・キリストに出会う事ができました。
61年間神様を知らない世界で私は仕事や子育てに頑張っていたつもりだったけれども、ただずっともがいていただけで的外れだったんだとわかりました。思い返すとコロナの時に日本から何のためにアメリカに移住してきたのかと思っていましたが、アメリカに来てイエス・キリストというすばらしい神様に出会う事ができ、自力ではどうすることもできない罪から救われたことに深く感謝しています。
「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました。」 詩篇119:71
編集室・気まま便り
過日日本語テレビ放送で中古のランドセルを新品同様に修理して、経済的に恵まれない子供達に無料でプレゼントしている人が奈良にいるとの事。心温まる愛のこもった行為であると感心しました。私は戦争直後に生まれたので、何もなく、ランドセルも布製の中古品を母が知り合いから分けてもらって、それを喜んで背負って学
校に通ったのを思い出しました。
高価な革製のランドセルはいつから始まったのか、小学校に入学する時にほとんど全員が背負って通うようになりました。しかも小学校6年間だけ使って捨てられてしまいます。物を大切にして使い、工夫して暮らす事と、個性を尊重して、社会の中の弱き者への配慮がもう少しなされてほしいと思いました。 MN
△▼△▼ LVJCC キリスト教 Q&A △▼△▼
Q イエス様が生まれた年を西暦元年にした理由は?
A イエス・キリストが生まれた年を西暦元年とする理由は、特定の歴史的な事実や証拠に基づいているわけではありません。西暦元年をイエス・キリストの生誕年とする考え方は、キリスト教の信仰と伝統に由来しています。
西暦(AD)は、キリストの降誕から数えられる年代を表すための暦法です。西暦元年は、イエス・キリストの生まれた年とされていますが、実際の歴史的な出来事とは一致していません。この年代設定は、6世紀の修道士ディオニシウス・エクシグウスによるものです。
ディオニシウス・エクシグウスは、当時のローマ教皇の命令を受け、キリストの降誕から経過した年数を数えるために年代を整理する方法を考案しました。彼は、イエス・キリストの生誕を元年とし、その前後の年を西暦(AD)または紀元前(BC)として区別することとしました。
したがって、西暦元年をイエス・キリストの生まれた年とする理由については、様々な説が存在しますが、ディオニシウス・エクシグウスが西暦元年を選んだ理由は、キリスト教信仰における重要な時であるイエス・キリストの降誕を起点とするためでした。彼はイエス・キリストの生涯や教えを中心とした年代を明確にする必要性を感じ、それに基づいて西暦元年を設定したとされています。
しかし、この設定は後年になって広まったもので、イエス・キリストの生誕年を確定することは困難です。なぜならイエス・キリスト生誕の正確な日付や年については、聖書にも他の史料にも明確な記録がないからです。したがって、西暦元年をイエス・キリスト生誕の年とすることは、宗教的な伝統や信仰に基づくものであり、歴史的な証拠によるものではありません。
当初、キリスト紀元は、その設定自体が主たる目的ではなく、復活祭の周期表を更新した際に副産物として考案されたものです。復活祭は、キリスト教においてイエスの復活を記念する最も重要な祭儀です。歴史的な背景として、325年の二ケア公会議で復活祭の設定基準が定められたと言われますが、運用はその時が近づいてから日取りを決めるというより、事前に周期表が作られていました。
この周期表を更新する時に、ディオニシウスは「受肉紀元」を取り入れたのです。本来、キリスト教では復活が最重要なポイントなので、ここを紀元にしそうなものですが、受肉からこの世界に救いが芽生えたとの考えにより、受肉起算によるキリスト紀元を考案したのです。
彼にとって大事だったことは、第一に周期表の適正な更新であり、これがローマ教皇の命令を受けた彼の公的なタスクでした。その上で、その周期表の周期に基いて過去に遡り、受肉基準のキリスト紀元を考察したのです。
歴史を刻むには、必ずスタート地点が必要になります。ただ、人類史の始まりを言えばメソポタミアですが、そんな大昔の暦は正確さに欠けるので使えません。そこで、正確な暦を作る必要が生じます。新しい暦を作るのであれば、自分たちに合った『紀元』を求めたくなるのは人情です。ここで言う「自分たち」とは、中世ヨーロッパ人のことで、もちろんキリスト教世界の人たちです。彼らがキリスト誕生を紀元に選んだのは自然なことで、それが西暦(西洋の暦)です。
ラスベガス日本人教会
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