DesertWind・ニュースレター October, 2023

DesertWind・ニュースレター October, 2023

『みことばの乳を慕い求めなさい』(第一ペテロ2:1〜3)

LVJCC 牧師:鶴田健次

この手紙はペテロが書いた手紙ですが、ペテロは、イエス様が十字架にかけられる前、イエス様を三度も知らないと否定した人です。しかし、そんなペテロが、その後、福音の前進のために大いに用いられ、エルサレム教会のリーダーとなったのです。

この手紙の1:13以降からは、信仰生活の心得が述べられています。ここでペテロは、クリスチャンが何を求めながら生きていくべきかを教えています。

それは2:2の「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」という教えです。

生まれたばかりの乳飲み子にとって、お母さんのお乳とはどのようなものでしょうか。それ無しには命を維持することのできないもの、無くてはならないものです。

ぺテロは、この手紙の読者であるクリスチャンに対し、信仰生活の心得として、乳飲み子がお母さんのお乳を慕い求めるように、「みことばの乳」である聖書の御言葉を慕い求めるようにと勧めているのです。

 ① 悪いものを捨てる

2:1を見ると、「あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて」と言われています。私たちがクリスチャンとして成長するためには二つの事が必要です。それは、悪いものを捨てること、そして良いものを取り入れることです。

悪いものを脱ぎ捨て、良いものを身につける。衣服ならばそれが当然の順序です。汚れた洋服の上にキレイな洋服を着るということはありません。しかし、私たち人間の汚れた心理的また霊的な状態を考えると、なかなかこういう順序にはならないかも知れません。

悪いものが捨てられない。悪いものの上に良いものを着てごまかしているということがあるのではないかと思います。悪いものは自分の努力だけではなかなか取り除くことはできません。

ただ「神のみことば」を受け入れることによって、聖霊の力が働いて取り除かれていくものなのです。

② みことばの乳を慕い求める

ペテロは、「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい」と言っています。JBフィリップスは、この「慕い求めなさい」という部分を「泣き叫びなさい」と訳しています。

赤ちゃんは、お腹がすいたら泣き叫んでミルクを求めます。親鳥は、一番大きな口を開けて泣くヒナに餌を与えるそうです。口を開けないヒナは与えてもらえません。ですから、私たちも必死になって求めるべきではないでしょうか。

「純粋な、みことばの乳」という言葉は、他の聖書では「混じり気のない霊の乳」と訳されています。神のことばに混ぜ物をしてはいけないのです。時どき神の言葉に混ぜ物をする人々がいます。

たとえば、19、20世紀に栄えた「自由主義神学」がそうです。「聖書には間違いがある」とか、「聖書のイエスと歴史上のイエスは違う」といった考えです。

「聖書には間違いがある」と思うと、聖書が神の言葉だという気がしなくなります。また、誰かの神学を基盤として聖書を読むので、純粋に、御言葉に養われるということがありません。これこそまさに悪魔の巧妙な惑わしなのです。ですから、霊的に生まれた者にとって、純粋なみことばの乳、混じり気のない霊の乳が必要なのです。

③ 御言葉を味わう

2:3を見ると、「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです」とあります。ほとんどのクリスチャンは、聖書をしっかり学んでからクリスチャンになったわけではありません。

多くの人が基礎的なことを学んでいる中で、そこに聖霊が働いて、イエス・キリストを信じるようになったのではないかと思います。

中には、聖書の基礎的なことも学ばずに、ある体験を通して神を信じるようになった方もおられるでしょう。もちろん体験も必要ですが、体験だけでは信仰が安定しません。

ペテロは「純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい」と命じています。つまり、信じて終わりではなく、御言葉を味わって成長する必要があるのです。

そのために、礼拝に出席したり、祈祷会や聖書クラスに出て聖書を学ぶ必要があります。また、静かに御言葉を味わうためにディボーションの時を持つのも非常に有効です。

私たちの生命線は、静まって聖書を読み、神様と交わることだということを心に留めたいと思います。



『人体の仕組みから見えた神

証し:中島マリ子

日本語のテレビ放送の中に「ヒューマニエンス」という人体のしくみについて専門家を交えて話し合う番組があり、大変興味深いので連続して見ています。

ある日iPS細胞induced pluripotent stem cell(万能幹細胞)を発明しノーベル賞を受賞した山中伸弥教授がゲストとなり、くわしい研究の現状を説明してくれました。2006年、体細胞に4種類の遺伝子を加えることによってiPS細胞を作ることができました。

早速ネズミの肝臓の細胞からiPS細胞をつくり、雄と雌のネズミからそれぞれ精子と卵子をつくり、受精させたらネズミが誕生し、元気に動き回っている姿を見て、今後の活用の仕方は無限に広がると感じたそうです。

これは画期的な事で世界を驚かせた発表でした。それは受精卵から万能幹細胞ができ、その後いくつかに分かれて、それぞれ神経、消化器、血液、生殖細胞に分解されて、細胞分裂を繰り返して人体が作られることはわかっていたが、それを戻す事はできないとされていたのを、山中教授が体細胞に4種類の遺伝子を加える事によって大元の万能幹細胞に戻すことができたのです。

実際、今では治療が難しいとされていた筋萎縮症患者の血液から免疫細胞だけを取り出して、iPS細胞で培養し、神経細胞を作って、患者に注入したところ、筋萎縮症の進行が遅くなったそうです。

今まで新薬の承認には必ずネズミを使った実験記録を提出する義務があったのですが、最近の実験から、ネズミには効くが人間には効かない薬と、その逆のネズミには効かないが人間には効くという例がいくつも見つかりました。今後はネズミの実験を無くして、iPS細胞を使った実験データを提出したら、薬の承認が得られる時代が来る、という事でした。

また再生医療の分野では、失われた器官の細胞を再生して人体に注入すると、それが再生されていく、という事も立証されたそうです。自分の細胞から作ったものなので、拒否反応は出ないし、体内に入れた後もスムーズに増えていくことがわかりました。元来の臓器移植に代わる再生医療が発達したら、今まで助けられなかった命が救えるようになります。

前腸と中腸という二つの細胞を一緒にすると、お互いに接触部分で連絡しあって細胞分裂を繰り返し、27日目には肝臓と胆管と腸と膵臓の原型が出来上がったそうです。大変難しいと言われている肝臓癌と膵臓癌の治療に、新しくこの方法で臓器をつくり、ミニ肝臓やミニ膵臓を体内に入れると細胞分裂を繰り返して、その臓器の痛んだところを修正することができるようになりました。

抗癌剤、放射線治療、外科手術という元来の癌治療に代わって、患者の血液からNKT細胞という免疫細胞を取り出し、iPS細胞で増やして患者に注入したら、癌が小さくなったそうです。安全で確実という事が実証されたら、医学が画期的な進歩をとげる、という事です。

山中教授の後輩が京都で、iPS細胞を使用して人間の精子と卵子を作ることに挑戦している先生がいますが、ネズミでは簡単にできたのが、人間では一歩手前まではうまく行くが、出来上がった精子が不自然な動きをし、受精卵になった後で胎盤と人間の体になる部分とに細胞が大きく分かれるという段階があり、人間の精子と卵子を作る事ができない壁にぶつかっている、という事でした。これはやはり神の領域を侵すことになるのではないかと議論されているそうです。

こうした世界中の研究者によって今あらゆる方面で研究が進んでいるが、突き詰めれば突き詰める程いかに人間が精密にできた神様の作品であり、未だに科学では解明できないものを含んでいるという事がわかる、と述べていました。

「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」(創世記1章27節)

そして2000年前に確しかにイエス様はイスラエルの地に現れ、父なる神様の事を伝えて下さり、私達の罪のために十字架にかかり死んで3日目に蘇られた事実に対し確信が持てた事、それは何にも代えがたい経験をさせてもらったと神様に深く感謝しました。

又訪ねた全ての所でロシアやヨーロッパの国々、そしてアジアからきたという人々に会いました。ゲッセマネの園のオリーブの木の根元に跪いて祈っている人々を見ながら、世界の果てまで福音が伝えられたという現実を見た思いがしました。

山本先生が始められた希望の収穫が、長年援助しているメシアニックジューのグループのリーダーと直接会見して実情を聞く機会がありました。

同じユダヤ人でも、旧約だけを読んでイエス様を救い主として認めていない人々から、彼らは大変な迫害を受けているのですが、みなさん明るく逞しく活動しておられることが伝わってきました。私達はアメリカに住む幸いを感謝すると共に、私達の方が大いに励まされました。

「エルサレムの平和のために祈れ。あなたを愛する人々が安らかであるように。あなたの城壁の内に、平和があるように。あなたの宮殿の内が、平穏であるように。」

「それは、神が彼らに示されたからです。それは、世界の創造以来、神の人の目に見えない属性が被造物を通してはっきりと見えるからです。」ウィンストン氏は次に、「たとえジャングルで暮らす人間でも、その人は神のことを知ることはできる」と僕に説明した。

また、「僕たちは罪深い被造物であり、天国に行けるはずはなく、キリスト・イエスによる神の恵みと憐れみによってのみ行けるのだ」と説明した。僕たちの元の性質は永遠に神と断絶状態にいるのである。

ウィンストン氏と交わした会話は、また別の疑問を投げかけた。「なぜ僕は地球にいるのだろう?」「なぜ僕の魂は選ばれたのだろう?」一週間の大半をこのことを理解するのに費やしていたとき、キャビン・リーダーが僕に言った一言が、僕の考えを一変させた。

「君はもうここにいるのだから心配する必要はない」。なぜかこれには本当に心に響きを覚えた。僕はすでにここにいる。

僕がここにいる理由を知ったところで、僕が生きていて地球にいるという事実は何も変わらない。いいえ。だから心配する必要はない。これからきっと神様が僕を造ってくださった理由を明らかにしてくださるはずだ!と。

こうした質問や会話を通して、僕は神との歩みをさらに深めていけるようになったと思う。自分ではどうしようもないことに疑問を持っても意味がないことに気づいた。

この時点まで、僕は自分の人生を中途半端に生きていた。マウントハーモンで過ごした後、僕は主とともに歩む決心をしたと確信を持って言える。

世界がどう思おうと関係ない。世界は僕の領分ではないからだ。僕はより大きな目的のために創造された。僕たちは皆、そうなのだ!と思った。それを知る事こそが、僕たちの希望である。


編集室・気まま便り

砂漠にできた街ラスベガスも、9月中頃より気温が下がり清々しい季節がやってきました。

今年も日本をはじめとして世界各地で異常気象が見られ、北極の氷がとけ、洪水や山火事による被害が報道されて、胸を痛めました。それに比較してラスベガスは夏が暑いだけで、地震はなく、洪水の被害も一部だけですみ、山火事とは縁のないところであることを感謝します。

世界中の国々が集まり、いかにして大気汚染を食い止める事ができるかについて熱心な話し合いがなされました。中国の黄砂が日本の上空まで達している様子がテレビに映し出されていました。神様が創造されたこの美しい地球がこれ以上汚染されないようにと祈ります。  MN



 

LVJCC キリスト教 Q&A

Q LGBTの問題と聖書的見解を教えて下さい。

 

A まずLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の問題についてですが、これは性的指向や性自認に関連する多くの社会的、法的、健康的な課題や問題について議論されており、以下のような問題が取り沙汰されています。

①差別と平等: LGBTの人々は、社会や法律において差別や偏見に直面することがあります。性的指向や性自認に基づく差別は、雇用、住居、教育、医療などの分野で存在します。LGBTの権利と平等への取り組みは、社会的な公正と法的な保護を求める重要な側面だと言えます。

②同性結婚とパートナーシップ: 多くの国で同性結婚が合法化されており、LGBTのカップルに結婚とパートナーシップの権利を提供しています。しかし、同性結婚に反対する声も存在し、この問題は依然として議論の的です。

③性教育: LGBTに関する性教育は、若者や学生に対して性的指向や性自認についての正確な情報を提供する重要な問題です。一部の人々は、性教育のカリキュラムにLGBTのテーマを組み込むことに反対する一方で、他の人々は包括的な性教育の必要性を主張しています。

④健康とウェルビーイング: LGBTの人々は、精神的な健康や身体的な健康に関する特定の課題に直面することがあります。これには、心理的なストレス、自殺のリスク、HIV/AIDSなどの健康上の問題が含まれます。

⑤宗教と信仰: LGBTの権利と信仰の自由の間にはしばしば対立が生じることがあります。一部の宗教的な団体や指導者は、同性愛行為を罪と考え、LGBTの人々に対する宗教的な制約を主張します。一方で、他の宗教的なグループは、LGBTの人々を受け入れ、包括的な信仰コミュニティを構築しようとしています。

次に、LGBTに関する聖書的見解ですが、これはキリスト教の信仰体系によって異なり、さまざまな議論の対象となっています。一般的に見られる主要な見解には以下のようなものがありますが、個々の信仰や信念は多様であり、異なる解釈や立場が存在します。

①保守的な見解:: 一部のキリスト教教派や信者は、聖書に基づき、同性愛行為を罪と考えています。彼らは、旧約聖書の一部(特にレビ記や申命記)や新約聖書の一部(特にローマ書1章や第一コリント1章)を引用し、同性愛行為を神の意志に反するものとみなします。この立場の信者は、LGBTの権利や認識を支持しません。LVJCCもこの立場に立っています。

②進歩的な見解:: 一方で、他のキリスト教教派や信者は、聖書の文脈を考慮し、同性愛に対する厳しい立場を疑問視するか、受け入れる立場を取ります。彼らは、聖書の文脈や翻訳による誤解、科学的な知見の進展を指摘し、LGBTの人々を支持し、同性愛に対する差別を拒否します。この立場の信者は、LGBTの権利や平等を支持する傾向にあります。

③中立的な立場:: 一部のキリスト教教派や信者は、LGBTについての聖書的見解について明確な立場を持たず、個別の教義や信念に従います。彼らは、異なる解釈や信仰を尊重し、個人の信仰と道徳的判断に任せることを支持します。

このようにLGBTに関する聖書的見解は、宗教的な信念や個人の信仰に深く影響されるため、多様で複雑なものだと言えます。社会と文化も変化し、LGBTの権利と認識に関する議論が進行しています。従って、個々のキリスト教信者や教派が、この問題にどのように対処するかは、信仰と道徳の問題として個別に考えざるを得ないかも知れません。また、公平で寛容な対話が、異なる信念や立場の人々との理解を深める手助けとなるでしょう。


ラスベガス日本人教会

Las Vegas Japanese Community Church

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