DesertWind・ニュースレター May, 2026

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『復活の主に出会うとき』(ルカ24:13-35)

 

LVJCC 牧師:鶴田健次

先週のイースター礼拝では、「復活信仰への招き」というテーマで、イエス・キリストの復活が歴史的事実であることを学びました。しかし大切なのは、その復活が「自分にとってどんな意味を持つのか」ということです。

どれほど確かな事実であっても、それが自分の人生と結びつかなければ、何も変わりません。復活は単なる教理ではなく、私たちが出会うべき現実なのです。

ルカ24章には、エマオへ向かう二人の弟子たちが登場します。彼らはイエス様に望みをかけていましたが、十字架の出来事によってその希望を失い、失意の中で歩いていました。「私たちは望みをかけていた」という言葉が示す通り、彼らの心の中ではすでにすべてが終わっていたのです。

しかしそのような彼らに、復活のイエス様ご自身が近づき、共に歩いておられました。彼らはそれに気づいていませんでしたが、主は確かにそこにおられたのです。

今日は「復活の主との出会い」というテーマで、主がどのように私たちに近づき、どのように私たちの目を開き、人生を変えてくださるのかを三つのポイントで見ていきます。

1. 絶望の中で共におられる主

ルカ24章15節には、「イエスご自身が近づいて来て、彼らと共に歩き始められた」とあります。ここで注目すべきは、彼らが主に気づいていなかったことです。主はそこにおられたのに、彼らには見えていなかったのです。聖書は「彼らの目はさえぎられていた」と語ります。

これは私たちにも当てはまります。人生の中で、祈っても答えがないように感じるとき、神様が遠くにおられるように思うことがあります。しかし問題は、主がいないことではなく、私たちの目がさえぎられていることです。その原因は、失望や恐れ、そして自分の期待です。「こうであれば神は働いている」といった思い込みが、神の働きを見えなくしてしまうのです。

弟子たちは十字架を「終わり」と考えましたが、実際には復活という神のご計画がすでに成就していました。私たちも同じように、状況だけを見て絶望してしまうことがあります。しかしその中でも、主は確かに共におられます。たとえ気づかなくても、主はあなたの人生の道を共に歩いておられるのです。

2. 心が燃やされるとき

ルカ24章32節で、弟子たちは「私たちの心は内で燃えていたではないか」と語っています。イエス様はすぐにご自身を明らかにされたのではなく、まず聖書を解き明かされました。御言葉を通して、彼らの心に変化が起こったのです。

これは非常に重要な点です。信仰は感情的な体験だけで成り立つものではなく、御言葉に根ざすものです。御言葉が語られるとき、私たちの心の奥に光が差し込み、「これは自分に語られている」と感じる瞬間があります。それが「心が燃やされる」という経験です。

古代教会の神学者アウグスティヌスも、御言葉によって人生が変えられました。彼は罪と葛藤の中にいましたが、聖書の言葉を読んだ瞬間、心に光が差し込み、すべてが変えられたのです。御言葉は今も生きており、私たちの内側に働きかけます。

復活の主は、御言葉を通して私たちに出会われます。特別な体験を求めるのではなく、御言葉に耳を傾けるとき、主は私たちの心を燃やし、変えてくださるのです。

3. 目が開かれるとき

ルカ24章30〜31節では、イエス様がパンを裂かれたとき、弟子たちの目が開かれたとあります。それまで共に歩き、御言葉を聞き、心は燃やされていました
が、この瞬間に初めて「この方がイエスだ」と分かりました。

これは単なる理解ではなく、人格的な出会いです。そしてこの出会いが、彼らの人生を一変させました。彼らはすぐに立ち上がり、エルサレムへ戻って証しする者となったのです。絶望が希望に、恐れが喜びに変えられました。

サドゥー・スンダル・シングも同じように、キリストに出会い人生が変えられた人です。かつてキリストを憎んでいた彼が、主に出会った瞬間、すべてが変わりました。これが「目が開かれる」ということです。

復活の主は今も生きておられます。そしてあなたにも出会おうとしておられます。問題は主がおられるかではなく、私たちが心を開くかどうかです。「主よ、あなたを見せてください」と求めるとき、主は必ずご自身を現してくださいます。

 



メモリアルデーに寄せて』

 

中島 マリ子

メモリアルデーが5月末にあります。この日は家族そろってお墓参りに行って、その後食事を共にして、故人を偲ぶひと時を持つ家庭が多いと思います。

私達のように家族や親戚と遠く離れて住む者としては、そうした集まりに参加できないのは寂しいかぎりですが、教会に通う者として、メモリアルサービスに参加して、先生が読み上げて下さる身内の名前を聞きながら、今は地上では会えなくなった愛する家族の事を偲ぶひと時がある事は感謝です。

私の父は40代はじめから右手中指にリュウマチ関節炎が発症して、時々激しい痛みに苦しみながらも、コーチゾンを服用しながら、無事55才で定年を迎え、その後家で療養していたのですが、もう少しで79才を迎えるという1982年9月はじめ、突然、危篤の知らせがあり、その後肺炎が治らず1週間で亡くなりました。

ちょうど私は9月3日に次男を出産したばかりだったので、帰りたくても帰れないという大変辛い思いをしました。それから時々優しく温和で子煩悩な父の顔が浮かび、子育てに目まぐるしい日々を過ごしながらも、半年間は涙を流す日々でした。特に思い出を語り合う、兄がそばにいない事が大変残念でした。

母は若い時から甲状腺肥大の持病があったのですが、晩年60才を過ぎてから、数回手術をして、1987年の7月はじめに、兄から母(79才)危篤の知らせがあり、急遽子供達、娘10才、長男7才、次男4才を連れて訪日しました。中島の母と妹が子供達の世話をしてくれたので、私は兄の家から毎日京都駅近くの病院にバスで通いました。

母の看病ができるとは思っていなかったので、むしろ私にとっては喜び勇んで母の病室を訪ねました。毎回母は私の顔を見ると満面の笑顔で迎えてくれました。しかし、甲状腺癌の広がりと合わせて腎臓が弱ったために透析を始めましたが、医師はこれ以上施す治療はないとの事でした。

細く小さくなった母の姿と、前の手術で声帯の片方を切り落としたために声が出なくて筆談でした。ただ、目の動きだけで、親子は不思議と意思が通じ合うものだと思いました。

母は父が亡くなった1982年の11月、日本キリスト教団和歌山教会で賛美歌の320番を聞いて、聖霊の導きがあり、イエス様を救い主として、受け入れて、クリスマスに洗礼を受けました。その時母は74才でした。それから初めて会ったのですが、驚くほど穏やかになっているのには驚きました

間もなく母は昏睡状態となり、一日中寝ていましたが、母の傍にいるだけで心が和みました。ただ、いよいよロサンジェルスに帰る日が近づき、母が徐々に弱ってきて、滞在を伸ばしたかったのですが、変更できない飛行機のチケットであることと、子供達の学校が始まる日がせまって来ていたので、最後の日は母のベッドに顔を伏せて号泣しました。

一瞬私の泣き声を聞いて母が目を覚まし、私の方に手をのばして、「来てくれてありがとう」というように、目をつぶって、首をかしげてお辞儀をしました。

しかし、翌日は子供達を連れて、飛行機に乗って、ロサンジェルスに帰ると思うと、その夜は気持をきりかえて帰り支度をしました。翌朝母の病院に最後の別れに寄りましたが、挨拶だけですぐに伊丹空港行のバスに乗り、子供達を連れて無事ロサンジェルスに帰ることができました。

帰宅した翌日から申し込んでいた水泳教室に子供達をつれて2週間通いました。帰ってから、ちょうど10日後に母の召天の知らせが兄から来ましたが、すべてを兄夫婦に頼んで、私は帰る事ができませんでした。ただ、父の時とちがって母とは天国での再会があると思うと気持に大きな違いがありました。

私は今年80才を迎えて、幼い時から弱かったので、両親よりも長生きできた事を感謝しました。しかし、老いに逆らう事はできず、後期高齢者の仲間入りをしたとつくづく実感する昨今です。改めてみ言葉がそんな私を慰め励ましてくれます。

「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」コリント人への第二の手紙 4:16-17


編集室・気まま便り

5月というと、昔、訪ねたビクトリア・アイランドのブッチャードガーデンの風景を思い出します。

バンクーバーから約千人が乗れるという巨大なフェリーで渡り、着いた所に広がる庭園の大きさと木々と花々の種類の多いのに、「まるで天国の様」と感激したものです。

ビクトリア風の上品な建物と庭園がマッチして、夢の世界を実現していました。 5月はじめには桜、チューリップ等々春の花々が一斉に咲いていました。バラ園も別にあり、一年を通して、季節ごとに様々な花が咲くように設計されていました。

世界中の観光客が大勢訪れるそうで、笑顔で写真を撮っていました。この様に美しい地球と四季の移ろいを与えて下さった神様に感謝しました。 MN



 

LVJCC キリスト教 Q&A

 

Q どうすれば本当の自分の性格と心の状態を知れますか?

 

 

A   これは、とても重要で、しかも簡単には答えられない深い問いです。多くの人は「自分のことは自分が一番分かっている」と思いがちですが、実際はそうではありません。人の心の大部分は自覚されていない領域、いわゆる潜在意識や無意識の中にあり、自分でも気づかない動機や感情に影響されて行動しているからです。聖書も「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか」(エレミヤ17:9)と語り、人間の内面の複雑さと限界を指摘しています。

 
例えば私たちは、無意識のうちに「良く思われたい」「拒絶されたくない」という思いから行動したり、過去の傷や経験によって人との関わり方が形づくられていたりします。心理学ではこれを「心理ゲーム」と呼ぶことがあります。

たとえば、表面では謙遜しているようで実は認められたい気持ちが強かったり、わざと失敗することで責任を回避しようとしたりするようなパターンです。本人には悪意がなくても、こうした無意識の反応が繰り返されることで、人間関係や自分自身を苦しめてしまうことがあります。

では、そのような深い部分にある「本当の自分」をどうすれば知ることができるでしょうか。第一に必要なのは、自分の心を映し出す「鏡」を持つことです。それが聖書の御言葉です。御言葉は単なる道徳や教訓ではなく、私たちの心の奥にある思いや動機を照らし出す光です。

「神のことばは生きていて力があり・・・・心の思いやはかりごとを見分けることができます」(ヘブル4:12)とある通り、私たち自身も気づいていない部分を明らかにしてくれます。

第二に、人生の出来事や試練は、自分を知るための重要な機会です。順調な時には見えなかったものが、問題や困難の中で浮かび上がります。怒りや恐れ、不安、あるいは信頼や忍耐といった反応を通して、「自分はこういう時にこうなる人間なのだ」と気づかされるのです。これは神が私たちの内面を示してくださる一つの方法でもあります。

第三に、神に祈ることです。「神よ 私を探り 私の心を知ってください」(詩篇139:23)と祈るとき、神は御言葉や出来事、人との関係を通して、私たちの本当の姿を示してくださいます。自分で無理に掘り下げようとすると、かえって歪んでしまうことがありますが、神に委ねるとき、最も正確な形で示されていきます。

そして最後に大切なことは、「本当の自分を知る」とは、単に自分の欠点や弱さを発見することではないという点です。確かに私たちの中には罪や弱さがありますが、それだけが真実ではありません。

同時に、私たちは神に愛され、価値ある存在として造られているというもう一つの真実があります。この両方を知ることによって、私たちは初めてバランスの取れた自己理解に至るのです。

本当の自分を知る旅は生涯続いていくプロセスです。しかし御言葉に照らされ、試練を通り、祈りの中で神に導かれるとき、私たちは次第に自分の仮面を脱ぎ捨て、より正直にかつ自由に生きることができるようになるのです。それこそが、本当の自分を知ることの目的であり、神が私たちに与えてくださる恵みです。

 


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