DesertWind・ニュースレター December, 2025
『和解の使者として生きる』(IIコリント)
LVJCC 牧師:鶴田健次
10月15日、世界中に大きなニュースが流れました。イスラエルとハマスが長い戦闘の末に停戦合意に至ったという知らせです。「停戦」という言葉に、どれほど多くの涙と祈りが込められたことでしょうか。しかし、停戦は平和そのものではありません。
武器が静まっても、心の憎しみが癒やされなければ、争いは別の形で続きます。真の平和は、人間の努力や政治交渉で作り出されるものではなく、神の愛が敵意を赦しへと変えるときにのみ生まれるものです。
1994年のルワンダ大虐殺の中で、若い女性イマキュリー・イリバギザは家族を失い、隠れ家の小さなトイレに91日間身を潜めて生き延びました。絶望の中で祈り続ける彼女の心に、神は静かに語られました。「わたしの御子も、あなたのために苦しんだ。」
その時、彼女は憎むべき相手のために祈り始めました。戦後、家族を殺した犯人と対面し、「私はあなたを赦します」と告げ、世界に衝撃を与えました。これは神の愛の力によって起こった和解です。
聖書は語ります。「神はキリストによって私たちをご自分と和解させ、和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(Ⅱコリント5:18)
① 神との和解からすべてが始まる
人間の争いの根本には、神との断絶があります。創世記3章以来、人は神から離れ、恐れと自己中心に支配されるようになりました。その結果、人と人との関係も壊れ、争いと憎しみが連鎖しました。
ローマ3:23は語ります。「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けられなくなっている。」 私たちは皆、神から離れ、神の「敵」となっていました。
しかし、神はそのような私たちをなお愛し、御子イエスの十字架によって和解の道を開かれました。十字架は、神の義と愛が出会う場所です。罪の責めをキリストが身代わりとなって負われたことで、私たちは神との平和を受け取ったのです。
神に赦された者だけが他者を赦す力を持ちます。ネルソン・マンデラは27年の獄中生活の後、かつて自分を監禁した白人看守の手を取り、「私はあなたを赦します」と語りました。彼が復讐ではなく赦しを選べたのは、神との和解の恵みを経験していたからです。
真の和解は、神との平和から始まります。神に赦された者だけが、憎しみを溶かす愛の力を持つのです。
② 和解のことばを託された者として生きる
Ⅱコリント5:19は語ります。「神は…和解のことばを私たちに委ねられました。」 「和解のことば」とは、神が罪人を赦し、敵を友とされるという福音そのものです。神はこの言葉を、私たちクリスチャンに託されました。赦された者が、今度は赦しを語り、赦しを行う者として遣わされているのです。
イエスの生涯は、まさにこの「和解のことば」の実例でした。敵対する者を責めず、取税人ザアカイには「あなたの家に泊まる」と言い、サマリアの女には「命の水」を語り、十字架の上では「父よ、彼らをお赦しください」と祈られました。
この言葉を体現した人の一人が中国のウォッチマン・ニーです。彼は獄中でも看守に親切に接しました。「人は私を閉じ込められるが、キリストの愛を閉じ込めることはできない」と語った彼の姿から、看守の中に信仰に導かれる者たちが現れたと言われています。
和解のことばとは、愛の行動です。怒りが満ちる世界で、私たちが優しさ・祈り・赦しをもって生きることこそ、福音の良き証しです。
③ 教会が和解の使者として立つ
Ⅱコリント5:20は語ります。「私たちはキリストの使節なのです。」 ここで言う「私たち」とは、信者一人ひとりだけでなく、教会全体を指します。教会は、神の愛と赦しをこの地に証しする共同体です。世界が分断と怒りに満ちる時代に、教会こそが「和解のモデル」とならなければなりません。
もちろん、教会も人間の集まりであり、誤解や葛藤が起こることがあります。しかし、和解は教会の中から始まります。互いに赦し合い、祈り合う姿こそ、世界に向けた最も力ある証しとなります。
イエスは言われました。「互いに愛があるなら、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めます。」(ヨハネ13:35)教会が赦しと愛を実践するとき、そこにキリストご自身が働かれます。そしてその愛は、家庭へ、地域へ、国々へと広がっていくのです。
『クリスマスの思い出』
証し:中島 マリ子
私は1970年6月に日本からカナダのトロントに移住して約12年間暮らしました。その間長女と長男を出産し育てました。
カナダ政府の方針で、1968年頃より世界中からの移住者を受け入れて、初めの半年間は援助金が支給され、英語学校に通う事が出来ました。
トロントは東海岸に近いので、ヨーロッパからの移民が多く、イタリア、ポルトガル、チェコ、ハンブルグ、トルコ等々から主に若い人々が英語学校に通っていて、片言の英語でお互いの国の事を聞き合い、語り合ったものでした。
当時はミニスカートが流行っていたので、冬の寒い時でも皆ミニスカートに膝まであるブーツを履くのが当時のファッションでした。肌と髪と目の色も想像以上に多種多様であると思いました。ただ、不思議と女同士心は通じ合うものだという事も感じました。
気候は覚悟をしていたのですが、夏は短く、9月に入ると急激に気温が下がり、楓の木々が多く、美しい紅葉に目を奪われました。近くに日系人経営の農園があり、リンゴ狩りができると聞いて、はしごに登って直接木からリンゴを取る経験は特別だったので毎年でかけました。
子供達が生まれてからは家族ででかけて、篭一杯のリンゴを取ってアップルパイ等を作りました。10月中頃から雪が降りだし、クリスマスの頃は積もって、まさに幻想的なホワイトクリスマスでした。
トロントも空気が乾燥していて、冬でも明るいブルーの空で、快晴の日が多かったです。唯、雪のためにスリップ事故が多発して、ドライブが危ないので、ほとんど冬中は子供達と家に籠っていました。都心のデパートのウインドーにはクリスマスの飾りつけが毎年施されていたので、子供達を連れて見に行きました。
私達は郊外に住み、約40分のドライブで都心にある日本人教会に通っていたのですが、80才過ぎた一世の方々が一生懸命奉仕しておられる姿には感動しました。トロントは東西に長い都市ですが、それを12の区域に分けて、夫々に組長を決めて、月一度組会をしていました。
戦争中はアメリカと同様、カナダのバンクーバーに固まって住んでいた日本人とその家族は奥地のアルバータ州にある収容所に送られ、強制的にビーツ畑の労働をさせられたそうです。
戦後はトロントに移り住む人達が多く、お互いに助け合って過ごしてきたそうです。新しい土地で仕事探しや住居を見つけるのに、当時陰ながら助けてくれたのが、ユダヤ人だったそうです。
その後日系人の間では野球が盛んだったそうで、その当時活躍した人達は皆の注目を集め、70才、80才になっても、当時の話を楽しそうに語り合っていました。
教会では1968年頃から新しく移住してきた人達で「新生会」という会を作り、毎月例会を持ちました。当時は独身又は結婚したばかりの若い人達が次々と日本からカナダに移住してきていたので、牧師館でも時々集まり、情報交換と交わりの時が持たれました。
「ここは皆さんの実家と思っていつでも訪ねて来て下さい。」と牧師夫人が温かい言葉をかけて下さり、夫婦喧嘩をして飛び込んだ人達もいたようです。又移住の手続きのために、私達が集まっている時に急遽牧師館で結婚式が行われた事もありました。
新生会の中でも親しい友達のグループができ、5組の家族で、夫々の家に交代で集まり、持ち寄りの夕食を食べ、カナダでは全ての家に地下室がありました。
皆さん思い思いに広い地下室を娯楽室に改装していたので、そこで集まり、麻雀や色々なゲームをして長い冬を過ごしたのを思い出します。
クリスマスに近いある日、テレビから「O Holy Night (さやかに星はきらめき)」の曲が流れて来たので、この歌を是非練習したいという事になり、友達の家に集まり、各パートに分かれて、何回も歌い練習したのが思い出となっています。
又、クリスマスというと2017年に聖地旅行に行った時、羊飼いが羊達と夜を過ごした大きな岩と奥が洞窟になっている所にガイドさんが案内してくれました。
映画やアニメで聖夜が描かれるとき、多くは広い荒野の真ん中にいた羊飼いがひときわ輝く星に気付き、その星の照らす先に行ったら、イエス様が誕生しておられたというように描かれている事が多いのですが、私はその岩陰に立った時、夜気を避ける為に大切な羊達をきっとこのような場所に連れて来ていた時にイエス様の誕生を知ったのだと思いました。
「今日ダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。この方こそ主なる
<https://www.bible-jp.org/what-is-Christ.html> キリストである。」ルカ2:11
編集室・気まま便り
エミー・カーマイケルは1895年イギリスの国教会ゼナナ宣教会の宣教師としてインドに派遣され、55年間働いて83才で召された人です。
「イエスの平安は、あらゆる試練や重圧に耐え、決して離れない。イエスは、このご自身の平安を与えると言っておられるのだ。」エミー・カーマイケル
1901年ヒンズー教寺院に奴隷として売られる少女たちの救済を始めた時に、インドとイギリスの両政府から圧力がかかった中で、祈っていたら、ある木の下にイエス様が立って、「私の代わりにこの子達の面倒をみてほしい」と言われたという幻を見たので、それを説明して、イギリスとインド両政府を説得し、困難を物ともせず、信念を貫いた人の心情です。 MN
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Q 黙示録7章の144,000人とは誰のことですか?
A 黙示録7章に登場する144,000人とはいったい誰のことか? これは終末預言を語る上でとても重要なテーマです。ここでは、聖書本文に忠実に、福音的クリスチャンの主流的理解に立った形で整理して解説します。
■ 聖書本文が語る「144,000人」の特徴
黙示録7:3–8、14:1–5の記述を整理すると、以下の特徴が明確になります。
① 神のしもべとして額に「刻印」を受けた者
「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで…」(黙示7:3)
彼らは終末の大患難の中で、特別に神に守られ、証しのために立てられた人々です。
② イスラエルの十二部族から12,000人ずつ
黙示録7章は具体的に各部族名と人数が記されています。ここから144,000人は民族的イスラエル(ユダヤ人)であるという点が強く示されます。
③ 彼らは汚れのない「初穂」
「彼らは、神と子羊に捧げられる初穂…」(黙示14:4)
“初穂”とは、後に続く大いなる収穫の前触れです。つまり、患難期に救われるイスラエルの最初のグループを指すと考えられます。
④ 彼らは小羊の導くところに従う者
「子羊が行く所、どこにでもついて行く。」(黙14:4)
彼らはキリストに完全に従う特別な使命を持つ者として描かれています。
■ 主流的理解:彼らは「終末期に救われるユダヤ人の特別な宣教者」
・ 彼らは象徴ではなく、実際の人数のユダヤ人
・ 彼らは神が終末にイスラエルを回復する預言(ローマ11章など)の成就として現れる
・ 彼らは患難期における世界規模の宣教者・証人となる
・ 彼らの働きによって、「数え切れないほどの群衆」(7:9)がキリストへ立ち返る
■ なぜ終末に“ユダヤ人”が召し出されるのか?
ここを理解すると、144,000人の役割がよく見えてきます。
① 神はアブラハム契約を破棄していない
神はイスラエルを通して諸国を祝福する計画を立てられました。(創世記12章、ローマ11章)
② イエスは地上再臨の条件として「イスラエルの悔い改め」を語られた
「『主の御名によって来られる方に…』と言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」(マタイ23:39)
終末にイスラエルが民族的にキリストを受け入れる時、再臨が起こります。
③ 144,000人はその“前触れ”となる
彼らは「初穂」と呼ばれ、その後に大収穫(イスラエル全体の霊的覚醒)が起こると示唆されています。
■ 144,000人の役割
① 終末の患難期に神に特別に選ばれたユダヤ人の証人
② 全世界に福音を宣べ伝えるために特別に守られた者
③ イスラエル回復の“初穂”としての象徴的・実際的な役割を持つ
④ 彼らの働きによって、数え切れない多くの異邦人が救われる
■ まとめ: 144,000人とは、「終末の大患難期に、神が特別に選び、聖霊に満たして立てられるユダヤ人の証人であり、福音の大きな宣教ムーブメント
を引き起こす者たち」のことです。
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