DesertWind・ニュースレター August, 2025

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この痛みの中に、主の愛があった

 

LVJCC 牧師:鶴田健次

 
「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」(イザヤ53:5)

今年の夏、私は大動脈弁置換手術という人生でも稀に見る大きな手術を経験しました。長年使われてきた心臓の一部が正しく機能せず、外科手術によって人工弁に置き換えることになりました。主治医からは「成功率は高いが、身体への負担は大きい」と告げられ、祈りつつ手術に臨みました。

手術当日、全身麻酔が施され、私は眠りに落ちました。医師たちは胸骨を電気ノコで切開し、心肺装置に命を預けたうえで心臓を一時停止させ、大動脈弁を取り外し、新しい弁を縫いつけるという緻密な作業が行われました。その間、私自身は何も知ることなく、ただ主の御手に自分の命を委ねていました。

目が覚めたとき、私はICUのベッドの上に横たわっていました。身体にはさまざまな管がつながれ、酸素マスクを通して息をし、胸には焼けるような痛みが走っていました。

息をするのもつらく、喉には管が入り、胸には激しい痛みが走っていました。麻酔の効果が切れた後の数日は、人生で経験したことのない痛みに苛まれました。鎮痛剤もほとんど効かず、少し動くだけで胸に裂けるような痛みが走ります。夜も眠れず、咳をするたびに体が悲鳴を上げました。

そんな中、私の心に浮かんできたのは、主イエス・キリストの十字架でした。これほどの痛みを体験する中で、「主はもっと大きな苦しみを、私のために引き受けてくださった」という現実が、迫ってきたのです。

主は鞭打たれ、十字架に釘で打ちつけられ、激痛と血にまみれながら、ひとことも抵抗せず沈黙されていました。そして、その苦しみは肉体的なものだけでなく、霊的な絶望――父なる神から見放されるという深い孤独をも伴うものでした。

「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という叫びは、まさにその深淵を物語っています。私はそのことを、術後のベッドの上であらためて思い巡らしました。

主の苦しみは、私が体験しているこの痛みよりもはるかに深く、重く、そして尊いものでした。そのすべてが、私のためだった――そのことを思ったとき、涙が出ました。

イエス様は、無実の罪で裁かれ、鞭打たれ、茨の冠をかぶせられ、十字架に釘で打ちつけられました。その苦しみは肉体的な痛みだけでなく、人々の嘲り、弟子たちの裏切り、そして何より、父なる神から見捨てられるという霊的な苦しみでもありました。

まさに、「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって私たちは癒やされた」のです。私は改めて十字架の苦しみを、私の罪のために絶えてくださった主の愛に感謝の祈りをささげました。

術後の日々は、まさに「忍耐の訓練」でした。一歩ずつの回復、歩くたびに感じる息切れ、食欲の低下、そして夜になると咳が止まらず眠れない苦しみ。けれど、その中で私は毎日、主と語り合い、主に支えられて歩みました。

「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」(Ⅱコリント12:9)という御言葉の通り、私の弱さの中にこそ、主の力と愛が豊かに注がれていたのです。

この経験を通して、私はひとつの確信を得ました。それは、「苦しみを通して、私たちは主の愛の深さをより深く知ることができる」ということです。平穏無事な日々には気づかなかった恵み、十字架の意味が、痛みと弱さの中で鮮やかに浮かび上がってきたのです。

今、私は新しい心臓の弁とともに、新しい感謝と信仰をもって歩み始めています。回復には時間がかかり、大変な思いもします。でも、私の心には確信があります。「主は決して私を見捨てない。主は私のすべてをご存じで、苦しみの中に共にいてくださる」と。

もし、あなたが今、病の中にあるなら、試練のただ中にいるなら、どうか忘れないでください。イエス様は、あなたの痛みをご存じです。そして、そのすべてを担うために、あなたよりも深い苦しみを、十字架で味わってくださったのです。あなたは一人ではありません。十字架の主が、今も共におられるのです。



空っぽの詩を読んで』

 

証し:中島マリ子

 
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「空っぽ」 マザーテレサ

神はいっぱいのものを満たすことができません。
神は空っぽのものだけを満たすことができるのです。
本当の貧しさを、神は満たすことができるのです。

イエスの呼びかけに「はい」と答えることは空っぽであること、あるいは空っぽになることの始まりです。与えるためにどれだけ持っているかでなく、どれだけ空っぽかが問題なのです。

そうすることで、私たちは人生において十分に受け取るができ、私たちの中でイエスが ご自分の人生を生きられるようになるのです。今日イ エスは、あなたを通して御父への完全な従順をもう一度生きたいのです。そうさせてあげてください。

あなたがどう感じるかでなく、あなたの中でイエスがどう感じているかが問題なのです。自我から目を離し、あなたが何も持っていないことを喜びなさい。あなたが何者でもないことを、そして何もできない事を喜びなさい。

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この「空っぽ」の詩に出会って感じたことは、聖書の中には度々、この世の価値観とは真逆のことが書かれているという点です。それは、神様の価値観と人間の価値観との違いだと思います。

今はそのように理解できますが、若い時、聖書に初めて触れたときは何度も衝撃を受けました。放蕩息子、ブドウ園の主人が人を雇いに行く話、イエス様が語ったたとえ話など、どれも驚きと共に理解しがたいと思ったものです。

この「空っぽ」の詩もその一つです。人々は何でも持っていることが幸せであり、そうなりたいと努力します。

才能、金銭、地位など、それを人生の目標にしている人が大半です。しかし、そういう人を全く違う視点から眺めてみると、頭と心が一杯で、実は悲鳴をあげているのに、なお無理して目標を達成したいと努力し続けています。

この世で自分しか頼れないと思い込んで、ひたすら努力をして、最終的には健康を害したり、精神的な病にかかったり、家に引きこもったりするものです。そうなって初めて本人と周囲も気が付くという例を、私はたくさん見てきました。

実は、空っぽになることは簡単に見えて、そうではないと思いました。それはまず、自分の人生の中に神様を受け入れ、全知全能の神様がこの世を支配していることを自覚し、すべてを委ねて生きるという思いがないと、人間は自分の心を空っぽにはできないと思います。

この詩が示している先には、神様が大きく手を広げて「そんなに無理しなくてもよい。私が付いているから、私の存在を認めて信じて、何も心配せずについておいで。世間の価値観に振り回されず、自我や見栄、欲望をすべて捨てて、私に従っておいで」と語りかけているのが聞こえてきませんか。

東京に住む友達が、「私は今まで神様を信じてこなかったけれど、なんとか生きてきたし、ある程度の財産もできたので、これからも無神論者で過ごしていく。死後の世界はわからないから考えていない」とLINEのやり取りで書いてきました。多くの日本人はこのように思っているようです。

それは八百万の神々や迷信にこだわる文化と習慣の中で生きてきたため、聖書が示す本当の神様の存在を知らないし、知りたいとも思わない人が残念ながら多いのです。

埼玉県に住む中村穣牧師は『信じても苦しい人へ』という著書の中で、「現代の信仰の問題の一つは、“神を感じないと信仰がない”と判断してしまうことだと思います。

(中略)たとえ感じなくても、神は私の理解を超える存在だからこそ魅力があるのです。たとえ感じなくても、神は私の理解を超えたところでしっかりと私を導き、見守り、愛し続けておられます」と書いています。

「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)


編集室・気まま便り

「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。叩きなさい。そうすれば開かれます。」マタイ7:7

私は1970年にカナダのトロントに移住し、1982年にロスに再移住して以来、今年で海外生活は55年目となります。

言語文化習慣の違う国での生活と3人の子供達の世話に明け暮れて、いつも心身ともにギリギリの状態でしたが、ふと現実から目を離して神様を見上げると、「私が付いているから大丈夫」といって微笑んでいる神様の顔が浮かんできて、すべてを益としてくださる神様を信じて、何があってもこのみ言葉のように前向きに明るく生きたいと祈ったのを思い出します。 MN

 



 

LVJCC キリスト教 Q&A

 

Q 「神はねたむ神である」とはどういう意味ですか?

 

A   「神はねたむ神である」という言葉は、出エジプト記20章の十戒に登場します。「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない」「あなたは自分のために偶像を造ってはならない」という戒めの後に、「わたしは、主、あなたの神。ねたむ神である」と語られます。この表現は、私たちに違和感を与えるかもしれません。なぜなら、人間の「ねたみ」はしばしば自己中心的で破壊的な感情だからです。しかし、ここで使われているヘブル語「カンナー(qanna’)」は、人間的な嫉妬ではなく、「熱烈な情熱をもって守る者」「排他的な愛を持つ者」という意味を含んでいます。

聖書で神が「ねたむ」と言われるのは、神と民との関係が「契約」、すなわち結婚のような関係であるからです。神はイスラエルを愛し、選び、導くと誓われました。一方、民は神以外の神々を拝まないことを求められました。

偶像礼拝はこの契約を破る「霊的姦淫」であり、神はそれを深く悲しまれます。「ねたむ神」とは、神がご自身の民に対して真実であり、民にも同じ忠実さを求められることを示しています。

また、この表現は神の独占的な主権と聖さを表します。天地万物の創造主である神の栄光は、いかなる存在とも共有できません他の神々を拝むことは創造主を侮辱し、偽りに信頼を置くことです。それは神の主権に対する反逆であり、神はそれを決して容認されません。

神のねたみは愛から来る情熱です。もし神が無関心なら、人が偶像を拝もうと放置されるでしょう。しかし神は、私たちが偽りの神々や物質、名誉、欲望に心を奪われることを悲しまれます。

神のねたみは「あなたを愛しているから、私以外に心を向けないでほしい。あなたの真の幸せは私との関係にある」という深い愛情の表れなのです。

この言葉はまた、偶像礼拝への厳しい警告でもあります。出エジプト記20:5には、「わたしを憎む者には…三代、四代にまで」「わたしを愛し…守る者には、恵みを千代にまで」という言葉が続きます。

これは、神が厳しさと同時に圧倒的な恵みを備えておられることを示します。偶像礼拝は魂を蝕み、真の神から引き離す罪です。だからこそ神は強い言葉で戒め、私たちを守ろうとされるのです。

新約でもこの主題は引き継がれています。ヤコブ4:5には「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておらる」とあります。神は聖霊によって私たちを御自分のものとし、愛と交わりに生きることを強く願っておられます。

結論として、「神はねたむ神である」とは、神が私たちとの関係を深く重んじ、私たちを真実な愛によってご自身のものとされたいと願っておられるという、激しくも純粋な愛の表現です。

これは自己中心的な嫉妬ではなく、契約に基づく聖なる愛、揺るがない忠実さ、そして私たちの魂への関心の深さを示す言葉なのです。

神は今も、私たちが偶像に心を奪われることなく、ただ主を愛し、主だけを信じる者であるようにと、情熱をもって私たちに語りかけておられるのです。


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