イエスは、「父はわたしよりも偉大な方だからです」と言われました。しかし、それはイエスが神でないからではありません。それはイエスが父よりも低い立場におられたからです。イエスは、「ただ、御使いよりもわずかの間低くされた方(へブル2:9)」なのです。ガラテヤ4:4では、イエスは「律法の下にある者」と言われています。したがって、イエスは、律法の下にある者として、神に祈り、神の御心を行なわなければなりませんでした。またピリピ2:7では、「ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました」と言われています。イエスはまた、 「『わたしは去って行くが、あなたがたのところに戻って来る』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを、あなたがたは喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです」(ヨハネ14:28)とも言っておられます。
イエスは、神と人間という二つの性質を持っておられます。イエスはご自分が神であることを否定されませんでした。またイエスは、ご自分が人間でもある事実も認めておられました。イエスは神であり人間でもあられたのです。人間として、イエスはご自分の内に人間の性質を持ち(コロサイ2:9)、律法の下におられた(ガラテヤ4:4)ので、父よりも低い立場にあられました。イエスは人々の罪のために死ぬために人間になられたのです(1コリント15:1-4)。
立場の違いの比較は、結婚関係の中に見ることができます。聖書的には、夫は妻よりも地位と権威において優れています。夫は妻のかしらです(エペソ5:23)。しかし、夫は本質的には妻と何の違いもなく、妻よりも優れているわけではありません。夫と妻は同じ本質を共有し、人間であり、主への愛と献身によって共に働くのです。
ですから、イエスはご自分が神であることを否定されませんでした。イエスはまた、ご自分が人間でもあり、人間として神の律法の下にあり、律法の下にある罪人を贖う者であることを認めておられました(ガラテヤ4:4-5)。
引用された御言葉
- ピリピ2:5-8 「5キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。6キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」
- コロサイ2:9 「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」
- ガラテヤ4:4-5 「4しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。5それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。」
- ヘブル2:9 「ただ、御使いよりもわずかの間低くされた方、すなわちイエスのことは見ています。イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。」
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