「受肉」という用語は、「人になる」ことを意味します。 受肉とは、三位一体の第二位格である「ことば」が「人となって、私たちの間に住まわれた」という出来事です。 ヨハネ1:1には、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」とあり、 ヨハネ1:14には、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」とあります。
ことばが人になると、そのお方はマリヤの胎に住まわれ、イエスとしてお生まれになりました。 イエスは神が人となられたお方、つまり人となられた神です。コロサイ2:9は、「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています」と述べています。
イエスに関する神の受肉のもうひとつの用語は、「位格的結合」です。 「受肉」という用語は新約聖書の中には出てきませんが、その概念は明らかに教えられています。
ヨハネ1:1 :「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
ヨハネ1:14 : 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
コロサイ2:9 : 「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」
ピリピ2:5-8 : 「 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」
1テモテ3:16 : 「確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」
1ヨハネ4:2 : 「人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。」
ヨハネ20:28 : 「トマスは答えてイエスに言った。『私の主。私の神。』」
ヘブル1:8 : 「御子については、こう言われます。『神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。』」
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