生命の起源

 

生命の起源・・・・、生命は一体どのようにして誕生したのか。その起源はどこにあるのか。そもそも何もないところから偶然に生命が生まれるのか。いつの時代にも、このような問いを人々は投げかけてきました。

 

そういう問いから始まった生物の起源に関する研究は,単に生物の構成物質(アミノ酸、核酸塩基など)の由来を検証する研究から、さらに物質がどのように秩序だった細胞を作り出すように複雑化したのかを調べる研究まで、大きな進歩を見せています。 近年では多くの生物のゲノムの情報が比較できるようになり、それを利用して最初の生物の姿を類推する研究もあります。

 

しかしながら、飛躍的に発展した今日の生命科学でさえ、たとえまことしやかな科学的見解が述べられていても、それらはすべて様々な仮定の上に積み重ねられた見解であり、実際のところ、生物の起源の研究は未だ霧の中を彷徨っている状態です。

 

さて、生命の起源に関してはいろいろな説がありますが、その中で主なものは以下の三つです。

 

①神が創られた。

②約38億年ほど前、突然、海の中で生命が誕生した。

③最初の生命は宇宙からやって来た。

19世紀に至るまで多くの人々は、自然発生説を受け入れていました。彼らは、雨が降ってできた水たまりには、すぐに何億もの微生物が現われるということを引き合いに出し、それらの微生物は自然に発生したものだというわけです。また、腐敗した死体には、すぐにウジ虫がわいてくることも引き合いに出し、生命は無生物の中から自然発生するものだと主張します。これらの論理は、進化論を正当化するためにも用いられました。

 

しかし1864年に、フランスの細菌学者ルイ・パスツールは、この考えが間違いであることを実験的に証明しました。つまり、完全に殺菌し、かつ外部から菌が入らない状態にしたところからは生物の発生は決してないことを示したのです。これは今日においても事実です。実際、医者はこの実験結果を信頼して、手術の際などに医療器具を殺菌します。生命のない物質から生命が自然発生することは絶対にないからです。

ところが、生命の自然発生説が崩れたとき、進化論者たちは別のタイプの自然発生説を唱えました。彼らは、非常に長い時間に望みをつないだのです。つまり、たとえ数年や数十年の間に生命が自然発生することはなくても、何億年、何十億年の時間があれば生命が自然発生することもあるだろうという、いわば信仰に似た新たな自然発生説を唱えたのです。

しかしその後、分子生物学の研究が進み、細胞や、細胞の構成物質のことがよく解かるようになったことにより、無生物の中から生命が発生することは何億年かかっても起こり得ないことが判ってきました。細胞の構成物質であるアミノ酸のようなものは、自然界でも普通に形成されることがあるのは知られています。しかしアミノ酸と一個の細胞とでは、砂粒と超高層ビルとの差ぐらい、複雑さの点で大きな違いがあります。生命の最小単位である一個の細胞でさえ、それが形成されるためには、想像を絶するほど多くの幸運が重なり合わなければならないのです。

 

そこで、17世紀のフランチェスコ・レディによる対照実験を皮切りに自然発生説を否定する科学的実証が始まり、19世紀のルイ・パスツールの実験によって自然発生説はほぼ完全に否定されました。つまり無生物の中から一個の細胞が自然発生することは、大地の中から東京タワーが自然に出現することと同じく不可能なことです。たとえ大地に風が吹き、雷鳴がとどろき、何億年もの時間が過ぎても、大地の中から自然に東京タワーが出現するとは誰も思わないでしょう。同様に、無生物の中から生命が自然発生することはあり得ないのです。

 

そのような事情で、途方もなく長い時間に望みをつないだ進化論者の新たな自然発生説も、今日では全く根拠を失いました。しかし、一度持った信仰は、なかなか捨てられないように、今も進化論者は生命の自然発生を信じています。それはまさに空しい信仰に過ぎません。

生命は、無生物から発生するのではなく、ただ生命からのみ生まれるのです。聖書は、「いのちの息は、わたし(神)がつくったからだ」(イザヤ書57:16口語訳) と述べています。生命は生命の根元である神から来たとする考えは自然発生説より遥かに理にかなったものなのです。

 

また、遺伝子工学の観点からも、生命の自然発生説は否定されます。生物の誕生において、「卵が先か、鶏が先か」ということがよく言われます。私たちは卵と鶏を見てみると、一見、卵のほうが簡単なもののように見えるので、きっと卵が先だろうと思ってしまうかもしれません。ところが、卵は1個の細胞で、その細胞の核の中には遺伝子が入っています。DNAとも呼ばれるこの遺伝子は、実は成体となった鶏が持つ遺伝子と全く同じもので、寸分の違いもありません。これは人間でも同様で、母親の胎内に宿った受精卵の中にあるDNAは、大人になった人間の各細胞にあるDNAと完全に一致するのです。

そして、一個のDNAの中には、百科事典の文字数に換算すれば1億ページ分に相当する膨大な量の情報が詰まっています。鶏の卵がどのように細胞分裂を繰り返して、どの細胞が目になり、耳になり、足になり、翼になる…といったすべての情報とプログラムが、その卵のDNAに含まれているのです。

またDNAには、生まれてから死ぬまでの、その生物的要素に関するすべての情報が収まっています。つまり、成体の鶏になったときの生物的設計図のすべてが、その小さな卵の中に既に収められているのです。したがって、遺伝子情報の観点から見れば、卵も、鶏も、そのDNAは全く同じで、卵は親鶏がいなければ生まれないということです。なぜなら、卵にすべての遺伝情報を与えたのは親鶏だからです。

結論として、生物の歴史において、決して卵が先に誕生したのではないのです。最初に誕生したのは親鶏です。また人間で言えば、大人が最初に出現したのです。そして、それは聖書の記述に完全に一致するのです。

 

 

 


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