7.キリスト教の重要な教義

聖書は、自らキリスト教信仰に不可欠な教義を明らかにしています。それらは(1)キリストの神性、(2)恵みによる救い、(3)キリストの復活、そして、(4)福音です。 これらのものが聖書が必要であると言っている大切な教義です。もちろん、他にもたくさんの重要な教義がありますが、これらの4つは聖書自ら重要であると宣言している唯一のものです。聖霊によって作り変えられていない人、またはカルト宗教の信者(モルモン教徒やエホバの証人など)は、これらの重要な教義を少なくとも一つ以上は否定するでしょう。また、三位一体のような、聖書から派生した他の教義で大切なものもあるということを心に留める必要もあります。

1. キリストの神性

A. イエスは人となられた神です(ヨハネ8:58; 出エジプト3:14)。また、これらの聖書箇所も参照して下さい(ヨハネ1:1、14; 10:30-33; 20:28; コロサイ2:9; ピリピ2:5-8; へブル1:8)。

  ①  Iヨハネ4:2-3 「あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。」

    ・ 上記の御言葉は、「言葉は神であり、言葉は人となった」と書かれているヨハネ1:1、14を参照する必要があります。
    ・ Iヨハネ4:2-3は、もしあなたが人となられた神を否定するなら、あなたは反キリストの霊を持っていると言っているのです。

  ②  ヨハネ8:24 「だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」。

  ③  イエスは、ここで、「わたしはある」という方を信じなければ、あなたは自分の罪のうちに死ぬであろうと言われました。ギリシャ語で「わたしはある」という言葉は「エゴー・エイミ」と言います。これは、ヨハネ8:58で、イエスが「・・・アブラハムの生まれる前からわたしは、いるのである」と言われた時の言葉と同じ言葉です。イエスは、70人訳聖書の出エジプト記3:14を引用することによって、神としての立場を主張しておられます。(70人訳聖書:へブル語の旧約聖書の古代ギリシャ語訳)

B. イエスは適切な信仰の対象です。

  ①  単に信仰を持っているということでは十分ではありません。信仰は、それが何に対するものであるかが重要です。信仰は適切な対象の中に置かなければなりません。異端は、信仰の対象が間違っています。したがって、彼らがどんなに誠実であっても、彼らの信仰は役に立ちません。

  ②  もしあなたが太陽の神を信じているとしたら、裁きの日に、あなたは大変な問題を抱えてしまいます。たとえ、どんなに一生懸命にその神を信じていても、それは何の意味もありません。あなたの信仰があなたを救えないものに置かれているからです。

C. キリストの神性に関する教理は以下のものを含んでいます。

  ①  三位一体――父と子と聖霊は唯一の神の三つの人格です。その三位は共に永遠性を持ち、同じ属性を持っています。

  ②  一神教――すべてのものの中で、ただ唯一の神がおられる(イザヤ43:10; 44:6,8; 45:5,14,18,21,22; 46:9; 47:8)。モルモン教徒は、一つの神を礼拝しますが、たくさんの神々が存在すると信じています。したがって、彼らは多神教信者です。

D. キリストの二性――イエスは神であると同時に人である。

  ①  キリストの犠牲の十分性――キリストの犠牲は、世界の罪を償うためには完全に十分なものです。

  ②  神として――イエスは、単なる人間のものより大きな価値の犠牲を提供できるために、神でなければなりません。イエスは世界の罪のために死ななければなりませんでした(Iヨハネ2:2)。それは、神だけができたことです。

  ③  人として――イエスは、人の犠牲になるために人でなければなりません。人として、イエスは神と人との間の仲保者であることができます(Iテモテ2:5)。

2. 恵みによる救い

A. 「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行ないによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである」(エペソ2:8,9)

B. 「律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。」(ガラテヤ5:4)

  ①  この御言葉とその文脈は、信仰と行ないによって救われていると信じるなら、あなたは全く救われてはいないことを明らかに教えています。これは異端がよく犯す間違いです。彼らには偽物のイエスがいるので、救いの教義も偽物です(ローマ3-5; ガラテヤ3-5)。
  ②  私たちは神の御業に何一つ付け加えることはできません。ガラテヤ2:21はこう言っています。「わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死は無駄であったことになる」。

C. 「なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである」(ローマ3:20)

  ①  「しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである」(ローマ4:5)
  ②  「では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう」(ガラテヤ3:21)

3. キリストの復活

A. 「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい」(Iコリント15:14) 「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう」(Iコリント15:17)

B. 体のよみがえりを否定することは、イエスの御業と犠牲、そして私たちのよみがえりを否定することです。

C. ヨハネ2:19-21は、イエスが死からよみがえらなかったと言う者の信仰は無意味であるということを明らかにしています。

4. 福音

A. 「しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使いであろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわれるべきである。わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである」(ガラテヤ1:8-9)
  ①  ガラテヤ1:8-9は、私たちが福音を信じなければならないという自己声明文です。福音のメッセージは、全体として、イエスが人となられた神であること、私たちの罪のために死んだこと、死からよみがえったこと、信じる者に永遠の命を無償のギフトとして与えること、ということです。
  ②  さらに、イエスを人となられた神と宣言しなければ、福音を適切に提示することは不可能になります(ヨハネ1:1,14; 10:30-33; 20:28; コロサイ2:9; ピリピ2:5-8; へブル1:8)。

B. Iコリント15:1-4は福音が何かを明らかにしています。「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと」。
  ①  これらの御言葉の中に本質的な要素があります。
    ・ キリストは人となられた神である(ヨハネ1:1,14; 10:30-33; 20:28; コロサイ2:9)。
    ・ 救いは信仰によって得られる(ヨハネ1:12; ローマ10:9-10)。
    ・ 救いは恵みによるものです。そして、復活については4節で言われています。したがって、この福音のメッセージは本質的要素を含んでいるのです。


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