弁証論が必要な八つの理由

弁証論は一体なぜ必要なのでしょうか?

まず一番目の理由、そして最も明白な理由は、私たちが信仰を弁明するようにと命令されているからです。1ペテロ3:15、16は、「ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。しかし、やさしく、慎み深く、明かな良心をもって、弁明しなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活をそしる人々も、そのようにののしったことを恥じ入るであろう。」と言っています。

二番目に、弁証論は、クリスチャンが自分たちの信仰をさらに知る助けになるので必要です。これは悲しいかな、信仰者たちの間に欠けているものです。多くのクリスチャンが自分たちの信仰についてあまり多くを知らず、三位一体、キリストの二性、キリストの肉体のよみがえり、義認と聖化の違いなどを説明することができません。弁証論は、福音の真理がどういうものであるかを定義し、弁明する助けになるのです。

三番目に、弁証論は人々を地獄に行かせないようにする試みです。神は罪を非常に真剣に受け止められます。そして、神に反逆し、キリストの血で覆われていない人を罰します。クリスチャンとして、私たちは、イエス・キリストにある救いの真理を人々に示すための動機付けを与えられなければなりません。私たちは、信じない人のジレンマを黙認し、無視すべきではないのです。私たちは彼らに、神が本当なので罪も本当なのだということ、また神の律法を破ることが如何に重大な問題を招くかということを伝えなければなりません。私たちは皆、罪を犯したので、神の律法を完全に守ることはできません。また、完全でもなく、聖なる者でもない私たちは、完全に聖なる神に対し、犯した罪を取り消すことはできないのです。ただひとつ私たちに残されていることは、神の裁きのもとに降ることです。しかし、神は私たちがその裁きから逃れる道を用意して下さいました。それが、神がイエスにおいて人間になられた理由です。イエスはご自分が神であることを主張されました。そして、私たちの罪をご自分の身に負うて十字架に架かられたのです(1ペテロ2:24)。私たちの罪の赦しのためにキリストを信じることによって、私たちは罪人の上に下される神の正しい裁きから救われるのです。救いは仏教にも、イスラム教にも、相対主義にも、また自己の中にも見出すことはできません。それはイエスの中にだけ見出せるものです。私たちは、神の言葉と真理を擁護するだけではなく、すべての人が来るべき裁きを逃れられるよう、彼らに福音を提示する必要があるのです。

四番目に、弁証論は、キリスト教がメディアと文化の中で受け取った悪いイメージを迎え撃つのに必要です。テレビ伝道師と彼らの性的・金銭的スキャンダルはキリスト教の名を汚しています。カトリック教会は、聖職者が関わるスキャンダルに一切、助けの手を伸べません。また、メディアはキリスト教に対して非常に偏っており、キリスト教に関する否定的見解を至る所で広めています。

五番目に、目に見えるキリスト教会には常に背信の脅威があるので、弁証論が必要です。たとえばMetropolitan Community Churchの場合がそうですが、彼らはローマ書1:18-32の言葉に反して、同性愛を公然と擁護しています。また、2002年現在、Evangelical Lutheran Churchは、同性愛の関係を教会に受け入れるという考えを歓迎するという背信の危機にあります。United Church of Christは、同性愛者の神学生のために50万ドルの奨学金を設置し、他の諸宗派による同性愛のより広い理解を促しました(2000年6月16日)。また、United Methodist Churchの最高裁は、同性愛者の聖職者禁止令を再考するよう依頼されました(2001年10月25日)。このような例は、クリスチャンであると主張するそれらの教会の中で、聖書の真理を擁護しなければならない重大な理由です。

六番目に、弁証論が必要な理由は、多くの誤った教えがあるからです。たとえば、モルモン教にはこんな教えがあります。神はかつては他の世界にいた人間である。彼は女神妻のひとりをこの世に連れて来た。彼らは人間の赤ん坊に生まれる精神子(spirit offspring)を作っている。あなたには、あなた自身の世界の神になる可能性がある。またエホバの証人は、三位一体はない、イエスは天使長ミカエルである、地獄はない、14万4000人だけが天国に行くなどと教えています。あるいは無神論は、神の存在を否定し、キリスト教を公然と攻撃して、公共の場や学校などで広まっています。またイスラム教にはこんな教えがあります。イエスは人となった神ではない。イエスは死からよみがえらなかった。イエスは私たちの罪を贖わなかった。救いは、その人の行いと、アラーの恵みの両方による。聖霊は天使ガブリエルである(Surah 2:97、16:102)。悪魔(Jinn)は炎から創られた(51:56)見えない存在である(15:27、55:15)。マホメットはイエスよりも偉大だった。さらにまたキリスト教会の中にさえ誤った教えがあります。私たちは、教会の内外から、その誤った教えが信者や未信者を世界中で攻撃しているのを見ることができるのです。

七番目に、アメリカにおける不道徳の上昇は、社会だけではなくキリスト教にも脅威です。不道徳な社会は長く存続できないので、これは重大な問題です。Barna Research groupの統計によれば、64%の大人と83%のティーンエイジャーが道徳的真理は置かれた状況によると言っています。また成人人口の19%は、「罪に関する全体的な考えは時代遅れだ」と信じています。あるいは、成人の51%は、「一般的に良い人であれば、その人は天国に行ける」と信じています。社会の道徳が低下するとき、社会は行き詰まります。歴史をふり返ると、古代ローマ、古代ギリシア、また近代のエンロン、ウォーターゲート事件、ホワイトハウスの研修生の問題など、不道徳は私たちの文化のあらゆる分野に染み込んでいます。そういう中で、永遠に変わることのない神の絶対真理を明らかにすることは大変重要なことです。

八番目に、弁証論が必要な理由は、学校がキリスト教に対して好意的でないからです。学校によっては、キリスト教に敵意を持つ教師たちがいたり、リベラルな中学校の図書館には、「同性愛の性の喜び」や「独身女性とのセックスの仕方」などというタイトルの本があったり、また、ニューエイジやオカルトを促進しようとする学校もあります。あるいは、議論を呼んだクエストという薬物教育プログラムは、ドラッグを使ってもいいかどうかは生徒たちが自分で決めることができると言っています。また、その中には、生徒たちに自殺を想像させたり、宗教を攻撃させたり、家族の権威を害する記事があります。
ここに世俗的な学校で信仰を失った娘の両親からの手紙があります。“私たちの娘は、家を離れ、大学に通うようになって以来、無神論者の心を持つようになりました。大学の本は、反神思想の哲学に満ちており、無神論者を育てているように思えます。現在、娘は大学に4年いますが、最後に彼女と話しをしたとき、彼女は、罪や天国や地獄は存在しないのでもう考えないと言いました。彼女は、小さい時に主を受け入れましたが、それを言うと、子供は言われた事をするもので、自分は何をしているか分からなかったと言いました。”

事実は、キリスト教は世界中で攻撃されていて、私たちは、後ずさりせずに信仰の戦いをする必要があるということです。私たちは、私たちの主イエス・キリストの教えに害を加えようとする批評家や偏見を持った人々に対し、キリスト教に関する合理的で、知的で、適切な説明をする必要があります。もし弁証論が必要な時代が今までにあったとすれば、今こそがその時です。


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