福音は、人間に対する神の最も大切なコミュニケーションです。 御子なる神イエスにおいて、私たちは、罪人の上に下される神の義の裁きから私たちを救う、神の愛と犠牲の啓示をいただいています。あなたが、まだクリスチャンでなく、どのように自分の罪が赦され、キリストに従えばいいかを知りたいなら、あるいは、ただキリストの福音とは何かを知りたいと思われるなら、これはあなたのためのものです。
聖書は、Iコリント15:1-4で、福音とは何かということを言っています。
「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われ るのである。わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと」。
聖書は、私たちが皆罪人であると言っています(ローマ3:23)。これは、私たちが皆、神を怒らせたことを意味します。 私たちは皆、神の律法を破りました。したがって、私たちは罪を犯したことに関して有罪です。この事のために、私たちは神から離れ(イザヤ59:2)、罪の中に死んだ者とされ(ローマ6:23; エペソ2:3)、神を喜ばすことができず(ローマ3:10-11)、永遠の滅びの罰を受ける者とされたのです(IIテサロニケ1:9)。この裁きから逃れる唯一の方法は、キリストを受け入れ、イエスが十字架の上でなされたことを信じることです(ヨハネ14:6; 使徒4:12; Iペテロ2:24)。
私たちは罪人なので、私たち自身の努力によって、この罪の罰を取り除くことはできません。ガラテヤ2:21にこう書いてあります。「もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死は無駄であったことになる」。律法は、道徳的な行ないに関するものです。言い換えれば、私たちは自分の行ないによって義人になることはできません。なぜですか?私たちが罪の中に死んでいるからです(エペソ2:3)。
これは、私たちが自分自身の罪を取り除くことができないので神がそれをされなければならないということを意味します。人となられた神であるイエス(ヨハネ1:1,14; 8:58; コロサイ2:9)が、十字架にかかって私たちの罪をご自分の身に負われたのです(Iペテロ2:24)。イエスは私たちに代わって死なれました。イエスは私たちの上に下されるべき神の律法破りの罰の代価を払って下さり、十字架の上で死ぬことによって、父なる神の律法を全とうされたのです。
イエス・キリストを通してだけ、私たちは、神が神の聖なる律法を破ったすべての者に下される罰から逃れることができるのです。あなたは神の公正な裁きから救われたいですか? もし、クリスチャンになって、神に従いたいなら、あなたは神に背いてきた者であり、神の裁きのもとにあることに気付かなければなりません。あなたは、罪の罰を赦され、神の裁きから救われるために、十字架で死なれたイエスを仰ぎ見、イエスがなされたことに信頼しなければなりません。これはイエスがなされた事に対する信仰だけによって成し遂げられるものです。たとえあなたの誠意であれ、良い行ないであれ、救われるために、イエスがなされたこと以外に、あなたが加えることのできるものは何もありません。
まず費用を計算する
イエス・キリストは、こう言われました。「あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか」(ルカ14:28)。
イエスは費用を計算するようにと言われました。クリスチャンになる費用は、時どき非常に高くつく場合があります。世界のいくつかの地域では、その人の命を掛けなければならない場合もあります。アメリカや日本では、そんな危険は全くありません。しかし、それにもかかわらず、あなたがクリスチャンになるとき、神はそれを非常に真剣に受け止められます。神は、あなたの心とあなたの人生に働きかけ、あなたを変え、あなたをキリストに似た者となるようにされます。時々、それは簡単な場合もありますが、ある場合には、非常に困難な場合もあります。しかし、神があなたの人生に働きかけ、救われた後にも働き続けて下さるために、クリスチャンになるということは、そういう意味を持つのです。
キリストを受け入れる
キリストを受け入れたいと望むなら、以下のような祈りをしてください。これは祈りの形式というわけではありませんが、キリストを信じるということはこういうことであるということです。
「主イエス様、私は、あなたのもとに来て、自分が罪人で、嘘をつき、心の中で悪いことを考え、あなたの戒めを破ったことを告白します。どうぞ、私の罪を赦してください。私は、あなたが十字架の上でして下さったことを信じ、あなたを受け入れます。どうか私の罪を洗い清め、私の人生の主となってください。私は、私の罪の完全な赦しのためにあなたを信じ、自分の努力に頼ることをしません。主イエス様、どうぞ私をお救いください。」
イエス・キリストに対する信仰告白をしたことを、他の人に言ってください。聖書にこう言われています。「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである」(ローマ10:9,10)
イザヤ59:2 「あなたがたの不義が、あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。…」
ヨハネ1:1 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
ヨハネ1:14 「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」
ヨハネ8:58 「イエスは彼らに言われた、『よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生まれる前からわたしは、いるのである』」
ヨハネ14:6 「イエスは彼らに言われた、『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない』」
使徒4:12 「この人による以外に救いはない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」
ローマ3:10-11 「次のように書いてある。『義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。』」
ローマ3:23 「すなわち、すべての人は罪を犯したために、神の栄光を受けられなくなっており、」
ローマ6:23 「罪の支払う報酬は死である。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」
ローマ10:9-10 「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである」
エペソ2:3 「また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生まれながらの怒りの子であった」
コロサイ2:9 「キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、」
IIテサロニケ1:9 「そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう」
Iペテロ2:24 「さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである」
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