基本的に、イエスが私たちの罪のために死ななければならなかった理由は、私たちの罪が赦されて主と共にいることができるようになるためでした。イエスは人となられた神であり(ヨハネ1:1、14、コロサイ2:9)、神だけが律法の要求を満たし、私たちを罪からきよめるための完全な犠牲となることができるのです。
すべての人が神の前に罪を犯しました。しかし、神は無限に聖く義なる方です。神は律法を犯した罪人を罰しなければなりません。もし神がそうされないなら、罰のない法律は法律ではないので、罰のない神の律法は律法ではありません。神の律法を破ることに対する罰は死、つまり神との断絶(分離)です。したがって、私たち罪人は神の義の裁きから逃れる道が必要になります。私たちは罪に汚れ、神の律法を守ることができませんが、私たちに出来ない事を出来る唯一の方が神ご自身です。そういうわけで、イエスは人間となられた神なのです。イエスは神と人間の両方の性質を持ち、律法のもとに生まれ(ガラテヤ4:4)、その二つの性質を完全に全うされました。したがって、私たちのために父なる神に捧げられたイエスの犠牲は無限の価値を持ち、すべての人の罪をきよめ、神に対する違反を取り消すのに十分なものなのです。
以下の要点は、聖書と論理を用いながら、これを分類したものです。私は皆さんが、神がなぜ私たちの救い主であり、造られたものではないかを理解する助けになればと願います。また、皆さんが罪の赦しのためにはキリストだけを信頼しなければならず、救われるに値する事など私たちには何もできないことを理解する助けになればと思います。
1. 神は存在する。
創世記1:1 - はじめに神は天と地とを創造された。
2. 神は無限である。
詩篇90:2 - 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。
詩篇147:5 - われらの主は大いなる神、力も豊かであって、その知恵ははかりがたい。
エレミヤ23:24 - 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。
3. 神は聖である。
イザヤ6:3 - 互に呼びかわして言った。 「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。
黙示録4:8 - この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。
4. 神は義である。
ネヘミヤ9:32–33 - それゆえ、われわれの神、契約を保ち、いつくしみを施される大いにして力強く、恐るべき神よ、アッスリヤの王たちの時から今日まで、われわれとわれわれの王たち、つかさたち、祭司たち、預言者たち、先祖たち、およびあなたのすべての民に臨んだもろもろの苦難を小さい事と見ないでください。われわれに臨んだすべての事について、あなたは正しいのです。あなたは誠実をもって行われたのに、われわれは悪を行ったのです。
2テサロニケ1:6 - すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。
5. したがって神は無限にきよく正しい方である。
6. さらに神はご自身の性質に基づいて語られる。
マタイ12:34 - ・・・・・・・おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。
7. 神は律法を語られた。
出エジプト20:1-17 - 神はこのすべての言葉を語って言われた。「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。・・・・・・・・・・・・・・。
8. 神は聖であり善なので、律法は神の心にあるものであり、神のご性質の反映である。
ローマ7:12 - このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。
9. さらに、私たちが破るのは神の律法なので、その律法を破ることは神に背くことである。また神が無限であるがゆえに、この罪は無限の背きである。
10.さらにまた、神が律法違反者を罰することは正しいことである。律法違反者(罪人)を罰しないことは神の聖さに背き、その聖さを無視することを許すことになる。
アモス2:4 - 主はこう言われる、「ユダの三つのとが、四つのとがのために、わたしはこれを罰してゆるさない。これは彼らが主の律法を捨て、その定めを守らず、その先祖たちが従い歩いた偽りの物に惑わされたからである。
ローマ4:15 - いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。
11.神は罪を犯した者は死ななければならない(罰される)と言われる。罪の報酬は死である。
エゼキエル18:4 - 見よ、すべての魂はわたしのものである。父の魂も子の魂もわたしのものである。罪を犯した魂は必ず死ぬ。
ローマ6:23 - 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。
12.罪人は神の義のさばきを逃れる必要がある。でなければ彼らは地獄に行くことになる。
ローマ1:18 - 神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。
マタイ25:46 - そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。
13.しかし、どんな罪人も、無限の背きの罪を消し去ることなどできない。神を喜ばせ、物事を正しくするためには、彼は神の義の性質の標準である律法を守らなければならない。
ガラテヤ2:16 - 人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。
ガラテヤ2:21 - わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。
14.しかし罪人は肉において罪深いので律法を全うできない。
ローマ8:3 - 律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。
15.罪人は律法を守れず、神を満足させることができないので、神だけができることに従わなければならない。
これは簡単な論理です。もし私たちが律法を全うできなければ、私たちは律法によって罰されます。しかし、神は私たちに救われて欲しいと願っておられるので、律法は満足されなければなりません。ところが私たちは律法を守れず、ただし律法は満足されなければならないので、律法を守れる唯一の方である神が律法を守らなければなりません。
16.イエスは人となられた神である。
ヨハネ1:1、14 - 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。・・・そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
コロサイ2:9 - キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、
17.イエスは律法の下にある人でもあった。
1テモテ2:5 - 神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。
ガラテヤ4:4-5 - しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。
18.イエスは私たちのために罪とされ、十字架の上でご自分の身に私たちの罪を負われた。それによって律法の要求が満たされた。
2コリント5:21 - 神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。
1ペテロ2:24 - さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
ローマ8:3-4 - 律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。
19.したがって、救いは恵みにより、信仰による。それは私たちが律法を守ることによってではなく、私たちに代わって律法を全うし、死んで下さった、人となられたイエス・キリストによるのである。
エペソ2:8-9 - あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
ガラテヤ3:13 - キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
エペソ5:2 - また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。
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