33.コロサイ2:9とエペソ3:19

 

コロサイ2:9 「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」

エペソ3:19 「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」

 

コロサイ2:9は、イエスが人となられた神であるという教義を支持するために、三位一体説を唱える人々によってしばしば用いられる聖句です。この聖句は、イエスのうちに神の性質が宿っていることを明確に述べています。ここで興味深いのは、聖書全体で一度だけ使われている「神の性質」という言葉が含まれていることです。神の性質とは、「神であることの本質的な特性または条件」という意味です。この聖句は、「イエスのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っている」と述べています。しかし、イエスの神性の教義に反対する批評家たちは、コロサイ2:9と似ているエペソ3:19を引用します。それは、「・・・あなたがた(クリスチャン)が神の満ちあふれた豊かさにまで満たされるように」と言っています。これらの聖句は類似しており、三位一体の教義に反対する人々は、エペソ3:9を使って、イエスが神であると述べているコロサイ2:9を否定しようとします。彼らは、クリスチャンは神の満ちあふれる豊かさに満たされると言っているエペソ3:19をもとに、もし私たちクリスチャンが神の満ちあふれる豊かさに満ちていても、私たちは神ではないので、コロサイ2:9がイエスのうちにこそ神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っていると言ったとき、イエスも神ではないと主張するのです。

 

ここでの間違いは、エペソ3:19とコロサイ2:9が同じ文脈の中で言われているものではないところに原因があります。結局のところ、これらの聖句は聖書の別の箇所にあるので、両方の文脈を見ずに、単に2つを並べて引用し、コロサイ2:9は、エペソ3:19と言葉の使い方が似ているのでイエスが神であることを意味しないと言うのは適切ではありません。 それでは、以下でそれぞれの文脈を見てみましょう。

 

  •  コロサイ2章
  •  2節 私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け、さらに、理解することで豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを知るようになるためです。
  •  4節 私がこう言うのは、まことしやかな議論によって、だれもあなたがたを惑わすことのないようにするためです。
  •  6節 このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。
  •  7節 キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。
  •  8節 あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。
  •  9節 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。

 

  •  エペソ3章
  •  1節 こういうわけで、あなたがた異邦人のために、私パウロはキリスト・イエスの囚人となっています。
  •  3節 先に短く書いたとおり、奥義が啓示によって私に知らされました。
  •  6節 それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。
  •  10節 これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、
  •  14節 こういうわけで、私は膝をかがめて、(エペソ人のためのパウロの祈り)
  •  16節 どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。
  •  17節 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
  •  18節 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
  •  19節 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。

 

見て解るように、コロサイ2章の文脈は、欺瞞に対する警告であり、イエスの中に神の満ち満ちたご性質が宿っているという宣言です。 私たちが欺瞞から守られているのは、私たちが、神の満ち満ちたご性質が宿っているキリストの中にあるからです。イエス様にあって私たちは安全なのです。 一方、エペソ3章の文脈は、異邦人が神の救いの計画に含まれていること、またパウロが、エペソの人々が御霊に力づけられ、キリストが彼らの心に住み、彼らが神の満ちあふれる豊かさにまで満たされることを望んでいる、ということです。

 

明らかに、文脈は異なります。ですから、これらの聖句はそれぞれの文脈に照らして解釈されなければなりません。コロサイ2:9では、イエスは欺瞞から人々を守る保護者です。エペソ3:19では、神の満ちあふれる豊かさにまで満たされるということは、文脈上、聖霊の内在(16節)とキリストの内在(17節)について語られています。クリスチャンが神の満ちあふれる豊かさにまで満たされているという声明が出されるのは、この内住の文脈においてです。 彼らが神であると言っているのではありません。むしろ、他の聖句と一致するように、彼らの内に神が宿っておられると言っているのです。

 

  •  ヨハネ14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」
  •  ローマ8:9-11 「9しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。10キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。11イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」

 

コロサイ2章は、別の文脈であり、エペソ3章とは異なる問題を扱っています。コロサイ2:9とエペソ3:19は似たような言い回しですが、同じではありません。さらに、コロサイ2:9には、「神の性質」という言葉が含まれていて、これは、イエスに関して聖書全体で一度だけ出てきます。コロサイ2:9には、イエスの中に神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っていると書かれています。エペソ3:19では、クリスチャンが神の満ちあふれる豊かさにまで満たされるようにと言っています。同様に、「神の満ちあふれる」という言葉は、聖書全体でここにだけ出てきますが、それは聖霊によって神が宿っているクリスチャンたちを表しています(16節)。ですから、エペソ3:19は、コロサイ2:9がイエスが人となられた神であることを教えていないことを述べるために用いることはできません。さらに、コロサイ2:9を考えるとき、ヨハネ1:1と1:14にある言葉を思い出さずにはいられません。

 

  •  ヨハネ1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
  •  ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

 

最後に、ヨハネ14:23とローマ8:9において、私たちは三位一体としての神の内在を見ます。父、子、聖霊がすべての信者の中に住んでいると言われています。これが三位一体なる神の奥義と不思議です。コロサイ2:9は、イエスのうちに神が宿っておられることを示しています。エペソ3:19は、クリスチャンの中に神が聖霊によって宿っていることを示しています。それらは違うものです。

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。」(ヨハネ8:58)。

 


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