これらのものは、私が「無条件的選び」に関する弁証をする際に用いる資料です。
無条件的選び - まず選びとは何でしょうか? 選びとは、神の主権的な意志に基づく行為であり、世界を創造する前に、神が目的を達成するためにある人々を救いに選ばれることです。したがって、選びとは、目的のために選ばれていることを意味します。
1.「この選びの理解は、伝統的に「無条件的選び」と呼ばれてきました。 それは「無条件」です。なぜなら、神が私たちを選ぶに値するものを私たちの中にご覧になることを条件とされないからです。」
2.「無条件的選び」という言葉の文脈では、この選びは神の主権的な行為であり、世界の基の置かれる前から、神は救う者を選ばれました(エペソ1:4、2テサ2:13)。この救いの選びは、予見された如何なる信仰(ローマ9:16)や如何なる善行(ローマ9:11、2テモテ1:9)を条件とはしていません。この選びは、完全に神の意志による、憐れみ深い意図に基づく神の主権的な選びです(エペソ1:11)。神は、主権的な恵み(ガラテヤ1:15)と栄光(イザヤ43:7)のみに基づいて、彼らに愛を授けることとされ(ヨハネ3:16、エペソ2:4)、彼らを選ばれたのです。
・ エペソ1:4 「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」
・ 2テサロニケ2:13 「しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
・ ローマ9:16 「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」
・ ローマ9:11 「その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、」
・ 2テモテ1:9 「神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、」
・ エペソ1:11 「私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。」
・ ヨハネ3:16 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
・ エペソ2:4 「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、」
・ ガラテヤ1:15 「けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、」
・ イザヤ43:7 「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」
3. えこひいき
神が無条件に救われる人々を選ばれるという考えに反対する人もいます。 彼らは、これは神がある人を他の人よりも好まれるという「えこひいき」を示しているということで、聖書は神は人を偏り見ないと言っているのでそのような考えはおかしいと言います。
- ローマ2:11 「神にはえこひいきなどはないからです。」
- 使徒10:34 「そこでペテロは、口を開いてこういった。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、」
しかし、この反論は聖書的な「えこひいき」の定義を正しく理解していないところから来ています。それを明らかにするためには聖書に目を向ける必要があります。
・ ヤコブ2:1-4 「私の兄弟たち。あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。 あなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、立派な服装をした人がはいって来、またみすぼらしい服装をした貧しい人もはいって来たとします。 あなたがたが、りっぱな服装をした人に目を留めて、「あなたは、こちらの良い席におすわりなさい。」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこで立っていなさい。でなければ、私の足もとにすわりなさい。」と言うとすれば、あなたがたは、自分たちの間で差別を設け、悪い考え方で人をさばく者になったのではありませんか。」
神が非難される「えこひいき」とは、ある個人の中に好ましい性質を見つけ、その性質のゆえにその人を「えこひいき」することです。それが神が非難されることです。しかし、無条件的選びはそれとは違い、神がご自身の意志の主権によって、人々の人間性に基づかずに彼らを救いに選ばれることです。
4.神の予知
神の無条件的選びへの応答の一つは、神には予知能力があり、将来を知り、誰がどんな状況で何を選ぶか知っているという考えです。神は人々が何をするかを予知し、それに基づいて人々を選ばれるというのです。
これは幾つかの理由で間違っています。
(1) まず第一に、神が「えこひいき」されないというのは神の言葉に反します。神がさまざまな状況下で誰がご自分を受け入れるかを知るために将来をご覧になったとしたら、神は予見された彼らの人間性に基づいて彼らに好意を示しておられることになります。
しかし、神は既に私たちにそれをしないと言っておられます。
・ ローマ9:9-11 「約束のみことばはこうです。『私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。』 このことだけでなく、私たちの先祖イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、」
(2) 第二に、事前情報という考えは、神がさまざまな状況下で何を信じるかを知るために、未来を見ることによって学んでいることを意味します。これは神の全知の教義に反します。
(3) 第三に、聖書は、誰も神を求めない(ローマ3:10-12)、彼らは霊的なことを理解できない(1コリント2:14)、彼らは罪の奴隷である(ローマ6:20)、彼らの心は何よりも陰険である(エレミヤ17:9)、彼らの義は神の前では不潔な着物のようである(イザヤ64:6)と言っています。 要するに、無条件的選びへの答えとして、「予知」を提供することは、人間の罪深い状態についての聖書の啓示に反します。 生まれ変わりを選択しないことは利己的であり、不敬虔であり、神の栄光を現すものではありません。 要するに、彼ら自身の罪深い自由意志で神を選ぶということはないのです。 この全ての問題は、全的堕落の教えの中で取り扱われるべきものです。
(4) 第四に、予知は多くのクリスチャンによってよく誤解されています。 すでに述べたように、多くのクリスチャンは、神の予知とは、神が未来を見据え、何が起こるかを予測することに基づいて事前に決定を下すことを意味すると考えています。 しかし、「予知」という言葉は、救いの方法において信者と不信者だけを扱うものです。では少し説明します。
神は信者を知っているだけで、不信者は知りません。
・ ヨハネ10:27-28 「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」
・ マタイ7:22-23 「その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」
・ ガラテヤ4:8-9 「しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本来は神でない神々の奴隷でした。 ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。」
・ ヨハネ5:42 「ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。」
「知っている」という言葉は、“ginosko”ですが、「予知」は“proginosko”です。
・ ローマ8:29 「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」
・ 1ペテロ1:20 「キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。」
この言葉は、将来の何かを知るだけでなく、関係を意味します。また、ローマ書8:29-30で、運命づけられているのは予知されている人々でもあることに注意してください。 彼らは同じグループに属しています。
・ ローマ8:29-30 「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」
5. 無条件的選びに戻る
改革派神学と無条件的選びの文脈では、選びとは、神が世界の創られる前に救われる人を選ばれたという教えです。 神の選びは、これらの人々の予知された信仰の決断や人間性などに基づくものではなく、それは神の主権的な意志のみに基づいていました。 選びは、人間の中にあるものではなく、神の中にあるものに基づいています。 神は私たちが救われるに値するからではなく、私たちに愛と恵みを与えることを決心されたので、私たちを救いのために選ばれたのです。
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