あなたは、たとえば十戒を守るというような良い行いをすることによってクリスチャンになるのではありません。また、 あなたは教会のメンバーになることによってクリスチャンになるのでもありません。あるいは、 あなたは誠実であることによってクリスチャンになるのでもありません。
では、あなたは何をしなければならないのでしょうか? あなたはイエス(人となられた神―ヨハネ1:1、14)だけを信じなければなりません(使徒4:12、ヨハネ14:6)。また、 あなたはの罪のために犠牲となられたイエスを、あなたの救い主、また主として受け入れなければなりません(ヨハネ1:12)。 救い(神の義の裁きから救われること)は、あなたの行いによるのではなく、神の恵みによるのです(エペソ2:8)。
クリスチャンになるための規則はありませんが、以下は、あなたが知る必要のあることに関する聖書の要約です。
1. 神の前であなたの罪深さを認めてください(罪は神の律法を破ることです。罪は嘘をついたり、盗んだりするようなものです):
・ 「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、― それというのも全人類が罪を犯したからです。」(ローマ
5:12)
2. あなたの罪があなたと神との間に断絶を招いていることを認識してください。
・ 「 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」 (イザヤ59:2)。
3.あなたはイエスが神への唯一の道であることを信じなければなりません。
・ 「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』
」 (ヨハネ14:6)。
4. イエスはあなたの罪を赦す権威を持っておられるので、イエスに罪の赦しをお願いしてください。
・ 「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。』
」(マタイ28:18)
・ イエスはあなたの願いをイエスに祈り求めるように言われました。「 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(ヨハネ14:14)
・ イエスは罪を赦すお方です。「『人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、『あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。』と言われた。」(マルコ2:10-11)
・ この最後の「ステップ」は、イエスを受け入れることです。 ヨハネの福音書1章12節は、「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」と述べています。
5. 罪から離れてください。
・ .「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」
(使徒17:30) 「それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。(マタイ3:8)
・ もしクリスチャンになりたいなら、あなたはイエスを救い主として受け入れなければなりません(ヨハネ1:12)。 私は、あなたがイエスに祈り、あなたの罪を赦し、イエスに従う道を教えていただくようお願いされることをお勧めします。 イエスは、「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」と言われました。 (ヨハネ14:14)。
また、イエスがルカ18:9-14で教えられたことを考えてみてください。
「 自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。
『ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
取税人は、彼が行なったことに対して何の訴えもしなかったことに注目してください。彼は バプテスマを受けたわけでも何か良い行いをしたわけでもありません。彼はただ自分の罪を告白し、神に信頼したのです。
また、パウロがローマ4:1-5で言ったことを考えてみてください。
「それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。 もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。 聖書は何と言っていますか。『それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。』とあります。 働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。」
パウロは、私たちが信仰によって神の前に正しいとされていることを教えています。信仰と行ないによってではなく、信仰のみによってです。ペテロもまたこのように言っています。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(1ペテロ2:24)
イエスはあなたを救うことができます。 イエスだけを信頼してください。
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