37.もしイエスが神なら、なぜ再臨の時を知らないのか?

 

 

マタイ24:35-36で、イエス様は、「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。・・・・・・・・」と言われました。もしイエス様が人となられた神であれば、再臨の時がいつであるかを知っておられる筈です。なぜなら、神は何でも知っておられるからです。したがって、もしイエス様に知らない事があるのであれば、イエス様は神ではあり得ないのではないか。

 

この反論は、エホバの証人によって頻繁に持ち出されるものですが、またクリスタデルフィアン(キリスト教系の新興宗教)も同じ反論をします。これは、確かに良い質問だと思います。

 

さて、イエス様は、神であり人間であるという二つの性質を持っておられた方です。つまり、イエス様は同時に神と人間であられたということです。これをキリストの二性と言います。また、二つの性質がひとりの人の内で一緒になったという意味で、位格的結合とも言われます。

 

へブル2:9で、イエス様はしばらくの間、御使たちよりも低い者とされた、と言われています。またピリピ2:5-8では、「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。」と言われています。さらに、コロサイ2:9では、「キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており」と言われています。つまり、イエス様は神であると同時に人間でもあられたのです。

 

このように、イエス様は人間であることの制限をお持ちでした。だからこそ、ルカ2:52で言われている、「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された」というような言葉があるのです。したがって、そういう点で、イエス様は再臨がいつになるかを知らなかったと言い得たわけです。それは、イエス様が神であることの否定ではなく、イエス様が人間であることの確認なのです。

 

それとは反対に、聖書の中には、神なるイエスがすべてを知っておられたという言葉を見ることができます。たとえば、ヨハネ21:17では、 「イエスは三度目に言われた、『ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか』。ペテロは『わたしを愛するか』とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエス に言った、『主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています』。イエスは彼に言われた、『わたしの羊を養 いなさい。』」と言われています。

 

イエス様は、ペテロの誤りを訂正して、「ペテロよ、待ちなさい。わたしはすべてを知っているわけではない」とは言われませんでした。イエス様はペテロに、ご自分がすべてを知っておられるということを三回も続けて言うままにされました。ですから、イエス様は確かにすべてを知っておられたのです。

 

しかし、もし聖書の中に、イエス様がすべてを知らなかったという言葉と、すべてを知っていたという言葉があるなら、それは矛盾なのでしょうか? いいえ、それは矛盾ではありません。なぜなら、イエス様は完全な神であられたと同時に、完全な人間でもあられたからです。イエス様は、十字架と復活の前に、ご自分の再臨の時は父なる神だけが知っておられると言われました。十字架と復活の後まで、全知という性質はイエス様のものではなかったのです。

 

このように、天地万物を造られた神の御子は、私たちを愛し、天の御位をかなぐり捨てて人間の姿を取り、人間としての制限を持ちながら、地上での働きを完成されました。そして、復活によって栄光をお受けになったのです。

 

 

 


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