3. 教理① 聖書、神、人間

以下のものは、基本的なキリスト教教理の概略です。どんな学びに対する取り組みもそうですが、私たちはまず基本から最初に始めなければなりません。基本教理は、私たちのクリスチャン生活の基盤です。ここに示されたことを学ぶことによって、キリスト教に関する多くの正しい知識を身につけることができます。まず必要なことは、基礎を固め、そこからクリスチャンとしての歩みを深めていくことです。「そういうわけだから、わたしたちは、キリスト教の初歩をあとにして、完成を目指して進もうではないか。」(へブル6:1) 建物は、その基礎と同じだけ強いのです。

1. 聖書
A. 聖書は66巻から成っています。旧約聖書が39巻、新約聖書が27巻です。また旧約聖書には23,214節、新約聖書には7,959節があります。

B. 聖書は約1600年の歳月をかけて書かれました。

・ 聖書は、へブル語、アラム語、ギリシャ語が用いられ、約40人の記者たちによって、その内容に一貫性を持ちながら書かれています。

・ 聖書は、三つの大陸において書かれました(アフリカ、アジア、ヨーロッパ)。

・ 聖書は様々な人々によって書かれました(預言者、祭司、酌人、王、裁判官、漁師、その他)。

C. 英語の聖書の最初の翻訳は、ジョン・ウィクリフによって始められ、ジョン・パーヴェイによってAD1382年に完成しました。

D. 聖書の最初のアメリカ版は、おそらくAD1752年頃に発表されました。現在、聖書の一部もしくは全体が翻訳されている言語は2212言語です。また、現在、聖書翻訳プロジェクトが1500以上の言語で推進されています。 そのプロジェクトの多くは現地の人々によって推進されています。

E. 聖書は、AD1228年頃、ステファン・ラングトンによって章に分けられました。

・ 旧約聖書はR・ネイサンによってAD1448年に節に分けられ、新約聖書はロバート・ステファナスによってAD1551年に節に分けられました。

F. 旧約聖書 ― 合計39巻は大きく五つに分けられます。

・ モーセ五書(創世記から申命記)、歴史の書(ヨシュア記からエステル記)、詩の文書(ヨブ記から雅歌)、大預言書(イザヤ書からダニエル書)、小預言書(ホセア書からマラキ書)

G. 新約聖書 ― 合計27巻は大きく四つに分けられます。

・ 福音書(マタイの福音書からヨハネの福音書)、歴史(使徒行伝)、書簡(ローマ書からユダ書)、預言書(ヨハネの黙示録)

H. 聖書の文書の信頼性

・ 現存する聖書の写本は5000ほどありますが、その写本の正確さは驚くべきものです。確かに極めて少ない写本の間違いはあるものの、それは綴りの間違いのようなもので、本文の内容には全く影響はありません。全世界の古文書のどれを取ってみても、聖書の文書の中に見られる写本の正確さに近づくこともできません。

・ 旧約聖書の写本は新約聖書の写本ほど正確ではありませんが、それでも他の古文書と比べれば著しい正確さがあります。

* 70人訳聖書(BC250年頃に出来たヘブル語の旧約聖書のギリシャ語翻訳)は、既存のへブル語の写本と比較されるとき、旧約聖書の信頼性と一貫性を立証します。
* 1947年に発見された死海写本も、旧約聖書の写本の信頼性を立証しています。
* 死海写本は、およそ2000年前にイスラエルの洞窟に隠された800巻ほどの古文書でした。その中には多くの旧約聖書の巻物が含まれており、その一つがイザヤ書でした。
* 死海写本の前に、旧約聖書の最も古い写本はAD900年頃のもので、マソレティック写本と呼ばれています。この写本は死海写本に比べて1000年近くも古い旧約聖書の写本ですが、批評家たちが沈黙をするほどに驚くべき正確さでした。

・ 現存する新約聖書のギリシャ語写本は5000を超え、他の言語では20000の写本が確認されています。その中の一部の写本は、原本が書かれた100年以内のものである証拠の日付がついています。また、その写本の正確さには目を見張るものがあります。

・ 新約聖書が書かれた推定時間

* パウロの手紙 AD50-66年
* マタイの福音書 AD70-80年
* マルコの福音書 AD50-65年
* ルカの福音書 AD60年代初期
* ヨハネの福音書 AD80-100年
* ヨハネの黙示録 AD96年

・ 新約聖書の写本のいくつか

* John Rylands(AD130年) 現存する新約聖書で最も古い断片
* Bodmer Papyrus II(AD150-200年)
* Chester Beatty Papyri(AD200年) 新約聖書のほとんどが含まれる
* Codex Vaticanus(AD325-350年) 聖書のほとんどを含む
* Codex Sinaiticus(AD350年) 新約聖書のほとんどすべてと旧約聖書の半分以上を含む
* 他のいかなる古文書も、原本が書かれた時期にそれほど近く書かれたものはありません。聖書の写本の場合、いちばん原本に近いのは約50年の違いしかありませんが、たとえば、プラトンやアリストテレスなどの場合は数百年間の違いです。

I. 聖書の預言とその成就の数学的確率

・ 救い主に関する約300の預言のうちの48の預言が歴代の人物の中の一人の人の上にすべて成就する確率は10の157乗分の1(1/10157)です。比較のために、全宇宙に存在するすべての電子の数は10の79乗です。つまり、48の預言がイエス・キリストの上にすべて成就したということは、偶然では絶対にあり得ないことで、言い方を換えれば、救い主の誕生は初めから神の計画通りであったとしか解釈のしようがないということです。

J. 霊感と誤謬のなさ ― 聖書は神の霊感を受けて書かれたものです。霊感とは、神が聖霊によって聖書記者たちに正確で権威のある神の啓示を書かせたことを意味します。本物のクリスチャンであるなら誰もが聖書の霊感と権威を認めます。<

K. 聖書の科学的な正確さ

・ 地球が丸い物体であることを記している(地球の原語は“地の円”)(イザヤ40:22)

・ 地球が宇宙空間に浮いている(ヨブ26:7)

・ 星は数え切れない(創世記15:5)

・ 海底の谷の存在(サムエル下22:16)

・ 海の中の泉の存在(創世記7:11、8:2、箴言8:28)

・ 海の海流の存在(詩篇8:8)

・ 水の循環(ヨブ36:27-28)

・ すべての生き物はその種類にしたがって増える(創世記1:21)

・ エントロピーの概念(詩篇102:26)

2. 神

A. 神は唯一の神である。神は聖であり(黙示録4:8)、永遠(イザヤ57:15)、全能(エレミヤ32:17、27)、偏在(詩篇119:7-12)、全知(Iヨハネ3:20)なる方である。

B. 神は愛であり(Iヨハネ4:8、16)、光(Iヨハネ1:5)、霊(ヨハネ4:24)、真理(詩篇117:2)、創造者(イザヤ40:12、22、26)である。

C. 神は礼拝されるべき方である(創世記24:26; 出エジプト4:31; II歴代誌29:28; Iコリント14:25; 黙示録7:11)。

D. 神は仕えられるべき方である(マタイ4:10; Iコリント6:19; ピリピ3:7; Iテサロニケ1:9; へブル9:14)。

E. 神は宣ベ伝えられるべき方である(マタイ28:19; 使徒行伝1:8)。

・ 神を礼拝することは、神に仕え、神を宣ベ伝えることであり、神に仕えることは、神を宣ベ伝え、神を礼拝することであり、神を宣ベ伝えることは、神を礼拝し、神に仕えることです。

・ 神の名前はエホバ、またはヤーウェと言います。それは四つのへブル語の子音から成っています。神の名前の正確な発音は失われて誰にも分かりません。出エジプト3:14には、神はご自分の名を、『わたしはある』という者であると宣言されました。

F. 神は三位一体である ― 唯一の神が同時に三つの人格において存在される。父と子と聖霊の「三位」には、人格的な区別はありますが、一つの神として同じ本質を持ち、性質も属性も同じです。それぞれがバラバラに存在しているのではなく、永遠に一つの神の御心のもとに一致しておられ、完全に「一体」であられます。

・ 三位一体の教義は以下のものとは違います。

* Modal Monarchianism(様態的モナルキア主義) ― モナルキア主義は「唯一神論」「単一神論」とも呼ばれますが、アプローチの違いによって、「様態的モナルキア主義」と「動態的モナルキア主義」の二つの方向性がありました。様態的モナルキア主義は、キリストの神性を強調することで神の唯一性を維持するために、神は連続的に三つの形を取り、最初は父、そして子、それから聖霊になったという理解です。現在、この立場を取るグループは、United PentecostalとUnited Apostolicですが、この教義は三位一体の教義を否定するものなので明らかに間違いです。

* Dynamic Monarchianism(動態的モナルキア主義) ― 動態的モナルキア主義というのは、イエスの人間性を強調することで神の唯一性を維持しようとしたもので、父なる神だけが神であり、イエス・キリストと聖霊は神ではないという立場です。現在、このグループはJehovah’s Witness、World Wide Church of God、Christadelphianism、The Way Internationalなどがあります。この教義は、三位一体、キリストの神性、聖霊の神性を否定するもので明らかに間違いです。

* Tritheism(三神論) ― この教義は、父と子と聖霊という三つの独立した神々がおられるとする立場で、明らかに三位一体の教義に反します。

G. キリスト教は一神教である ― いつでも、どこにでも、唯一の神だけが存在する(イザヤ43:10; 44:6、8; 45:5、14、18、21、22; 46:9; 47:8; ヨハネ17:3; Iコリント8:5-6; ガラテヤ4:8-9)。

H. キリスト教は以下の教義を認めません。

・ Polytheism(多神教)― 多くの神々に対する信仰。

・ Monolatry(拝一神教)― 複数の神々を信じるが、ただ一つの神だけを崇拝する。(例)モルモン教)

・ Henotheism(単一神教)― 他の神々の存在を否定することなく、ひとつの神を信じる。

・ Pantheism(汎神論)― 全ての物体や概念・法則が神性を持つ、あるいは神が宇宙であるという考え。

・ Panentheism ― 神が宇宙に存在するという考え。汎神論とは違う。

・ Deism(理神論)― 神の存在は認めるが、神の人格性を認めず啓示を否定する。

・ Theism(有神論)― 神の存在を認め、神の人格性と世界への関与を認める。

3. 創造

A. 神は無から物理的また霊的な世界を創られた(創世記1:1; 詩篇33:6; ヨハネ1:3; ローマ4:17; Iコリント1:28)。

  ・ 神は、ご自分の一部からこの世を創られたのではありません。

  ・ 神は、「無」と呼ばれる物質からこの世を創られたのでもありません。

B. 特に、すべてのものに先立って生まれた(コロサイ1:15)、三位一体の第二位格である子なる神イエスが、すべてのものを造られたのです(コロサイ1:16-17; イザヤ44:24)。

C. 神がすべてのものを造られたので、神はすべてのものに先立って、すべてのものを超越して存在されます。従って、全宇宙は神の支配の中に置かれています。

D. 創造の期間についての聖書解釈は幾つかに意見が分かれます。ある人は創世記の記述どおりに六日間とし、またある人は六つの長い期間とします。

4. 人間

A. 人間の創造

  ・ 人間は、創造の最高峰であるばかりでなく、神の特別な保護の対象でもあります。

  ・ 人間は、本来、罪のない、純粋なものとして造られました。

  ・「神はまた言われた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう』。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」(創世記1:26-27)

   * 「人を造り、・・・治めさせよう」という言葉は、人間の創造に先立って、三位一体の神の存在を明らかにするものです。(創世記11:7を参照)
   * 人間は、動物とは異なるように造られました。人間は、神に命の息を吹き込まれました(創世記2:7)。しかし、動物はそうではありませんでした。また、人間は動物に対する支配権を与えられました。人間は、神を知り、神を礼拝し、また神を愛することができますが、動物はできません。

  ・ 人間は、二つまたは三つの部分からできています。

   * Dichotomy(二分法) ― 二つの部分に分けることを意味する言葉で、人間を「肉体」と「魂」とに分けます。この場合、「霊」は「魂」と同義語として使われます(ルカ1:46-47; イザヤ26:9; マタイ6:25; 10:28; 第一コリント5:3、51)。
   * Trichotomy(三分法) ― 三つの部分に分けることを意味する言葉で、人間を「肉体」と「魂」と「霊」とに分けます(第一テサロニケ5:23; へブル4:12)。
   * 人間が幾つの部分からできているという公式な正統的立場はありません。

  ・ 魂の起源

   * Traducianism ― 人間の魂は、生殖によって体に伝達されるので、両親から子供に与えられるものである(Berkhoff、組織神学 197ページ)。
   * Creationism(特殊創造説) ― 魂は神の創造によるもので、その起源を直接的な創造の行為に負うている(Berkhoff、組織神学 199ページ)。
   * アダム以外に、聖書は魂の起源について、はっきりした見解を述べていません。

  ・ 人間は神の形に似せて造られました。

   * これは、人間が、神のように完全で巨大ではないが、道徳的で知的な能力において神に似ているという意味です(創世記1:26; コロサイ3:10)。
   * 人は、「合理的な能力、道徳的な認識、美しさの追求、言葉の使用と精神的な認識において動物に勝るものである」。

B. 堕落以前の人間

   * 神は、他のすべての被造物を作られたあとで、人間を男と女に、理性ある不死の霊魂をもち、ご自身のかたちに従って知識と義とまことのきよさとを賦与され、心の中にしるされた神の律法とそれを成就する力をもち、しかも変化しうる自分自身の意志の自由に委ねられて、違反する可能性のある者として創造されました。彼らは、心にしるされたこの律法のほかに、善悪を知る木から食べるな、という命令を受けましたが、これを守っている間は、神との交わりにおいてしあわせであり、もろもろの被造物を支配していました(ウエストミンスター信仰告白4:2)。

   * この記述によれば、人間は何ものにも妨げられず、神に自由に近づくことができました。創世記3:8の「神が園を歩き回られた」という言葉はその例証です。

C. 人間、堕落、その影響

  ・ アダムとエバは、神に反抗し、禁断の実を食べることによって罪を犯しました。「このようなわけで、ひとりの 人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を 犯したので、死が全人類にはいり込んだのである」(ローマ5:12)。

  ・ 彼らの罪は何であったか。

   * 彼らはサタンの言うことを聞き、神に禁じられていた果物を食べた(創世記3:1-13)。

  ・ 彼らの罪の結果は何であったか。

   * 死(ローマ6:23)と、神との断絶(イザヤ59:2)。
   * 子供たちへ罪の性質が受け継がれる(詩篇51:5)。
   * すべての被造物が産みの苦しみをする(ローマ8:22)。

  ・ 彼らの罪はどのように神に影響を及ぼしたか。

   * 彼らは、神と交わることができなくなった(イザヤ59:2)。
   * 彼らは、神の御心を行なえなくなった(ローマ6:16)。
   * 彼らは、律法と死ののろいの対象となった(申命記27:26、ローマ6:23)。

  ・ 原罪 ― アダムから罪の性質を受け継いでいるという教義(ローマ5:12-21)。

   * アダムは、全人類の代表であった。
   * 「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである」(第一コリント15:22)。
   * 「アダムにあって」という言葉は、アダムと私たちとの関係を表し、エデンの園における私たちの代表であったことを意味する。同じように、「キリストにあって」という言葉は、キリストと私たちの関係を表し、キリストが十字架において私たちの代表であったことを意味する(ローマ5:18; 6:11; 8:1; 第一コリント1:2; 15:22; 第二コリント5:19)。
   * 「このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである」(ローマ5:18)。

D. 死んだのち、また復活前の人間

  ・ 中間の国

   * これは死と復活の間における魂の状態です。
   * 聖書は、この事に関してあまり多くの事は語ってはいませんが、意識のある状態であることを教えています(第二コリント5:5-8; ルカ16:19-31)。
   * 我々は意識を持ち、また明らかに、主と共にいる(ピリピ1:21-23)。
   * 救われている者にとっては、祝福と喜びのときであり、救われていない者にとっては、金持ちとラザロの話にあるように、苦しみの時です(ルカ16:19-31)。


ラスベガス日本人教会

Las Vegas Japanese Community Church

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