23.バプテスマとガラテヤ書3:27

ガラテヤ書3:27は、救われるためにはバプテスマを受けなければならないという考えを支持する人々がよく用いる聖書箇所です。彼らは、バプテスマが「キリストを着る」場所であり、それはバプテスマが救いをもたらすことを意味すると主張します。彼らは、バプテスマの水に浸されることが罪からの救いの場所と時であると教えます。これは明らかに間違っています。ガラテヤ書3:27の御言葉は、単独ではなく、その文脈の中で理解されなければなりません。

『このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛かりとなったのである。しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。 もはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。』(ガラテヤ3:24-29)

ローマ社会では、しばしば子供たちを奴隷の保護下に置きました。これは子供たちが6~7歳の間によくなされたことで、思春期を迎えるまで続けられました。 これらの奴隷たちは厳しいしつけをする厳格な人たちであり、社会の悪から子供たちを守り、彼らに精神的訓練を与える任務が課されました。 これは、ちょうどキリストが来られて、人々が彼を信じる信仰によって義とされるまでの律法の役割のようなものです。律法はユダヤ人にとって厳しい主人でした。それを守ることは非常に難しいことでした。だからこそ、律法は、それを守れない私たちの無力さを私たちに見せることによって、代わりに信仰に頼らなければならないことを解からせ、キリストを指し示すのです。 それが、義認が信仰による理由です(24-26節)。 なぜなら、私たちが律法によっては義とされ得ないからです(ローマ3:28-30; ピリピ3:9)。

『キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。』
(ガラテヤ3:27)

ローマ社会では、家庭教師の保護下にいた子供たちは、成熟した年代(14歳頃)になると、特別なローブ、またはトーガが与えられました。それは家族の中における彼の完全な権利を象徴するものでした。したがって、「キリストを着る」ということは、クリスチャンが律法のもとから出て、恵みの福音の中に入ることであり、父なる神のもとでの完全な子としての立場を喜ぶことができることを意味します。決して、これは、バプテスマが私たちを罪から救うと言っているのではありません。

 


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