12.地獄

地獄は人々を不快にする対象のひとつです。 私たちは、地獄の話を、火の池や、悪魔や、または終わりのない苦しみ場所として聞きます。 これまでに、実に多くの作家たちが、その事について書いています。例えば、ダンテのInfernoなどがそうです。西洋の文化は、その概念に非常に身近な一面があります。ハリウッド映画にも、それを対象にした作品がたくさんあります。どんな内容であれ、どんな信念であれ、地獄は確かに聖書の中で教えられています。しかし、この地獄の教義にも色んな議論があります。ある人は、地獄は意識のない墓に過ぎないと言い、ある人は、地獄は永遠でない懲らしめの場所であると言います。また、ある人は、地獄は炎の中で無限の苦しみの罰を受ける所だと言います。 しかし、いずれにしろ、地獄は神の関わりが全く欠如した所です。

 

                                                      地獄に関連する言葉

Gehenna(ゲヘナ)

ゲへナとは、アラム語のベン・ ヒノム(ヒノムの谷)からきたギリシャ語です。ヒノムの谷はエルサレムの南西にあり、アハズやマナセの時代に、この谷の中で、モレクとタンムズの礼拝が行われました。(Ⅱ列23:10,Ⅱ歴28:3)

聖書ではヨシュア記15章8節に最初に言及されています。元来、(今日の)エルサレム市の城門の外にある深くて狭い谷底のゴミ捨て場として言及されており、そこでは、ごみを処分するために火が燃やされ続け、悪臭を放っていました。そこは、処刑された罪人の体や、ふさわしい埋葬をされなかった人体が埋められる場所でもありました。今日、ゲヘナは地獄の同義語として使われるようになりました。また、このゲヘナという言葉は、新約聖書に12回でてきますが、いずれもイエス様によって語られています。

Hades(ハデス)

この言葉は、新約聖書に10回でてきます。「冥土」という旧約聖書の言葉に対応しています。 イエス様はこの言葉を4回使っておられます(マタイ11:23; 16:18; ルカ10:15; 16:23)。他の6回は、使徒行伝2:27、31; 黙示録1:18; 6:8; 20:13,14で使われています。

ハデスは、「最後の審判まで、死者が留まっている場所」です。そこは、天国に通じるアブラハムの懐と、地獄に通じるゲヘナに別れています。またそれは、ラザロと金持ちの話からも解かるように、意識のある世界です。(ルカ16:19-31)

Sheol(シェオル)

ヘブル語の“Sheol”は、穴を作る根に起源を有する言葉であり、一般的に死者が置かれる場所として旧約聖書の中に数多く見られます(創世記37:35; 民数記16:30、33; 詩篇16:10)。“Sheol”は聖書の中で多くの意味を持っています。たとえば、墓、下界、死者の状態などで、地球の表面の下にあるべきものです(エゼキエル31:15、17; 詩篇86:13)。ギリシャ語訳の旧約聖書ができたとき、へブル語の“Sheol(シェオル)”は”Hades(ハデス)“と訳されました。このふたつの言葉は、基本的には同じ意味で、日本語では、シェオルは「よみ」と訳されています(ヨブ記26:6)。

 

         地獄は永遠に意識のある苦しみなのか?

地獄が、一般的な意味で、永遠であり、意識できる罰であるという考えを否定する多くの異端があります。また、あるクリスチャンの中にも、そういう考えを持つグループがあります。ある人々は、神の永遠の刑罰とは、すべてがなくなってしまうことであると言います。また他の人々は、地獄は一時的なものであり、やがてすべての者がそこから救われると言います。おそらく最も一般的な異論は、愛の神は決して永遠の苦しみの中で人々を罰することはないという考えです。

私たちは、神が愛(Iヨハネ4:8)であることには同意しますが、神はまた義(ネヘミヤ9:33; IIテサロニケ1:6)であり、永遠(詩篇90:2; Iテモテ1:17)です。神は悪を行なう者を罰し(イザヤ11:13)、その罰は永遠です。しかし疑問が残ります。この永遠の刑罰は、意識のあるものかどうか(?)ということです。

 

          死者は死後において意識があるのか?

邪悪な者は生きて陰府に下る

民数記16:30 - 「しかし、主が新しい事をされ、地が口を開いて、これらの人々と、それに属する者とを、ことごとくのみつくして、生きながら陰府に下らせるならば、あなたがたはこれらの人々が、主を侮ったのであることを知らなければならない」

民数記16:33 - 「すなわち、彼らと、彼らに属するものは、皆生きながら陰府に下り、地はその上を閉じふさいで、彼らは会衆のうちから、絶ち滅ぼされた」

泣き叫び、歯がみをしながら外の暗闇に追い出される

マタイ8:12 - 「この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」

炎の中に投げ込まれた者は意識をもって苦しむ

マタイ13:41-42 - 「人の子はその使いたちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。」

マタイ13:50 - 「そして炉の中へなげこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。」

苦しみの炎の中に投げ込まれる

黙示録14:9-11 - 「ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。」

黙示録21:8 - 「しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。」

 

           地獄は永遠の炎と罰の場所である

消えない炎

マタイ3:12 - 「また箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。

炎の地獄

マタイ5:22 - 「しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けなけねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。」

マタイ5:29、30 - 「もしあなたの右の目が罪を犯させるのなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れない方が、あなたにとって益である。もしあなたの右の手が罪を犯させるのなら、それを切って捨てなさい、五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。」

マタイ18:8、9 - 「もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ込まれるよりは、片目になって命に入る方がよい。」

永遠の炎

マタイ25:41 - 「それから左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使いたちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。』」

ユダ7 - 「ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。」

永遠の刑罰

マタイ25:46 - 「そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」

「永遠」という言葉は”aionios”というギリシャ語で、その意味は、これまでも、またこれからも、初めも終わりもないということです。また「刑罰」という言葉は”kolasis”というギリシャ語で、その意味は、厳しい苦しみの伴う罰で罰するということです。

火の池

黙示録20:15 - 「このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」

 

       ラザロと金持ち(ルカの福音書16:19-31)

ルカの福音書16:19-31は、ラザロと金持ちの物語です。 基本的に、ラザロは苦しみの人生を生きる乞食です。金持ちは、もちろん金持ちです。その二人が死にます。金持ちはハデスに行きます。ラザロはアブラハムの懐(天国のもう一つの呼び名)に抱えられます。ハデスにおいて、金持ちは目を上げ、遠くにいるラザロを見ます。彼は、炎の中で苦しみもだえながら、アブラハムに大声で叫び、憐れみを求めます。しかし、アブラハムは、それは出来ないと言います。すると金持ちは、死者の中から誰かを遣わして、このひどい場所に来ないように彼の兄弟に伝えて欲しいと訴えます。アブラハムは、それも出来ないことであることを彼に教えます。

ある人は、これがたとえ話であると言います。しかし、そうでなく、これは実話であり、歴史です。実際、もしたとえ話であれば、誰かの名前を使うということはありません。これは本当に起こった話なのです。しかし、死んだ後に意識はないと信じている人々は、これをたとえ話であると言いたがりますが、もしこれがそうなら、これは何を教えるためのたとえ話でしょうか?もし地獄の炎が偽りであり、また、死後の自己認識も偽りであるならば、イエス様は、真実を教えるのに偽りの教義を用いておられることになります。たとえ話は真実を例証するものです。もしこれがたとえ話であれば、死後の意識や炎の中での苦しみは何を象徴しているのでしょう。これは象徴ではなく事実なのです。

 

結論

地獄は本当の場所です。それは単なる無意識の世界ではありません。それは一時的な状態でもありません。それは永遠の苦しみです。おそらく、イエス様が天国に関する話よりももっと多くの地獄に関する話をされたのは、絶対にそこに行かないようにするための警告だったのでしょう。もし、死ねばその人の存在がなくなるのであれば、なぜ人々に警告などをする必要があるでしょう。しかし、もし地獄が、永遠で、意識のある所であれば、その警告は非常に意味のあるものになります。

「もしあなたの右の目が罪を犯させるのなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れない方が、あなたにとって益である。もしあなたの右の手が罪を犯させるのなら、それを切って捨てなさい、五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。」(マタイ5:29、30)

 


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