天国と地獄

神の言葉である聖書は、死んだ後の永遠の世界を明らかにしています。それは、人間や人間が作った神々では知り得る筈のないことであり、人間を造り、死後の世界をも支配しておられる真の神だけが知る世界です。その聖書によれば、死はすべてのものの終わりではなく、死んだ後に永遠の世界があることが分かります。そして、その永遠の世界には天国と地獄があり、義人(罪のない正しい人)は天国に行き、罪人(神の戒めを破った人)は地獄に行くことが定められています。

あなたは正しい人ですか? 
このテストをしてみて下さい。

ほとんどの人は自分の事を良い人だと思っています。
しかし、この質問を自分に投げかけてみて下さい。
「私は天国に行く十分な資格を持った人間だろうか?」
どのようにしてそれが解かるのでしょう?

それを知る方法は、自分が神の前にどういう者であったかを明らかにすることです。聖書には律法という、いわば神が定められた法律があります。その法律の集約が『十戒』ですが、この十戒を守って来たかどうかを自分自身に聞いてみることです。ほとんどの人は、「もちろん、一つや二つは破ったかも知れないけれど、殺人や強盗のような真似はした事はないよ」と言います。それでは、『十戒』をひとつずつ見てみましょう。

第一の戒め : “あなたはわたしのほかに、何ものも神としてはならない”
あなたはこれまでの人生において、常に神を第一にする生活をしてきましたか。イエス・キリストは、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、主なる神を愛せよ、と言われました。私たちの、両親や兄弟や友人、また自分に対する愛は、この神に対する愛と比べるなら、あたかもこれらを憎んでいるようなものです。あなたは、そんな愛で神を愛してこられたでしょうか?
有罪( )はい、私は少なくとも一度はこの戒めを破ったことがあります。
無罪( )いいえ、私は一度もこの戒めを破った事はありません。

第二の戒め : “あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない”
あなたの神はどんな神ですか?その神は愛と憐れみの神で、誰も裁かず、また誰も地獄に投げ込んだりしたことはありませんか?もしあなたの神がそういう神なら、確かにその神は誰も地獄に投げ込んだりはできなかったでしょう。なぜならそういう神は存在しないからです。それはあなたの空想が作り上げたものです。あなたは自分の思いで、自分にとって心地よいかたちに神を作っていることに気付きますか。あなたはそれをあなた個人の信仰と呼ぶかも知れませんが、神はそれを偶像礼拝と呼ばれます。それは最も古い罪であり、聖書は偶像礼拝者は神の国を継ぐことができないと警告しています。
有罪( )はい、私は少なくとも一度はこの戒めを破ったことがあります。
無罪( )いいえ、私は一度もこの戒めを破った事はありません。

第三の戒め : “あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない”
あなたは神の名を呪いの言葉として使ったことがありますか?もしあるなら、あなたは、あなたに命と家族とすべての尊いものを与えておられる神聖な神の名を、汚れた事のために使ったことになります。ヒトラーの名前ならそういう呪いの言葉として使っても別に軽蔑されるものでもないかも知れません。しかし、神の聖なる名前を同じように使うなら、あなたは冒涜者であり、「神は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう」と聖書は言っています。
有罪( )はい、私は少なくとも一度はこの戒めを破ったことがあります。
無罪( )いいえ、私は一度もこの戒めを破った事はありません。

第四の戒め : “安息日を覚えて、これを聖とせよ”
神は、私たちが七日間のうちの一日を聖別し、神を礼拝し、静まって主との交わりのために用いることを命じておられます。あなたはこの戒めを破って罪を犯したことがありますか?
有罪( )はい、私は少なくとも一度はこの戒めを破ったことがあります。
無罪( )いいえ、私は一度もこの戒めを破った事はありません。

第五の戒め : “あなたの父と母を敬え”
あなたは、神の目を喜ばせる方法である両親を敬うということをいつもしてきましたか?あなたの若き日の罪を思い出せるように神に求めて下さい。あなたは多くの罪を忘れているかも知れませんが、神はすべてをご存知です。あなたはいつも両親を敬ってきましたか?
有罪( )はい、私は少なくとも一度はこの戒めを破ったことがあります。
無罪( )いいえ、私は一度もこの戒めを破った事はありません。

第六の戒め : “あなたは殺してはならない”
イエス・キリストは、「兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けなけねばならない」(マタイ5:22)と警告なさいました。また聖書は、「兄弟を憎むものは人殺しである」(Iヨハネ3:15)と言っています。神は心の中の憎しみを殺人と同じように邪悪なものとしてごらんになります。あなたは心の中で誰かを憎んだりしたことはありませんか?
有罪( )はい、私は少なくとも一度はこの戒めを破ったことがあります。
無罪( )いいえ、私は一度もこの戒めを破った事はありません。

第七の戒め : “あなたは姦淫してはならない”
イエス・キリストは、「『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」と言われました。あなたは情欲を抱いて他の人を見たことがありますか?聖書は、姦淫をする者、不品行な者(結婚前のセックスなど)は神の国に入ることができないと言っています。
有罪( )はい、私は少なくとも一度はこの戒めを破ったことがあります。
無罪( )いいえ、私は一度もこの戒めを破った事はありません。

第八の戒め : “あなたは盗んではならない”
あなたは何か(たとえどんなに小さなものでも)を盗んだことがありますか?物の価値に関係なく、小さな盗みもやはり盗みです。あなたは他の人の物(会社の物、学校の物、両親の物、その他)を取ったことはありませんか?もしあるなら、あなたは泥棒です。
有罪( )はい、私は少なくとも一度はこの戒めを破ったことがあります。
無罪( )いいえ、私は一度もこの戒めを破った事はありません。

第九の戒め : “あなたは隣人について、偽証してはならない”
あなたは嘘をついたことがありますか?もしあるなら、あなたは嘘つきです。人殺しになるには何人の人を殺さなければなりませんか?一人です。もしあなたが一度でも嘘をついたことがあるなら、それはあなたを嘘つきにします。聖書は、「すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである」(黙示録21:8)と警告しています。あなたは嘘をつくことをそれほど大きな罪とは思ってないかも知れませんが、神はそうではありません。
有罪( )はい、私は少なくとも一度はこの戒めを破ったことがあります。
無罪( )いいえ、私は一度もこの戒めを破った事はありません。

第十の戒め : “あなたは隣人の家をむさぼってはならない”
この戒めの意味は、私たちが他の人のものを欲しがってはならないということです。家であっても、車であっても、お金や、他人の妻や、生活様式であっても、どんなものでも、隣人のものを欲しがってはいけません。
有罪( )はい、私は少なくとも一度はこの戒めを破ったことがあります。
無罪( )いいえ、私は一度もこの戒めを破った事はありません。

この十の戒めのうち、有罪と無罪はそれぞれ幾つずつでしたか?

有罪 :
無罪 :

いったい私たちの誰がこれらの戒めを破る罪を犯した事がないなどと言えるでしょうか?聖書が、「すべての者が罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなった」(ローマ3:23)と言うのはこの事なのです。

あなたは、自分の置かれた立場が見えますか?つまりあなたは神に対して罪を犯すことで有罪とされているのです。あなたには良心があるので(良心は英語でconscience、con=with、science=knowledge)、あなたは知識をもって罪を犯したということになります。つまり、あなたは嘘をつき、盗みをし、淫らなことをした時、それを悪いことと知りながらしたのです。

神に対して罪を犯したという事実に恐れを感じませんか?感じるべきですもっと的確な言い方をすれば、あなたは罪を犯すことで神を怒らせてしまったのです。「あなたがたは悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた」(コロサイ1:21)ので、「神の怒りがあなたがたの上にとどまる」(ヨハネ3:36)と聖書は言っています。

あなたは、神が良い方であることを知っておられます。そこで、あなたは、神は良い方なのであなたの罪を見逃して下さると思っておられるかも知れません。しかし、その考え方自体が既におかしいのです。もし強姦罪を犯した者を見て見ぬふりをした裁判官がいたとしたら、あなたは彼を「良い」裁判官と言われるでしょうか?そういう裁判官は「汚職」裁判官と言います。

神は決して汚職裁判官などではありません。神は、全ての強姦者や殺人者、また泥棒を罰します。しかし、神はそこで裁きを終えられません。神は、全ての嘘つき、淫らな者、不倫をする者、偶像崇拝をする者、神を冒涜する者などをも裁かれるのです。そして、その定められた永遠の刑罰の場所は地獄であることを聖書は明らかにしているのです。

神は、あなたが滅びることを望んでおられません。神は慰めと憐れみに富んでおられるので、あなたの罪が赦される道を用意して下さいました。神は、あなたが神のもとに来て、完全な罪の赦しと無償の賜物としての永遠の命を受け取るように招いておられます。あなたは自分の力でそれを得ることはできません。あなたにはその資格がないからです。しかし、神は、あなたに対する愛の証拠として、それを与えようとしておられるのです。

自分が裁判官の前に立たされているところを想像してみてください。あなたは多くの重大犯罪を犯しました。すべての証拠が提示され、あなたの有罪判決は確定的です。あなたがどんなに反省しても、謝罪しても、またこれまでの良い行いを並べてみても、この罪を償うことはできません。あなたは当然の罰を受けることになります。あなたの罪に対する罰金は6000億円または死刑です。しかし、あなたは家やすべての財産を処分しても100万円にしかなりません。あなたは死刑を免れない状況に立たされています。

静まり返った法廷で、いよいよ裁判官が判決を下そうとした時、見知らぬ人が突然、法廷に入ってきて、6000億円の罰金を代わりに払いたいと申し出ました。裁判所はその申し出を受け入れ、裁判官はあなたに自由を言い渡しました。あなたの罪に対する負債がすべて支払われたからです。その見知らぬ人の信じられないほどの大きな犠牲はあなたに対するその人の愛の表明でした。それが、2000年前に、神があなたのためにされた事なのです。

その事が聖書に記されています。天地万物を造られた神が人(イエス・キリスト)となって、私たちを罪の縄目から自由にするために、私たちの罪の罰である死という刑罰を、私たちの代わりに受けて下さったのです。この事は非常に単純明瞭です。つまり、私たちが罪を犯しキリストが罰金を払われたのです。

“まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。”(ローマ5:8)

“キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。”(ガラテヤ3:13)

あなたには、あなたに対する神のこの大きな愛が見えますか?あなたは、神の赦しを必要としなければならない自分の姿が見えますか?聖書は“だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。”(使徒3:19)と言っています。あなたは罪に背を向け、神に目を向けなければなりません。罪を離れ、あなたを救うことのできる方にあなたの人生を明け渡してください。イエス・キリストはあなたを自由にするために死に、あなたの主となるために死からよみがえられたのです。キリストは言われました。“わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。” もし、あなたが罪を告白し、罪から離れ(悔い改め)、イエス・キリストをあなたの救い主、また主として信頼するなら、神はあなたを赦し、あなたは死から命へと移されるのです。

イエス・キリストを信頼するということは、ちょうど8000メートル上空の飛行機から飛び降りなければならないときに、パラシュートを信頼するのと同じような方法で個人的にキリストを信頼するということです。あなたは、ただパラシュートを信頼するのではなく、それを身につけるでしょう。同様に、聖書は、“キリストを身につけなさい”と言っています。そうすれば救われるのです。イエス・キリストの存在を信じている人はたくさんいます。しかし、彼らの多くは、救い主としてのキリストを身につけて(受け入れて)はいないのです。これは非常に大きな違いです。パラシュートをつけないで飛び降りれば間違いなく死んでしまうのです。

どうぞ今日、心から罪を離れ、あなたの人生をイエス・キリストに明け渡してください。この大事なことを後回しにしないで下さい。あなたは今日死ぬかも知れないのです。とすれば取り返しがつかないのです。あなたは、すべての疑問に答えが与えられたわけではないかも知れません。しかし、まずパラシュートをつけて(信じて)、それから答えを探してはいかがでしょう。そうすれば、飛行機から飛び降りなければならなくなったとき、あなたはパラシュートによって命を救うのです。

イエス・キリストをあなたの救い主として、また主として信じるなら、神はあなたの内側に変革をお与えになります。神に信頼し、従うことを学ぶにつれて、あなたは今までと違うことを考え、また違うことを感じるようになります。神は、あなたが正しく生きて、神を何よりも愛することができるように、あなたに新しい力を与えます。日々、聖書を読んで、神の言葉に従いましょう。あなたは、神があなたを愛し、また常に真実な方であることを信頼できるでしょう。まずはヨハネの福音書を読むことから初めてみて下さい。

それから、大切なことは、聖書を神の言葉と信じる信仰的な教会に集うことです。そこから与えられる他のクリスチャンたちとの交わり、教え、助けは、あなたの霊的な成長に重大な意味を持ちます。

さてここに悪い知らせがあります。
もし、あなたが神の赦しの福音を拒絶することを決心なさるなら、あなたは、罪がもたらす死を経験するとき、何の希望もありません。罪に対する神の怒りはあなたにとどまり、あなたは永遠を地獄で送ることになります。ちゃんと時間を取って、地獄に関する聖書の言葉を読んでみて下さい。

地獄について
聖書には地獄を意味する言葉が三つあります。

Gehenna (ギリシャ語):罰の場所(マタイ5:22、29;10:28;ヤコブ3:6)
Hades (ギリシャ語):死者の住まい(マタイ11:23;16:18;ルカ16:23;使徒行伝2:27)
Sheol (へブル語):墓(詩篇9:17;16:10)

地獄が罰の場所であることを認める人々がいます。彼らは、その罰を、意識すら無くなってしまう絶滅状態のことと思っています。また彼らは、意識を持ったままで、永遠に罪の罰を受けなければならないことを理解していません。もし彼らが正しいなら、ヒットラー(彼には数百万人の虐殺の責任があります)は単に永遠に眠ることで罰を受けているということになります。彼の運命は、ただ単に、生まれる前の常態に戻っただけで、本人は罰されていることすら自覚にないということになってしまいます。

しかし、聖書はそれとは異なる見解を持っています。自分が地獄にいることに気付いた金持ち(ルカ16:19-31)には意識がありました。彼は痛みを感じ、のどが渇き、悔恨の情に駆られました。彼は墓の中で眠っていたのではなく、苦悩の場所にいたのです。もし地獄が、意識も何もない、ただ死んだ時に行く墓というものなら、地獄に関するキリストの話はつじつまが合いません。キリストは言われました。“もし、あなたの片手、片足、片目が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手、両足、両目がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、かたわになって命に入る方がよい。地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。”(マルコ9:43-48)

聖書は、救われていない人の運命を、次のような恐ろしい言葉で表わしています。

・ “恥と限りない恥辱”(ダニエル12:2)
・ “永遠の罰”(マタイ25:46)
・ “泣き叫び、歯噛みをする”(マタイ24:51)
・ “消すことのできない火”(ルカ3:17)
・ “怒りと憤り、患難と苦悩”(ローマ2:8、9)
・ “神の臨在から退けられる永遠の滅び”(第二テサロニケ1:9)
・ “永遠の火、永遠の暗闇”(ユダ7、13)

黙示録14:10、11は、罪人の最終的な永遠の運命について語っています。

“神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。”


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