ラスベガス日本人教会は、福音的プロテスタント教会で、どんな人をも愛し受け入れる、明るく開放的な教会です。
 

LVJCC 40の反論

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6.救われるために洗礼は必要ですか?

A.
いいえ。救いはイエス・キリストにある信仰だけで十分です。あなたがしなければならない事は何ひとつありません。キリストがすべてをして下さったからです。しかし、洗礼はとても大切で、すべて信じる者は洗礼を受けるべきです。もしあなたが救われた後で洗礼を拒否するなら、あなたの回心は疑わしいものです。
   
B.
救われるためには洗礼が必要であると信じている教派もあります。そこで使われている議論は表面的には強力に見えますが、調べてみると、洗礼は回心の後にされるものであり、回心のための条件、あるいは条件の一部ではありません。たとえば使徒行伝10:44−47を取り上げてみましょう。ペテロが語っている間に、そのメッセージを聞いていたすべての人々の上に聖霊がくだりました。そしてペテロについて来た人々は、彼らが異言を語り、神を賛美するのを聞きました。それからペテロは、「この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには、彼らに水でバプテスマを授けるのを、だれがこばみ得ようか」と言いました。
   
 
この御言葉は、洗礼が救われた後に執り行われていることを示しています。私たちは、彼らが救われたことをどうやって知ることができるでしょう。彼らは、神が信じる者たちに与えられる聖霊の賜物である異言を語り(1コリ14章)、神を賛美しました。神を信じない者は神を賛美しません。またペテロは、彼らが聖霊を受けたと言いました。それはクリスチャンのためだけのもので、洗礼の前に起ったことです。(注意:異言を語ることは単なる救いのしるしです。クリスチャンが必ずしも救われたことの証拠として異言を語るわけではありません。みんなが異言を語るわけではあり ません(1コリ12:30)。
   
 
この問題に対するもうひとつの適切な御言葉は1コリント1:17です。パウロは、「キリストが わたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり……」と言っています。福音は、救いのためのもので、1コリント15:1−4に説明されています。それによれば、洗礼は福音の一部ではありません。それは、信じる者が救いの後でするものです。
   
C.
洗礼は、単に救われることの象徴に過ぎません。象徴は救いをもたらしません。
   
D.
洗礼が救われるために必要であると言っている御言葉はありません。また洗礼を受けなければ裁かれると言われている御言葉もありません。しかし、信じない者は裁かれると言われている御言葉はあります。ですから、洗礼は重要ですが、救われるために必要なものではありません。
   
E.
もし洗礼が救われるために必要なものなら、お産の時に死ぬ赤ちゃんは救われないことになります。また、死ぬ間際にキリストを信じ、洗礼を受ける前に死んだ人は地獄に行くことになります。
     
     
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